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震災体験を語り継ぐ高校生…友の分まで生きる決意
刻んだ思い出は消えない
東日本大震災で友人らを亡くした宮城県東松島市の高校1年生3人が、震災の体験を語り継ぐ活動を続けている。
あの日から11日で丸5年。「自分の言葉で震災を話せる最後の世代が私たち」という16歳の3人の言葉を伝える。
3人は当時、市立大曲小学校5年生の、石巻高1年の
震災前に住んでいた自宅はいずれも津波被害を受けて全壊し、仮設住宅やみなし仮設で一時暮らした。3人とも家族は、小学校や内陸部に避難して無事だった。
雁部さんは真っ黒な津波を小学校の玄関で目の当たりにした。逃げようとした50歳代ぐらいの男性が自分のほうに手を伸ばしたまま流される姿が、今も頭にこびりついている。多数の遺体を見てしまい、「自分は何もできなかった」と後悔や恐怖を感じた。
3人の共通の友人は行方不明となり、その後、死亡が確認された。避難して転校する児童も多かったが、何事もなかったかのように授業が再開された。
学校では教師から、震災の話はしないように、と言われた。混乱しないようにとの配慮だったのかもしれない。だが、雁部さんはその言葉で「震災のことは人に話してはいけないんだ」と思いを押し込めてしまった。被災しなかった友人もいて、心に壁を感じた。
転機は2年前、次の防災につなげたいと被災体験を赤裸々に語る同年代の人たちと接したことだ。「伝えることで、次にまた同じようなことが起きた時、被害を減らせるかもしれない。命を守るため、これから災害が起きるかもしれない『未災地』と体験を共有したい」と話す。将来は防災にかかわる職業に就きたいと考えている。
津田さんは自宅が流されて仮設住宅で暮らす中、外で体を動かすことも、1人になって自由に過ごす時間も少なくなった。友人を亡くした悲しみも「両親に心配をかけたくない」と言えず、ストレスをためこんだ。
中学生になって生徒会活動を通じて震災体験を話すようになった。太平洋戦争を経験した祖母からの「語り継いでいかないと、人間は忘れる生き物だから同じことを繰り返してしまう」という言葉が胸に残っていたからだ。
家や思い出の品は津波で流され、すべてなくなった。だが、「自分の心の中にあるものは消えない」と津田さん。亡くなった友人と道草しながら帰ったこと、遊んだ思い出は胸にしっかり刻まれている。
相沢さんは震災前日、その友人と帰り道にけんかした。仲直りできないままで、「なんで私が生きて、あの子が死んだのだろう。私なんか生きている価値がない」と思うようになった。
それを救ったのが津田さんだった。何でも愚痴を聞いてくれ、時に「おまえ、またそうやって泣くな!」と強い口調で励ましてくれた。今は「苦しくても、つらくても生きていかないといけない」と講演会でも話す。友の分まで生きるために語り続ける。その決意に揺るぎはない。
■メモ 3人の語りをまとめた本「16歳の語り部」(ポプラ社 1300円税別)が発売中。20日午後1時15分からは、東京・市ヶ谷のJICA地球ひろばで、3人の講演会「3・11を学びに変える」がある。一般1000円。詳細は主催のNPO「キッズナウジャパン」(090・5634・6350)へ。(石塚人生)
(2016年3月10日 読売新聞夕刊掲載)
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