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原隆也記者のてんかん記

闘病記

誇りを持って生きよう

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 このコラムを始めるにあたって、どのような感想が寄せられるのか、やはり患者の事故を巡る批判が多いのではと不安がありました。しかし、実際には、患者さんや医師だけでなく一般の方からも、多くの励ましのメッセージをいただくことができました。深く感謝しています。

 このコラムの初回で書いたように、てんかんへの偏見はどこから来るのか、ずっと考え続けてきました。その答えの一つとして、病気について隠すことが原因だと思い至りました。鹿沼の事故も祗園の事故も池袋の事故も共通するのは、病気を隠していたことです。彼らが病気を受け入れ、周囲に病気を説明していたら事態は違っていたのではないでしょうか。

 「病気に偏見があるから隠すのだ」という主張もあるでしょう。また、明らかにすることで、できることが限られたり、会社の採用を断られたり不利益を被ることもあるでしょう。残念なことに実際、コラムに感想を寄せていただいた患者さんの中にそうした人たちがいます。この原因にはてんかんへの無理解があるからです。

 しかし、理解を広げようにも、最初から病気を隠してしまえば、相手に正確な情報が伝わらず、推測や誤解だけが残ってしまいます。これこそが偏見と言われるものではないでしょうか。つまり、隠すということは、偏見を解消する努力を最初から放棄していると言えます。

 確かに病気を明かすには勇気がいります。てんかんの啓発運動「パープルデー」の創始者・ キャシディー・メーガンさん の母、アンジェラさんは「いまだにてんかんへの理解を欠いた発言に傷つき、怒り、涙を流します」と言います。

 それでも、自分の言葉で説明すれば、相手に通じると私は信じています。このコラムへの感想で、患者ではない方から「病気を誤解していた」という声も寄せられました。

 私もかつてそうでしたが、「隠す」のは後ろめたさがあるからです。でも、てんかんになったことで、やましいことは何もありません。もちろん、家系や遺伝子のせいでもありません。

 病気のために、ほかの人よりできることが限られ、悔しい思いをしたり、将来に不安を抱いたりすることがあると思います。でも、患者さんや家族の皆さんにお願いです。できないことを嘆いて将来を悲観するより、できる範囲でベストを尽くし、病気への誤解に基づいて作られた壁はみんなで壊しましょう。そして、誇りを持って生きていってほしいと思います。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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原隆也記者のてんかん記_201511_120px

原隆也(はら・りゅうや)
1974年、長野県出身。南アルプスと中央アルプスに囲まれた自然豊かな環境で育つ。1998年、読売新聞入社。千葉、金沢、横浜支局などを経て2014年9月から医療部。臓器移植や感染症、生活習慣病などを担当している。趣味は水泳、シュノーケリング。

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