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寒竹葉月~男に生まれ女として生きる~

yomiDr.記事アーカイブ

(5)私達の未来 ~性同一性障害の壁を越えて~

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 2016年、私は34歳になる。沖縄に移住し、大阪に帰ってきて5年間。この5年間の中で、私は性別適合手術を受け、戸籍変更して、夢だった「伝える」ということにひたすら駆け回っていた。きっかけは、知人を通じて沖縄県内の高校で、「性同一性障害を学ぶ」という授業の特別講師を務めることになったことだ。その授業の中で、私は自身の性同一性障害に悩み、偏見の目でイジメを受けていた学生時代について話し、一人一人の生徒にお願いをした。

 「もしあなたの隣に性に悩む子がいたなら、手を差し伸べてほしい」と。「理解することが難しくても、理解したいと歩み寄ってきてくれるその一歩が、差し伸べてくれるその手が何よりの救いになるから」と。

 3回の授業が終わり、ある生徒が私に手紙をくれた。「自分もセクシュアル・マイノリティーで生きる道に悩んでいた」と書かれており、最後に「葉月さんに勇気をもらいました。カミングアウトのこと、自分の道、これから迷わずに生きていけそうです」と締めくくられていた。勇気をもらったのは私の方だった。「伝える」という夢への背中を押してもらったのだ。

性同一性障害の「過去」「現在」「未来」

 

 そして、5年間でたくさんの性同一性障害と闘う当事者と交流があった。

 時間は、「過去」「現在」「未来」へと常につながる。当事者にとって「過去」とはどんなものだったのだろう。

 年配の当事者とも交流をもつ中で、その当事者の方々から教えてもらう「過去」は私が考えていた以上の、時代の厳しさだった。まだ、メディアも性同一性障害という言葉を多くは使わず、時々、ニューハーフとしてテレビに登場する限定された人たちのみの情報。もし、自分の周囲にカミングアウトすれば軽蔑の視線を向けられ、社会の中ではバカにされることも多かった。そして、カミングアウトしても家族に理解されず、「家族まで苦しめることになる」と考えることが多かったと教えてもらった。

 自分の気持ちを抑え、「心」にある「性」とは違い、生まれたままの身体の性で自分を押し殺して生きてきた当事者の人たちがいる。長い年月を耐え、やっとありのままの性で生きようと決意できたと言う。それほどまでに当事者として現実を生きるのは厳しい「過去」があった。

 確かに、今の時代に生まれた私たちは少し生きやすくなったのかもしれない。早い時期からホルモン注射を始められ、手術や戸籍変更を明確な目標にできる。

 だが、それは全て、自分の気持ちを抑え自分を押し殺して生きてきた人たちが切り開いてくれた道でもある。その人たちがいてくれたからこそ、その人たちが声をあげて自分たちの存在を主張し、闘ってくれたからこそ、戸籍変更が法律で認められた。ホルモン治療を実施する病院が増えた。性同一性障害を研究する医師が増えた。「現在」の時代に生まれ、生きる私たちは忘れてはいけない。その「過去」を。

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寒竹葉月(かんちく はづき)

1982年、兵庫県生まれ。MTF(男性として生まれ女性の心をもつ)の性同一性障害、当事者。28歳で性別適合手術を受け戸籍変更後、女性の戸籍を取得する。同時に沖縄に移住し、コラムニストとして雑誌、新聞に連載をもち、ラジオやテレビに出演。GID(性同一性障害)学会に演者として登壇。一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会沖縄支部副支部長を務める。現在は大阪在住。

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