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原隆也記者のてんかん記

闘病記

そして医療部へ、キャシディーさんとの出会い

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そして医療部へ、キャシディーさんとの出会い

キャシディー・メーガンさん

 2014年9月、現在の医療部に着任しました。医療分野に関心はあったものの、これまで深く取材に取り組んだことはなかったため、異動は思いがけないものでした。

 職場には、病院や大学、製薬会社などから様々な情報が寄せられます。その中からニュース性の高いものや関心の高いものを選び出し、取材します。

 また、寄せられる情報の中には、病気ごとに専門の医師が記者向けに解説するメディアセミナーの開催案内があります。私は自分がてんかん患者ということもあり、てんかんをテーマとしたセミナーに何度か足を運びました。

 この中で、てんかんは100人に1人がなる、ありふれた病気であることや発作も、私のように意識を失って倒れるタイプだけでなく、一瞬だけ意識が飛んだり、持っているものを不意に落としたりするなど、様々な種類があることを知りました。特に忘れられないのは、ある先生の「てんかんはヒトを含む脳を持つ動物なら、皆なる可能性がある」という一言です。それまでは、私は自分の脳に異常があり、他の人とは違っていると思い込んでいたのですが、そうではないことを知り、心がずいぶん軽くなりました。

 その一方で、てんかんの患者にはうつを合併することが多く、自殺率の高さにつながっていることや診療科が神経内科、精神科、脳神経外科などにまたがり、患者がどこを受診すれば良いのかわからないという診療体制に課題があることも知りました。

 理解を深めていくにつれて、自分と同じように悩んでいる患者の存在も知るようになりました。職場には、様々な病気の患者や家族から手紙が届きます。その中にてんかんの患者さんもおり、「この先、治療や仕事を考えるとどうすればいいのか」といった悲痛な声が寄せられています。それらに対して、明快な助言ができないことに 忸怩(じくじ) たる思いがします。

 そんな中で出会ったのが、写真のカナダの高校生、キャシディー・メーガンさんです。キャシディーさんもてんかん患者で、7歳のときに意識が一時的に遠のく複雑部分発作と診断されました。その2年後から、毎年3月26日にてんかんのイメージカラーの紫色のものを身に着ける啓発運動「パープルデー」を始め、今では34か国が参加する世界的なイベントに成長させました。昨年の夏、日本の医師の招きで来日しました。キャシディーさんによると、病気のことを知った当初は、「てんかんを持っているのは私一人で、私は普通の子ではなくなってしまったのではないか」と不安だったったそうです。

 母親のアンジェラさんも「娘をてんかんと疑う医師を最初は信じられなかった」と言います。しかし、医師から発作の記録を付けるように指示され、その記録から複雑部分発作と診断されました。アンジェラさんは「複雑部分発作という言葉の意味や親としてできること、娘の人生がどうなってしまうのか全く分からず不安だった」と振り返ります。

 しかし、これ以降のアンジェラさんら家族のキャシディーさんに対する対応は偉大なものでした。「私たちは不安を見せないようにしていました。そしてどんなことがあっても味方になると伝えました」。クラスメートにてんかんについて理解してもらうため、地元のてんかん協会に依頼し、講演会を学校で開いてもらいました。

 こうしたことが後押しとなり、キャシディーさんはクラスメートに病気を打ち明けました。そして、世界中のてんかんの患者が普通とは違った存在、孤独な存在ではないことを知ってもらいたいと、「パープルデー」を発案しました。

 アンジェラさんはさすがに「一時的で小さな計画」に過ぎないと思っていたそうです。ところが、友人や保護者の協力と電子メールやフェイスブック、ツイッターを駆使して輪を広げ、最初の年は周辺の学校10数校が参加し、翌年からは米国でてんかんの啓発に取り組む財団の支援を受け、世界的なイベントへと発展しました。

 私は彼女たちの話を聞き、我々とのあまりの違いにがくぜんとしました。家族が不安を見せないよう努め、理解を広げようとてんかん協会に講演を依頼し、ついには、日本ならばたった小学校3年生の子どもが自らの病気を告白し、世界的な啓発活動を始める――。日本では家族が動揺してしまい、家族も本人もなるべく病気を隠そうとします。私もそうでした。信じられないことばかりでした。

 それでもアンジェラさんは言います。「パープルデーを始めたからといって差別がなくなってはいません。今でも(病気のことを聞いた)人の態度が変わることを見ます。このことは、あとどれぐらいの人に(てんかんを)理解してもらう必要があるかの指標になっているのです」。

 取り組みが進んでいるように見えるカナダでも根っこの部分は日本と変わりがありません。そこで、私も「てんかんに対する社会の変化を期待する前に、患者自身が変わらなければいけない。患者が病気についてきちんと説明しなければ他人の理解も得られない」との思いを強くしました。そうしてこのコラムを始めるに至りました。

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原隆也記者のてんかん記_201511_120px

原隆也(はら・りゅうや)
1974年、長野県出身。南アルプスと中央アルプスに囲まれた自然豊かな環境で育つ。1998年、読売新聞入社。千葉、金沢、横浜支局などを経て2014年9月から医療部。臓器移植や感染症、生活習慣病などを担当している。趣味は水泳、シュノーケリング。

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