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原隆也記者のてんかん記

闘病記

世界てんかんの日記念イベント講演要旨(上)病気のおかげで今の自分に

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 私のコラムは、おかげさまで患者さんや医師だけでなく、一般の方からも反響を呼び、2月7日に東京・新宿で開かれた「世界てんかんの日記念イベント」(日本てんかん学会、日本てんかん協会主催)で講演することになりました。300人という大勢の人前で話すのは初めての体験で大変緊張し、うまく思いを伝えられたかいささか自信はありませんが、その時の講演要旨を3回にわたってお伝えします。

プロローグ

 私は読売新聞東京本社医療部の記者で原隆也と申します。このたびは、こうした場で皆さんにお話しする機会をいただき、関係者の方々に深く御礼申し上げます。

私の簡単な経歴をご説明いたします。出身は長野県です。長野県でも南部で、諏訪湖の南に伊那市という町があるのですが、このさらに隣町です。南アルプスと中央アルプスに囲まれ、2つの山脈の間を天竜川が流れる自然豊かな地域です。地形から伊那谷ともいわれます。

 高校を卒業するまで特別大きな病気をすることもなく、また特別な才能が開花することもなく、1浪して大学に入学し、1998年(平成10年)3月に大学を卒業しました。読売新聞に入社後、千葉、金沢、横浜各支局を3年単位で異動しました。各支局では県警や県庁、市役所を担当し、事件事故、話題や地方自治をテーマに取材し、2009年から本社勤務となりました。

 現在の医療部には2014年9月から所属しています。医療部といいますと、名前の通り、病気のことを取材する部署と思いつかれるのではないでしょうか。でも、実際どんな記事を書いているのかは、イメージしづらいかと思います。

新聞社と言いますと、国の政策や政局などを取材する政治部や、景気や産業界の動向をウォッチしている経済部、事件・事故を追う社会部が代表的です。

 医療部は主要な全国紙で唯一、読売新聞だけにあります。コンセプトは、患者目線で様々な病気の治療の現場や課題をリポートすることです。私の担当は、主に感染症、たとえば今話題のジカ熱や、身近なものではインフルエンザなどです。また、このほかに糖尿病やメタボ、高血圧といった生活習慣病も担当しています。患者さんと、お医者さん双方を取材して、現在どのような病気にどのような治療が行われているのかをお伝えしています。

 本題に移ります。私は、てんかん患者です。読売新聞の医療情報サイト「ヨミドクター」内で患者であることを公表し、自分の体験を連載しています。

 今回、「てんかんとともに生きる」というテーマでこうして皆さんの前でお話しさせていただくことになりました。これからお話しすることが少しでも参考になれば幸いです。

まず、今回お話しさせていただくにあたって、自分の立ち位置というものを考えてみました。私はおかげさまで抗てんかん薬が効き、最後の発作から5年以上が経過しています。てんかんの患者さんの中にはお薬が効きにくい、いわゆる難治性の患者さんの苦労に比べればたいしたことはありません。そこで、病気でお悩みの方と健常者の中間点と考えました。

また、てんかん発作の事故による報道が相次いでいますが、私はてんかん患者であると同時に、報じる立場でもあります。以上を踏まえて私の考えをお話ししたいと思います。

自分がてんかんを発症した経緯とその後

 私の最初の発作は2009年10月でした。当時、私は全国から寄せられる事件や事故、話題などの原稿をチェックする地方部報道という部署にいました。事件や事故、話題というと社会部をイメージされる方もいるかもしれませんが、社会部は基本的に東京で起きる事件、事故、話題を担当し、地方部はそれ以外の各地の事件、事故、話題を担当します。例を挙げますと、先日、長野県・軽井沢であったバスの転落事故のように、現地の支局と連携して記事にまとめるところです。

 事件・事故はいつ、どこで起きるか分かりませんので、当時は記者2人が泊まり込みで警戒にあたっていました。この当直が月に6~8回ありました。この当直明けのときにテレビで流れるニュース速報を見ていたのですが、文字のテロップが滝のように下に流れ落ちる感じになり、そのうちに倒れてしまいました。病院に運ばれたのですが、初回の発作ではてんかんとは診断されませんでした。

 2回目の発作は、ちょうど1年後の2010年11月でした。この時も当直明けで、帰宅途中に買い物をしようと降りた駅で、普段使い慣れているにもかかわらず、降り口がわからなくなり、そのうちスイッチが切れたように意識を失いました。気付いたら病院にいました。コンクリートに頭をしたたかに打ち付けたらしく、後頭部を切り、出血していました。今振り返っても肝を冷やす思いがします。

 私の発作のタイプは、全身がこわばり、けいれんする 強直間代発作(きょうちょくかんたいほっさ) です。一般的にてんかんの発作としてイメージされることが多いタイプですが、発作には様々な種類があり、実際には、私のようなタイプの発作はそれほど多くはないといいます。

 この2回目の発作で、てんかんと診断されました。発作の原因に睡眠不足と疲労があるということで、取材現場からは離れなければならなくなり、9時~5時のいわゆる日勤職場に移りました。正直に申し上げれば、「なんで自分がこんな病気になるのか」と思い悩んだ時期もあります。その後、 紆余曲折(うよきょくせつ) がありましたが、現在の職場で医療関係をテーマに取材させていただけることになりました。

 てんかんにならなければ、病気や健康について関心を持たなかったかもしれず、こうして皆さんの前でお話しすることもありませんでした。今の自分があるのは、てんかんのおかげだと思っています。(続く)

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原隆也(はら・りゅうや)
1974年、長野県出身。南アルプスと中央アルプスに囲まれた自然豊かな環境で育つ。1998年、読売新聞入社。千葉、金沢、横浜支局などを経て2014年9月から医療部。臓器移植や感染症、生活習慣病などを担当している。趣味は水泳、シュノーケリング。

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