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虹色百話~性的マイノリティーへの招待

医療・健康・介護のコラム

第32話 新木場事件

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「ハッテン場」の公園で人が殺された

第32話 新木場事件

新木場公園の様子。遺体が発見されたとされる場所には花を手向ける人もいた。(2002年に筆者撮影)

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現在の新木場公園(2016年2月11日撮影)

 西欧のキリスト教の影響が薄い日本は、同性愛者に寛容な国だ、とつねづね言われてきました。そうでしょうか。

 16年まえのきょう、2000年の2月11日未明、新木場公園(東京都江東区)で1人の男性の遺体が発見されました。顔面は丸太で陥没するまで殴打され、身体には内臓破裂するほどの暴力が加えられていました。 

 警察は13日、新木場駅のビデオカメラに映っていた殺害された男性の写真を公開。15日には男性の母親が名乗り出て、被害者は大田区に住むSさん(当時33歳)であることがわかりました。

 16日夜、警察は江東区内の中学3年の少年(14)と定時制高校1年の少年(15)を、さらに19日未明、江東区のN(25)を強盗殺人容疑で逮捕しました。

 事件が起こったその日、私は参加していたゲイサークルの仲間と都内で合宿勉強会に参加していましたが、集まってきた誰彼となく、インターネットのゲイ向け掲示板で目にしたそのニュースを話題にしていました――「新木場で人が殺されたらしいよ」と。休日の未明に起こった事件は、まだメディアにも取り上げられていなかったと思います。でも私たちはそのニュースを 他人事(ひとごと) とは思えない、一種の「痛み」をもって、語り合ったのです。

 いまはどうか知りませんが、新木場公園は、ゲイが出会いを求めて集まるいわゆる「ハッテン場」として有名なスポットでした。ハッテン場とは、ゲイが出会って性的関係に「発展」できる場所、という意味です。また、この事件の起こる数年まえから都内のいくつかの公園で、ゲイが若者に追いかけられたという話も伝わってきていました。

 「いつかこういうことが起こるんじゃないか」、そう恐れていたことがとうとう起こったのが、16年まえの今朝でした。

性を理由とした憎悪犯罪

 同性愛者ということを理由に攻撃される、こうした行為をゲイバッシングと呼んでいます(このゲイは性的マイノリティー全般の意味も含んでいいでしょう)。暴力を振るわれ、ときには死に至らしめられることは、バッシングどころか、十分すぎるほど犯罪です。

 人種、民族、宗教などへの偏見や憎悪が元で引き起こされる暴行などの犯罪を、憎悪犯罪(ヘイトクライム)といいます。

 アメリカで憎悪犯罪に、ジェンダーや性的指向、性自認などにもとづくものも含める連邦レベルの法律「マシュー・シェパード法」が成立したのは、2009年10月。法律に名をとどめる大学生のマシュー・シェパードは、1998年、21歳のとき、ゲイであることをオープンにしていることを理由に撲殺されました。2人の若者に連れ出され、ひとけのない牧草地の柵に十字架の形で縛りつけられ、殴りつけられ、20ドルを奪われて零下の現場に意識不明のまま放置。通行人により発見されるも、意識を取り戻さないまま5日後に死亡しました。

 ゲイ解放運動もある程度の進展を見ていたアメリカで起こったこの事件は社会の注目を集め、ヘイトクライム法への機運が高まります。

 しかし、性的指向が憎悪犯罪の原因になることへの共通認識はなかなか成立せず、事件を過小評価しようとする動き(ただの強盗事件にすぎない、同性愛だったことは関係ない、など)にさらされ、実際に成立したのはオバマ大統領就任後の2009年でした。

 もちろん、法ができたからといって性を理由とした憎悪犯罪が消えたわけではなく、いまもゲイやレズビアン、トランスジェンダーが、そのことのゆえに暴力の標的となり、命を落としています。

凶行に及んだ少年たちが語ったこと

 マシュー事件の2年後、日本の新木場で起こった事件はどう扱われたでしょうか。

 多くのメディア報道は「凶悪化する少年犯罪」「金目当ての犯行」といったお決まりの型で終始し、同性愛者を狙った憎悪犯罪といった視点はほとんど見られませんでした。その後の公判でも、そのことに触れることはほとんどありませんでした。

 もちろん、被害者は亡くなっており、彼がゲイだったのかどうかは確かめようもありません。しかし、被害者がゲイだったかどうかは問題ではないし、詮索するべきことでもありません。問われるべきは、加害者たちがどう考えていたか、です。

 事件の公判を傍聴し、供述調書等を調査した風間孝・中京大学教授によれば (※) 、少年たちは自分たちの行為を「ホモ狩り」と呼び、その日に限らず、日頃から犯行を重ねていました。「金を巻き上げても相手はホモなので、警察に届けを出せばホモがばれる弱みがある」ため、被害届も出さないのでやりやすかった、と供述しています(実際には被害届は出されています)。さらに、

「私の場合、ホモ狩りに行く目的のメインは、殴ったり蹴ったりすることにありました」

「私は相手がホモなのでムカついていました。……男は女とセックスするものだ、と思っていたのに、男が男と変なことをすること自体、ムカついていたのでした」

 という供述もみられます。

 また、「ホモ狩りを何回かやっているうち、……何か自分がすごく強い人間に思え」るようになった、「警察に僕たちがやっていることがわからないというひとつの安心感が段々につき、相手はホモで、ホモはクズだからどうなってもいいヤツらなんだとお互い思うようになって」いった、とも語っています。

