東北大病院100年
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第3部 東日本大震災(3)歯カルテ データ化急務 身元確認に尽力した歯科医
東日本大震災では、県内だけで延べ約2000人の歯科医が犠牲者の身元確認にあたった。「人間の履歴書」とも呼ばれ、変化しにくい歯の治療痕が有力な手がかりになった。
東北大病院(仙台市青葉区)の歯科医は全国から応援部隊が到着するまでの間に確認作業にあたり、同大の情報工学の研究者は遺体から得た歯科情報と行方不明者の治療歴のカルテを照合する専用ソフトを作った。県歯科医師会の身元確認班長・柏崎潤(51)は「東北大の献身的な協力がなければ、身元確認は成り立たなかった」と振り返る。
東北大歯学研究科長の佐々木啓一(59)が県歯科医師会に協力を申し出たのは震災2日後。「連日40人出してもらえないか」と返事があった。
「行けるやつは手を挙げろ」。佐々木が翌朝、同研究科のミーティングで呼びかけると、多くの手が挙がった。「一人一人の思いがありがたかった」。最も人手が足りなかった3月15~18日は、毎日40人規模で派遣、4月8日までに延べ250人以上を応援に出した。
現場のとりまとめ役は、同研究科の准教授・鈴木敏彦(48)。歯科医の免許を持つが、普段は日本人の祖先の姿を探ろうと、人骨を調べている研究者。臨床の経験はほとんどなかった。最初に派遣されたのは、高台にある学校の体育館。停電で照明がついていない館内の床一面に遺体が並んでいた。手を合わせてから歯の治療痕などを調べた。
遺体安置所を兼ねていた体育館では、鈴木が記録している背後で、すすり泣きが聞こえた。別の場所では、ランドセルを背負い、避難用ヘルメットをかぶったままの小学生の姿が多くあった。避難の途中で津波にのまれたのだろう。同世代の我が子の顔が浮かび、「一人でも多く、遺族の元に返さなければ」と誓った。
遺体から集めた約5000人分の歯科記録と、行方不明者の生前の治療歴のカルテを短時間で照合するシステム「デンタルファインダー」を作成したのは、東北大教授の青木孝文(50)。上下32本の歯について、虫歯治療の有無などに応じて5分類したデータをパソコンに入力。生前のカルテと照らし合わせる仕組みで、数千人から瞬時に似た人を絞り込める。
指紋などの生体認証が専門の青木の原点は、520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故(1985年)。身元確認が難航したことから、情報技術の活用はいずれ必須になると確信していた。
県警によると、県内の震災犠牲者で身元を確認できたのは9523人(今年2月12日現在)。このうち歯が決め手になったのは918人で1割を占めた。「ただ、多くの歯科医院が被災し、カルテも流され、生前のデータを集めるのは難航した」と鈴木は唇をかむ。
南海トラフ巨大地震では最悪32万人が死亡すると想定されている。「災害は待ってくれない。カルテのデータベース化を急ぐべきだ」。震災を経験した鈴木と青木の共通の願いだ。(敬称略)
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