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虹色百話~性的マイノリティーへの招待

医療・健康・介護のコラム

第40話 にじ色の町・札幌

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80年代、北の町に生まれたネットワーク

   38話 で、私の住む東京・中野区の動きを書きました。生活者としての性的マイノリティーが、テレビのなかではなく、生活の場である地域で可視化し活動する志向を、私はとても大切にしています。きょうはそんな町の一つ、「札幌」についてご紹介します。

 性的マイノリティーのコミュニティーで活動する人に、札幌は特別な響きをもつ地名かもしれません。「地方都市」にもかかわらず性的少数者のプライドパレードが、2013年に終了するまで18年にわたり16回開催され、それ以外にも地元に根ざしたユニークな活動の蓄積がある土地だからです。

 札幌でゲイの活動が始まったのは、1986年ごろ。東京のゲイ雑誌編集長が誌面で呼びかけ、読者のゲイ4人(北大の院生)がミーティングをもったのが最初でした。以後、伝説のミニコミ喫茶「ひらひら」を連絡場所に、会合がほそぼそと続けられます。コーヒーと 煙草(たばこ) とフォークのプロテストソングが似合いそうなミニコミ喫茶は、さまざまな市民運動の人が入り交じる場所。その片隅に、同性愛者が小さな姿を現し始めた時代でした。

 ゲイ雑誌編集長が主宰する全国団体の札幌支部というかたちでスタートしたグループは、活動情報を雑誌に載せてもらって参加者を募ったり(まだネットはありません。笑)、全国大会に出かけてほかの地方のグループと交流して、少しずつネットワークを広げます。

 90年代になると、東京から自立する傾向を見せ、独自に北海道セクシャルマイノリティ協会・札幌ミーティングを名乗るようになります。時代は90年代のゲイブーム、追い風が吹いていました。比較的家賃が安い札幌で、若者たちは事務所を借り、電話を引き、まず電話相談を開設。ニューズレターを発行し、いまでいうオフ会の要領で当事者の集まりを重ねていきました。

 1994年、地元テレビ局が札幌のハッテン場(ゲイの出会いを目的とした場所。公園など)を盗み撮りして放映する事件があり、その抗議活動を展開、一気に「リブっぽい」団体へ(リブは解放運動、リベレーションのこと)。地元新聞に取材され、最後にはテレビへの出演機会も得て、可視化を高めました。

 活動が急進化するなかで、離れていったメンバーもいましたが、抗議活動による一定の成果を得てコアメンバーも固まります。そして、「つぎはなんなの?」というところに出てきたのが、札幌での性的少数者のパレードでした。

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永易写真400

永易至文(ながやす・しぶん)

1966年、愛媛県生まれ。東京大学文学部(中国文学科)卒。人文・教育書系の出版社を経て2001年からフリーランス。ゲイコミュニティーの活動に参加する一方、ライターとしてゲイの老後やHIV陽性者の問題をテーマとする。2013年、行政書士の資格を取得、性的マイノリティサポートに強い東中野さくら行政書士事務所を開設。同年、特定非営利活動法人パープル・ハンズ設立、事務局長就任。著書に『ふたりで安心して最後まで暮らすための本』『にじ色ライフプランニング入門』『同性パートナー生活読本』など。

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2件 のコメント

VIVA札幌!

たか

カラフルだけど、イロモノじゃない 老舗のフレンドリータウン

カラフルだけど、イロモノじゃない 老舗のフレンドリータウン

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北海道は開拓者の地

カイカタ

そういうところが影響しているのかもしれません。 そういえば、北海道新幹線の広告は、LGBTフレンドリ-に見えますね。

そういうところが影響しているのかもしれません。

そういえば、北海道新幹線の広告は、LGBTフレンドリ-に見えますね。

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