  (※)風間孝・河口和也『同性愛と異性愛』(岩波新書、2010年)

 冒頭の問いにもどりましょう。日本は同性愛に寛容な国なのでしょうか。あるいは新木場事件は「凶悪化する少年犯罪」で片付く問題なのでしょうか。

 さいわい新木場以後、私の知る範囲で殺人事件は起きていません。しかし、殺人未満のいじめ被害等は起こり続けています。また、有形無形の圧力のなかで、他者ではなく自分自身によって心身を (あや) める当事者も絶えることがありません。

 少年が凶行に及んで悪びれず、いまなお多くの当事者が自分を「恥じ」、心身ともに内攻する社会のどこがゲイに、性的マイノリティーに寛容なのか。

 亡くなった人を (しの) び、きょうはご一緒に考えていただければさいわいです。

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永易写真400

永易至文(ながやす・しぶん)

1966年、愛媛県生まれ。東京大学文学部(中国文学科)卒。人文・教育書系の出版社を経て2001年からフリーランス。ゲイコミュニティーの活動に参加する一方、ライターとしてゲイの老後やHIV陽性者の問題をテーマとする。2013年、行政書士の資格を取得、性的マイノリティサポートに強い東中野さくら行政書士事務所を開設。同年、特定非営利活動法人パープル・ハンズ設立、事務局長就任。著書に『ふたりで安心して最後まで暮らすための本』『にじ色ライフプランニング入門』『同性パートナー生活読本』など。

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7件 のコメント

そもそも論の罠とはごもっとも。

けん

そもそも論の罠とはごもっとも。公の場でのハッテンを自業自得のごとく酷評する意見には賛成できない。 褒められたことではないが、深夜の公園でのハッテ...

そもそも論の罠とはごもっとも。公の場でのハッテンを自業自得のごとく酷評する意見には賛成できない。
褒められたことではないが、深夜の公園でのハッテンが暴力を引き起こす程の迷惑だとは到底思えない。

異性愛者こそ繁華街でナンパし、公園や海岸でのセックス、コンドームやゴミを残し、どうやって撮影したのかと疑うようなAVやレイプ物を販売し、売春や不倫、女性の人権を著しく損害するような差別などの反社会的な行動をとるではないか。
実際、公の場で見るみだらな行為は9割以上異性愛者同士だろう。

同性愛が違法でない以上、男同士の行為も男女のみだらな行為と同じだと思う。
非難されるとするならば強い男性の性的欲求であり、そこに性的趣向の違いはない。
児童への性的趣向(ロリコン)や暴力的なフェチのように、同性愛を見る認識はゲイ自身こそが持つべきではないと思う。
パレードなどの欧米のマネでのゲイ活動に全く興味はないが、日本より遥かに根強く暴力的な対同性愛観の欧米で、ここまでゲイへの理解を勝ち得たのは同性愛者自らの性癖に対する誇りと内省(学習)があったからと思う。
結果的に、批判こそあれ、欧米一般社会は極めて現実的で正しい同性愛者の性的アイデンティティ浸透している。
一方、日本ではまだニューハーフや女装家がゲイの唯一のイメージでしかない。


新木場での事件で犯罪者がどれほど同性愛に対して嫌悪感を抱いていたか分からない。(ハッテン行為のような)隠れて行う行為をしている弱い立場の人間を狙っただけのような気もする。
どちらにしろ、殺人であり極刑に値する犯罪に違いはない。

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追記です。

永易至文

 今年の2月11日、新木場事件の現場を久しぶりに訪れて被害者を悼んだかたから写真をいただいたので、拙稿に追加で掲載してもらいました。「久しぶりに...

 今年の2月11日、新木場事件の現場を久しぶりに訪れて被害者を悼んだかたから写真をいただいたので、拙稿に追加で掲載してもらいました。「久しぶりに現場に行ったら、当時細くて添木で支えられてた梅の木も今は太くなり、樹の根元にはお花とお水が供えてあった。犯人(本文中のN)は懲役13年なので、もう出所している」とツイートされていました。献花があるのは、ほかにも事件を覚えているかたはいらっしゃるようです(ご遺族かもしれません)。

 この写真を提供してくださった星野慎二さんは、事件当時、裁判を熱心に傍聴し、それをネットで公開しています。
http://park.y-cru.com/sinkiba/index-1.html
 現在、横浜市で、性的マイノリティの子ども・若者問題に取り組んで、NPO法人SHIPと交流スペース「SHIPにじいろキャビン」を運営しています。
http://www.ship-web.com/Top.html

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そもそも論の罠

たかし

公共の場での行為が許されないということで性的指向を理由にした暴力が相対化されてしまうこと、それが日本型のホモフォビアでしょうね。 野外だけでなく...

公共の場での行為が許されないということで性的指向を理由にした暴力が相対化されてしまうこと、それが日本型のホモフォビアでしょうね。
野外だけでなく、有料発展場でもそういうことが起きうるし、二丁目でもそうだし、それに対して、そんなところに行くほうが悪いと、言えてしまう。

うっかりすると、野外発展がそもそも悪い論に納得してしまいがちだが、これは罠。警察に通報すればよいだけのことで、暴力の理由にはならない。

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