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寒竹葉月~男に生まれ女として生きる~

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(3)性を越える ~この痛みを抱いて女に生まれ変わる

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(3)性を越える ~この痛みを抱いて女に生まれ変わる

性別適合手術を考え始めた27歳の頃。ショークラブで働いていた

 2009年3月頃、私はホルモン治療を開始して1年半が () とうとしていた。27歳の私はそろそろ性別適合手術を考えはじめていた。まずは4月に名古屋にあるクリニックで 睾丸(こうがん) 摘出手術をして、次の日に大阪で豊胸手術を終えた。

 本来、戸籍変更の条件に豊胸手術は入っていないが、当時ニューハーフのショークラブで働いていた私は自分が出ているショーのビデオをチェックする度に胸が小さく思えて嫌だった。そのこだわりから豊胸手術を受けることにした。

 そして同時に、私は法務局と韓国総領事館の往復を繰り返していた。通常なら、精神科医の診断書と最後の性別適合手術を受ければ、戸籍変更の手続きができるが、私は韓国人の父と日本人の母との間に生まれ、韓国籍で出生届が出されていた。そのため、日本では韓国人として特別永住権を所有する扱いとなっていた。

 韓国人のままでは日本で戸籍変更ができない。かと言って、韓国で戸籍変更するには、数百万円の費用と長い期間が必要だった。日本で生まれ育ち、日本人として生きてきた私は帰化申請をすることに決めていた。帰化申請には、膨大な書類を用意し、申請許可が下りるまでに半年以上の時間がかかることも、私にとってはハードルが高い。行政書士を雇い、すべて任せることもできたが、あえて自分で申請の準備をした。自分のルーツをしっかり再確認したかったからだ。

 書類を集めるのに1年ほど時間がかかった。法務局から言われた書類を領事館に申請し、韓国から取り寄せた書類は韓国語なので、日本語に訳してもらい、法務局に持っていく。そしてまた、次の書類をそろえるように言われる。気が遠くなるような作業だった。

 書類がすべてそろう頃、私はショークラブをやめて、沖縄に移住した。目前に迫っていたタイでの性適合手術を前に、自分の第二の人生を、昔から大好きだった沖縄で過ごしたいと思うようになっていたからだ。異例ではあったが、性同一性障害という事情も含め、沖縄の法務局の担当の方は親切で、良くしてくださり、何とか申請までたどり着いた。この帰化申請で、自分の人生はまた新たなスタートを切ろうとしている。私の人生は他の人よりも少し壁が多いが、その壁を越える度に気付かされる。こんな生き方だったからこそ、出会えた試練と経験のありがたさに。壁を越える度に強くなれる自分に。

「世界最高レベル」の手術のためにタイへ

 

 2010年4月4日、私はタイのバンコクにいた。目的は、性別適合手術を受けることだ。タイで性別適合手術を受けるためには、タイにおける性同一性障害の診断書と健康診断が必要になる。手術を受ける病院に行く前に、別の病院で精神科医の診察と検査を受けた。

 タイでのスケジュールや移動などは、全てアテンド業者と呼ばれる仲介者がしてくれる。手術を受ける病院では、執刀医との面談で、手術の方法の最終確認などをして入院。日本で手術を受けるより手続きや移動が多いが、性別適合手術の技術を考えると、日本では手術する気にはなれなかった。その医師は、性別適合手術では世界最高レベルの技術を持っていると言われていたから、少しの手間がかかってもお願いしたかった。

 手術前、朝から忙しく移動していたので時間を忘れていた。ふと静かな病室で1人になると不思議な気持ちになった。物心ついたころから、自身の心と一致しない違和感のある身体。28年間この身体で生きてきた。この身体のせいで (つら) い思いをした。だけど、この身体のおかげで経験できた出来事がたくさんあった。この手術が終われば戸籍変更ができる。戸籍上も女として生きていける。誰でもできるわけではない経験。性同一性障害に生まれたからこそ得られた痛み。それが自分を強くしてくれた。運命は、時に残酷な試練を与える。だけど乗り越えた時、強さと優しさをくれる。おもしろい人生と運命だなと思っていたら、看護師が病室に入ってきて手術室まで運ばれた。何人かの看護師や医師がいて、最後に執刀医が笑顔で入ってきた。その笑顔の記憶を最後に私の意識は途切れた。

手術後の苦痛に漏れた弱音

 

 性別適合手術を受けた私は、痛み止めのモルヒネに拒絶反応が出た。それでも術後の痛みを抑えるためにモルヒネを打ち、吐き気に襲われ、眠れず、何も食べられない。身体のダメージだけでなく、精神的なダメージを負って弱りきっていた。看護師の人たちが、私を気遣い、色々と話かけてくれた。あまりに弱っていた私にアテンドの人も気遣って毎日お見舞いに来てくれて、日本食なども用意してくれた。

 だが、形成した (ちつ) が塞がらないように器具を入れるので、その痛みで術後5日間は歩けない。ダメージはどんどん増していった。やっと器具が取れると次は膣の大きさを維持するために棒状の器具を入れて1時間固定させるダイレーションと呼ばれるリハビリも、1日2回、毎日行う。まだ傷も塞がらず、出血も止まらない痛みが強い時に、このリハビリが始まるのだ。手術前に予想していたより、はるかに辛い毎日だった。

 日本にいる母に、手術が成功したと報告したくて電話をした。念願の手術成功の報告電話なのだから、喜びでいっぱいのはずだった。だけど、身体と精神のダメージで弱りきっていた私は母の声を聞いた瞬間、泣き出した。吐き出すように弱音を言って、ただ泣き続けた。そしてつい「帰りたい」と言ってしまった。母は黙って私の弱音を聞き続けてくれた。だが、「帰りたい」という一言で、母から言葉が返ってきた。

 「自分が選んだ道やろ! 女として生きるって決めた時の覚悟を思い出しなさい!今までの辛さに比べたら、そんな痛み平気やろ!」

 慰められるより怒られた。そう言われて私は立ち直った。人が生まれ変わることはたやすくはない。ましてや「男」から「女」に性別を超えて生まれ変わるなんて。大変な道だからこそ、この「痛み」がある。この「痛み」を抱いて私たちは「女」に生まれ変わる。

(続く)

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kanichiku_120

寒竹葉月(かんちく はづき)

1982年、兵庫県生まれ。MTF(男性として生まれ女性の心をもつ)の性同一性障害、当事者。28歳で性別適合手術を受け戸籍変更後、女性の戸籍を取得する。同時に沖縄に移住し、コラムニストとして雑誌、新聞に連載をもち、ラジオやテレビに出演。GID(性同一性障害)学会に演者として登壇。一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会沖縄支部副支部長を務める。現在は大阪在住。

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1件 のコメント

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帰化申請

りゅう

記事を読ませてもらいとても感銘を受けました。 僕も葉月さんと同じ、性同一性障害のFTMです。そして、在日韓国人です。 ホルモン治療をはじめ、オペ...

記事を読ませてもらいとても感銘を受けました。
僕も葉月さんと同じ、性同一性障害のFTMです。そして、在日韓国人です。
ホルモン治療をはじめ、オペをしようとしています。
それと同時に帰化申請も開始しようとしてます。
質問です。
帰化にはとても時間がかかりますが、申請が通る前にオペをしたいのですが、それでは帰化が通らなくなるという問題は起きたりしないですか?
コメント上にお答えしていただければ幸いです。よろしくお願いします。

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