虹色百話~性的マイノリティーへの招待
医療・健康・介護のコラム
第33話 同性愛の脱病理化
同性愛を異常動物というアナクロニズム
昨年11月末、神奈川県海老名市の
しかし、市議会で辞職勧告決議案が提案されるにおよび、ついに謝罪、「LGBTにも理解を深め、市民に尽くす政治活動を行なうことで償う」と表明しました。
71歳のおじさんにいまさらとやこうや言うのもせんないことですが、まあ、みっともない一幕ですよね。
同性愛を犯罪または宗教的罪とした時代( 第26話 参照)、病理とすることで脱犯罪化を図った時代( 第11話 参照)、そしていまは病理ですらなくなった時代にきてはや30年ないし25年。いまさら異常動物と呼ぶアナクロニズムにはちょっとビックリポンでした。
え、30年とはいつからを指すのかですか? では今回は、同性愛が異常や逸脱からいかにはずされてきたか(脱病理化)をふり返ってみます。
アメリカ精神医学会にまつわる歴史
同性愛の脱病理化で有名なのは、アメリカ精神医学会の診断基準、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)をめぐる歴史です。
DSMの初版が刊行されたのは1952年。そこでは「同性愛」は「性的逸脱」のひとつとみなされ、「社会病質パーソナリティ障害」という大分類のもとに分類されていました。「同性愛」は診断名としてはまだ独立していません。
1968年刊行の第2版(DSM-2)で、はじめて同性愛が独立した診断名となりました。
ところが1969年の「ストーンウォールの反乱」を転換点に、1970年代以後、アメリカでは同性愛者解放運動が盛り上がります。さっそくゲイやレズビアンの活動家たちは、70年、71年のアメリカ精神医学会の年次大会に乗り込み、会場を混乱させたといいます。お上品なセンセイがたの渋面が、目に浮かびます。
その後、学会内外でもさまざまな議論が交わされ、1973年、ついに学会理事会は投票によってDSMから同性愛を削除することを決定。さらに、同性愛者に対する差別を解消することと同性愛者の権利を保障することをうたった公式声明を発表します。それから2年のあいだに、米国心理学会、全米ソーシャル・ワーカー協会、米国行動療法促進学会などメンタルヘルス関係の主要な学会が、次々とこの決定を支持するという声明を発表しました。なんだか時代のノリが感じられます。
ただ、同性愛は「病気」でこそなくなったものの、正常の範囲内となったわけではなかったようです。同性に惹かれるものがそのことを苦痛に感じ、変わりたいと望む場合には、同性愛を病気とみなすことができるという「性指向障害」という診断名が作られ、1980年の第3版(DSM-3)では、これは「自我違和性同性愛」と置きかわりました。あと時代の目で見れば、学者間の政治的妥協の結果とも評されるものでした。
とはいえ87年の第3版改訂版(DSM-3-R)では自我違和性同性愛も削除され、それ以来、同性愛はいかなる意味でも病気ではない、正常の範囲内とされるようになって現在に至っています。
* 以上の記述は、おもに『セクシュアル・マイノリティへの心理的支援』(岩崎学術出版社)に負っています。
5月17日という記念日
一方、WHO(世界保健機関)のICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems、国際疾病分類)でも、同様の経過をたどります。
1975年採択の第9版では「性的逸脱および障害」のひとつに「同性愛」という分類名が挙げられていました。しかし、1990年の第10版で「同性愛」という分類は削除され、「自我違和的性指向」という分類名が用いられています。同時に「性指向自体は障害と考えられるべきではない」との注釈も添えられています。現在使用されているICDは、その一部改定版(2003)で、もちろん日本でもそれが使用されています。
WHOがこの第10版を決議・採択した1990年5月17日は、性的指向が世界的にも脱病理化された日であることを記念して、毎年5月17日に「国際反ホモフォビアデー」(International Day Against Homophobia、通称IDAHO=アイダホ)の活動が呼びかけられています。ホモフォビアとは同性愛に対する嫌悪。現在は、国際反ホモフォビア・トランスフォビアデーとして、性的マイノリティー全体への理解促進を目指し、日本でも若い人たちを中心に近年、各地で街頭キャンペーンが取り組まれています(多様な性にYESの日 http://idaho0517.jimdo.com )。
また、1995年に同性愛者の市民団体「動くゲイとレズビアンの会」は、日本の代表的な精神科医たちの学会である日本精神神経学会へ申し入れを行ない、学会としての同性愛への見解を問いかけました。
90年代は日本の精神学界でも同性愛をはじめ性的マイノリティーについては、現代から見ればまだまだ差別的見解が横行していた時代です。市民団体のメンバーは理解のありそうな学会運営メンバーの医師を訪ね、精神医学関連の雑誌でも啓発的記事を寄稿させてもらい、DSMやICDなどの情報と当事者としてのリアルな見解を精力的に伝えてゆきました。
学会は問いかけに応え、「ICD-10に準拠し、同性への性指向それ自体を精神障害とみなさない」という見解を明らかにしています。
【関連記事】
精神病の定義とは?
カイカタ
精神病とは、政治的な意味が案外多いのかとおもます。同性愛が病気ではなく、それを差別する社会が病気なのかもしれません。
精神病とは、政治的な意味が案外多いのかとおもます。同性愛が病気ではなく、それを差別する社会が病気なのかもしれません。
違反報告
色々
N
動くゲイとレズビアンの会、裁判のイメージしかありませんでしたが、精神医学学会にも働きかけてたんですね。
動くゲイとレズビアンの会、裁判のイメージしかありませんでしたが、精神医学学会にも働きかけてたんですね。
違反報告
もったいない…
たかし
鶴指真澄さんはこの発言がなければ、ふつうの人権感覚を持った、ありふれた保守政治家だったはず。酔ってたとはいえ、もったいない。どこかの元知事の方と...
鶴指真澄さんはこの発言がなければ、ふつうの人権感覚を持った、ありふれた保守政治家だったはず。酔ってたとはいえ、もったいない。どこかの元知事の方と違って正式に謝罪しているわけだから、今後何らかの形で汚名を返上する機会を持って頂きたい。一度差別発言をしたから一生挽回の余地はない、という社会はそれはそれで窮屈な社会ではないかと思う。
とはいえ、やはり発言があったときは非常に驚いたし、やはり振り返っても下品な発言であった。特に、今だ孤立している性的マイノリティにとってはツライものだったのではないだろうか。
つづきを読む
違反報告