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性とパートナーシップ

妊娠・育児・性の悩み

中村うさぎさん(1)離婚、不倫、ゲイ男性との「友情婚」

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中村うさぎさん(1)離婚、不倫、ゲイ男性との「友情婚」

中村うさぎさん

 買い物や整形、ホストにはまり、女としての価値を確かめたいとデリヘル嬢体験までして、人の欲望とは何かを追求してきた作家の中村うさぎさん(58)。30代初めに最初の結婚に破れ、30代半ば、軽い気持ちで再婚したのはゲイの男性でした。「家庭にセックスは持ち込まない」を前提とした相手と、いつの間にか築いていたかけがえのないパートナーシップ。2013年に難病を患って以来、一人での外出は難しくなり、インタビューにも夫が付き添ってきてくれた中村さんに、性とパートナーシップについてたっぷりとお話を伺いました。ヨミドクターリニューアル記念のスペシャルインタビューです(1月にインタビューしたので、写真が冬服になってしまって申し訳ありません)。

 ――中村さんの若い頃の結婚観や男女観は、どのようなものでしたか?

 「結婚願望は高くなかったです。自分が育った家庭も、父親が外で働き、母親が専業主婦で子どもがいるというもので、それがモデルケースだったわけですが、私が思春期の頃にはフェミニズムの風潮が高まっていて、女性誌も『結婚しても働き続ける』ことを推奨していましたね。中学、高校ぐらいになると、そういう雑誌に影響されていました」

――どんな雑誌を読まれていたのですか?

 「それこそ『アンアン』とかでしたが、『アンアン』も今よりとんがっていた時代で、前衛的で自由な女を持ち上げていました。フランス風に恋もセックスもフリーな女や、奔放を推奨する雰囲気でしたね。私は専業主婦の母を見ていて、ほとんど家を出ないし、つまらなそうだから、自分は結婚したとしても働こうと思っていました」

――お母様のどんなところがつまらなそうと感じていらしたのですか?

「大人になって、後から考えたことですけれども、母は何かと世間体を気にする人だったんです。日本人の一般的な感覚だったのでしょうが、『世間に対して恥ずかしいかどうか』が行動の基準。ところが、その『世間』というのが近所のおばさんであったり、顔の見える範囲の他人であったり、とても狭いのです。自分が大人になって、こういう仕事をしていると、世間は顔がない匿名集団になっていくわけですが、母にとっては近所のおばさん。その狭い世界の中で、自分の家族や暮らしぶりが笑われたり、批判されたりするのを恐れるという小ささのようなものが嫌でした。専業主婦で家から出ないと、こうやって世間が狭くなっていくのだなと思っていました」

「今思えば、それが母の性格だったのでしょうけれども、自己主張がなく、父親の決めたことにすべて従うという関係性でした。当時は、やはり食わしてもらっているから発言権がないのかなと思って、自分はちゃんと経済的に自立して、男女はフィフティーフィフティーにならないといけないと思っていたのですが、母としてはきっと、自分で決めなくて済むから楽だったのでしょうね。父は商社マンだったのですが、ほとんど家には帰らずに仕事をして、日曜日は接待ゴルフ。高度成長期の猛烈サラリーマンを体現していました」

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