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東北大病院100年

ニュース・解説

第3部 東日本大震災(4)迅速対応へ 仮設診療所を 元院長に聞く

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震災後、東北大病院のミーティングで陣頭指揮を執る里見進さん(右、2011年3月14日)=同大病院提供

震災後、東北大病院のミーティングで陣頭指揮を執る里見進さん(右、2011年3月14日)=同大病院提供

 東日本大震災で、東北の医療拠点である東北大病院(仙台市青葉区)はどう動いたのか。震災から5年を前にどんな課題が残されているか。当時、病院長として陣頭指揮にあたった里見進・東北大学長に聞いた。

 ――東北大病院は沿岸部の病院の後方支援に回った。

 震災直後、沿岸部の医療が壊滅しているようだという情報が入ったため、石巻市などの病院にバスで医療スタッフを送った。ところが、戻ってきた医師は「現地の病院から来なくていいと言われた」という。現地の医師は当時、次々と応援派遣されてくる災害派遣医療チーム(DMAT)を配置する作業に忙殺されていた。やみくもに人を派遣しても、混乱に拍車をかけると考え、派遣は現地が要望する人数に抑えた。

 「現地入りしたい」と訴える医師もいたが、後方支援に徹する方が役に立つと説得し、無条件で患者を受け入れる態勢を整えた。4月末までの約2か月間で受け入れた入院患者は約1500人。そのうち、約450人は沿岸部からだった。

 ――医師全員に専門を捨てて、総合医になるようにと伝えた。

 災害時は「眼科だから肺炎の患者は診られない」とは言っていられない。東北大病院にはあらゆる分野の専門家がそろっている。困ったら誰かに相談することにして、まずは患者を診るように、と要請した。

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震災当時を振り返る里見さん(15日、仙台市青葉区で)=冨田大介撮影

 ――震災後、通信回線が機能しない病院もあった。

 東北大病院など災害拠点病院は、国の医療情報システムを通じ、各病院の被災情報や受け入れ可能な人数などをインターネット上で共有できる。だが、今回の震災では、最大190万回線の固定通信が被災し、最大2万9000の基地局が停止した。非常用の通信手段の確保が不可欠だが、その手段や運用ルールの具体化は遅れている。

 総務省の研究会は昨年12月から非常用の通信手段を整える議論を始めた。東北大病院の医師も研究会のメンバーになっている。震災の教訓を議論に生かしてほしい。

 ――震災を経て見えた課題は。

 災害時にすぐに仮設診療所を設置できるよう準備しておくべきだ。そこにDMATなどが集まり、医療の拠点になれば、災害医療は変わる可能性がある。今回の震災で、イスラエル軍が南三陸町に設置した仮設診療所はエックス線撮影の機器などを備え、非常に有用だった。当時、言葉の問題などから設置に反対したが、彼らの装備を見て驚いた。

 仮設診療所1か所につき10億円かかるとしても、10か所の仮設診療所ができれば、ほとんどの災害に対処することができる。支援活動が終わったら、診療所は撤収して次に備えればよい。

 また、海外で災害が起きた場合、救援隊と一緒に持っていけば、感謝されると思う。効率的な海外支援のあり方としても活用できると思う。

 (第3部おわり。この連載は加納昭彦が担当しました)

さとみ すすむ 東北大医学部卒。同大第二外科教授などを経て現職。国立大協会長。専門は移植外科学。67歳。
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