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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

明治の女性医師2人の物語を通じ…日本社会の成熟度を考える

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 世界経済フォーラム(WEF)が発表した2015年男女平等ランキングで、調査145か国中、日本は101位と絶望的に不名誉な順位にあるというニュースを聞きました。

 私が理事長をしている日本神経眼科学会の総会が、11月6、7日の両日、さいたま市の大宮で開催されました。眼科医だけでなく、神経内科や神経生理学など関連する周辺領域の学者も参加する学会で、例年600人以上が参加する中規模の専門学会です。この学会では67の研究が発表されましたが、女性の発表は20ありました。約30%です。

 平成24年現在、日本の総医師数は30万人余りで、そのうち女性は19.7%を占めるにすぎません。OECD(経済協力開発機構)加盟の34か国の単純平均では、人口10万人あたりの医師数3.2人ですから、日本の2.2人は依然として低いだけでなく、女性医師の比率もOECDの国の中で最下位を争っています。

 そうした中では、この学会での女性の活躍は目立っているほうだといえるでしょう。

 しかし、活躍の裏にはいろいろな苦労があるのが、男の私でも垣間見えます。例えば、研究や学会の時間に、子供の世話を夫や、両親や、ベビーシッターに頼るしかありませんが、いつも条件が整うわけではありません。遠慮や、心苦しさ、周囲の目の無言の圧迫感からか、第一線での活動を諦めてしまう後輩を何人もみてきました。せっかくの人材、もったいない話です。

 私は、女性が医師になることが制度上も、時代の風潮からも大変困難であった明治時代、彼女たちがどういう思いで医師になり、そしてどういう形でこれを実現していったのかを調べはじめたことがきっかけで、まず、日本初の女性眼科医、右田アサのことを「高津川」(青志社)という小説にしました。

 今度は、明治の末、何と19歳で国家試験に合格した愛媛県内子町出身の女性医師、尾崎マサノについて調査し、フィクションの形でまとめ、同社から「 茅花(つばな) 流しの診療所」として刊行しました(=写真)。

 いずれも、明治からの時代に翻弄されながらも、果敢に進む女性医師たちの姿を描いたものです。前作が、医療小説大賞候補だという書評が出たほど、まずまずだったこともあるでしょう、この出版不況の中でもようやく 上梓(じょうし) できました。

 政府は「女性活躍推進法」を成立させたことを、盛んに 喧伝(けんでん) しています。ですが、社会の中の女性を特別視しているからこそ、この法律が必要だったことは間違いないでしょう。同時にこれは、女性が社会で活躍するのは当たり前という成熟した空気が、日本の社会にまだ醸成されていないことを物語っています。

 2人の女性医師の物語を通じ、日本の女性の社会的地位の成熟度をもう一度、歴史という時間の中で考えていただきたいと著者は願っています。

明治の女性医師2人の物語を通じ…日本社会の成熟度を考える
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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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