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歌手 水前寺清子さん

一病息災

[歌手 水前寺清子さん]腰部脊柱管狭窄症(2)人生変えた恩師との出会い

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[歌手 水前寺清子さん]腰部脊柱管狭窄症(2)人生変えた恩師との出会い

 熊本での恵まれた日々から、東京で財産のない厳しい生活に一転した。父は一家の再興を、歌のうまい末娘を歌手にする夢にかけた。末娘が中学生になると、工面して夜間の音楽学校に通わせた。

 高校2年で、歌手の登竜門だった「コロムビア全国歌謡コンクール」に東京代表として出場し、2位になった。審査員だった、生涯の恩師となる作詞家、星野哲郎さんの目に留まった。翌年からレコードの吹き込みが始まったが、発売に至らず、お蔵入りとなった。こんなことが2年間に11回も続いた。

 「君には、もっと合う歌がある、と星野先生は励ましてくれました」。レコード会社を移り、星野さんが別の歌手用に作ったものを、題名、歌詞の一部を変えて作り直したのが、「涙を抱いた渡り鳥」だ。

 「星野先生からは、最後のチャンスと言われたの」。19歳になった直後の東京オリンピック開催中に、初めてのレコードが店頭に並ぶと、大ヒットになった。

 芸名は故郷の熊本市の水前寺公園と、名将の加藤清正からとった。「ちいさな、たみちゃん(本名・林田民子)」の気持ちを忘れないようにと、星野さんは「チータ」という愛称も作ってくれた。

 翌年の「紅白」に念願の初出場。だが、その3か月後、長く後遺症に悩まされるステージ事故が起きた。

 

  歌手  (すい)(ぜん)()   (きよ)() さん(70)

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