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歌手 水前寺清子さん

一病息災

[歌手 水前寺清子さん]腰部脊柱管狭窄症(4)見せられなかった晴れ姿

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[歌手 水前寺清子さん]腰部脊柱管狭窄症(4)見せられなかった晴れ姿

 大けがをした翌年の1967年に「いっぽんどっこの唄」が売り上げ100万枚を超えた。着流しの「チータ」が定着した。

 1年後、恩師の星野哲郎さんが作ったのが「三百六十五歩のマーチ」。着流しでなくミニスカートのバトンガールへの変身を指示されたから、へそを曲げた。

 「ワン・ツー ワン・ツー と英語で始まるし、演歌歌手がなぜ行進曲を歌わなくてはいけないの、と思った。私なりに抵抗し、レコードを吹き込む時に1か所こぶしをきかせて、演歌調に歌っちゃいました」

 またもミリオンセラーとなり、翌春の高校野球の行進曲になった。NHK「紅白」の紅組司会も務めた。

 だがこの頃、「日本一の水前寺清子ファン」を自任した父が脳軟化症で倒れ、右半身が不自由になった。デビュー前は毎週、星野さんを追いかけ、娘のことをお願いしていた。新曲が出ると、捨てた故郷の商店街を、「娘がデビューするので買ってください」と頭を下げて回ってくれた。

 初めて「紅白」のトリを務めた83年、口外無用だったので、父にも知らせなかった。だが、本番の1か月前に、父は16年の闘病の末に亡くなった。

 「父に知らせておけば、大みそかまで生きてくれて、晴れ姿を……。一番の心残りです」。夫の後を追うように、最愛の母も腎臓を悪くして、倒れた。

  歌手  (すい)(ぜん)()   (きよ)() さん(70)

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sokusai_117

 
 

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