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寒竹葉月~男に生まれ女として生きる~

yomiDr.記事アーカイブ

(5)私達の未来 ~性同一性障害の壁を越えて~

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存在が知られるようになった「現在」

 

 では、「現在」は、当事者にとってどんなものだろうか。性同一性障害を診療する精神科医も、ホルモン治療をする病院も増えた。条件を満たせば性別の変更もできる時代になった。では、この数年で「何が」どれほどまで変わったのか。法律や医療など挙げられる例はたくさんあるが、一つの大きな現実は「その存在が知られるようになった」ことだろう。

 現在、連日のようにテレビではセクシュアルマイノリティーの方々が登場する。そのほとんどはバラエティー番組だ。世間の人は、それを何気なく自宅でテレビに向かい、笑いながら見る。そして、「あぁ、こんな人たちもいるのだ!」と知られるようになる。しかし、「その存在」はテレビの中や他人の話の中にあること。実際、自分の友人や家族に当事者がいれば、誰もそんな反応はしない。

 特に家族の中に当事者がいた時、「そういう人がいると聞いたことはあるけれど……」だけでは終わらない。

 これが時代の流れが生み出した「認識」と「認知」の違いだ。「知る」ということは、そう難しいことではない。だが「理解」するということは簡単にはいかない。

 「テレビで見て知っているから」「友達の友達にそういう人がいるから」

 それは自分とは直接関係のないただの情報を知ることだ。

 実際、自分がカミングアウトをする側にいた時、「現在」はどこまで理解してもらえるだろうか? カミングアウトを「する側」と「される側」が全てを理解し合う。それは過去も現在も変わらず大きな壁としてそこにある。

 私がテレビのドキュメンタリー番組に出演し、学会などで講演し、新聞にコラムを書き伝えたかったのは、当事者に向かってだけではない。当事者の家族、周囲に向けても伝えたいことがあったのだ。

 自分が性同一性障害だと自覚した時、当事者は人生を大きく左右する岐路に立たされる。どう生きていけばいいのか、どの道が正解なのか。私自身も自分が性同一性障害だと自覚するまで、そして自覚してから何度も悩み苦しんだ。女として生きると決めてからも偏見や心ない言葉は止まらなかった。だけど家族が救ってくれた。何度も立ち止まり不安になると、家族が背中を押してくれた。

 たった1人でも、家族だけでも自分には「味方」がいるだけで心はどれだけ強くなれるか。それを当事者だけでなく、その家族や周囲に伝えたかった。

 沖縄の新聞での連載は、少なくとも私の夢への後押しをしてくれた。「正々堂々と生きている姿勢に勇気をもらいました」と声をかけてもらい、学会での講演や新しい新聞の連載も決まった。人前で話す講演も文章で書くコラムも楽なことではないし、ものすごく精神力を使う。だけど、聞いてくれた人や読んでくれた人の一言が私にいつも勇気や力をくれる。

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kanichiku_120

寒竹葉月(かんちく はづき)

1982年、兵庫県生まれ。MTF(男性として生まれ女性の心をもつ)の性同一性障害、当事者。28歳で性別適合手術を受け戸籍変更後、女性の戸籍を取得する。同時に沖縄に移住し、コラムニストとして雑誌、新聞に連載をもち、ラジオやテレビに出演。GID(性同一性障害)学会に演者として登壇。一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会沖縄支部副支部長を務める。現在は大阪在住。

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