白血病と闘う~政治部デスクの移植体験記
闘病記
(12)私を支えた言葉…136日間の入院生活終了
入院中に読んだ本の中で、私を精神的に支えてくれた言葉をいくつか紹介したいと思います。
「打たれて傷ついた身が、健康人と同じことができるはずがない。傷ついた男には、傷ついた身にふさわしい生き方、生きていく工夫がある」
「健康人をまねて、むやみにあがき、嘆くのではなく、頭を切りかえ、今の身でできる最良の生き方を考えることである」
日頃から愛読している作家の城山三郎さんの「打たれ強く生きる」(新潮文庫)からの引用です。
城山さん自身、医師からがんを告知された経験の持ち主です。「なぜ、おれだけがと、無性に口惜しく、情けなく、腹立たしかった」と苦悶くもんする期間を経て、結局、誤診だったことが判明します。城山さんは以来、「明日のことなど考えず、今日一日生きている私を大切にしよう」と心がけるようになったと「無所属の時間で生きる」(同)に記しています。
新聞は毎日できるだけ読むようにしていました。職場の仲間たちが懸命に取材して作った紙面を見ることは、時に大きな励みになるのですが、「みんな頑張っているのに、おれは一体、何をやっているのか」と落ち込むことが多かったのも事実です。また、働かない日々が長期化してくると、自分が社会から取り残されたような焦りや孤独感を感じることも、たびたびありました。
しかし、健康に恵まれ、日々仕事に励む同僚や友人と、病床にある今の自分とを比べて落ち込んでも何の意味もない。自分は自分なりに、逆境の中でも、一日一日を少しでも楽しく、充実させる道を探っていくしかない。そんな気持ちにさせてくれる言葉でした。
「感傷に浸っている時間などない」…女性ジャーナリストの言葉、心に活
次は、1987年7月にがんで亡くなったジャーナリスト、千葉敦子さんの最後の著作『「死への準備」日記』(文春文庫)より。
「私は六年近く前に癌にかかって以来、自分の病気のことで泣いたためしなど、ただの一度もない。感傷に浸っている時間などありはしないのだ。肉体的な苦しさに歯を食いしばって耐えている時間以外は、どうやって残された時間を意味あるものに使うか、だけを考えてきた」
「癌にかかったことを知っただけで『世の中で重要なのは私だけ』とばかり、自分のことしか考えなくなってしまうような癌患者とは、共有するものは何も持たない」
かなり前に読んだ本で、センチメンタリズムとは無縁の、強い精神力を感じさせる文章が印象的でした。今回の入院であらためて読み直すと、背筋がすっとのびて、心に活を入れてもらったような思いがしました。
最後は、入院当初に、大学時代の友人が差し入れてくれた『道は開ける』(角川文庫・D・カーネギー)。原題は「HOW TO STOP WORRYING AND START LIVING」。直訳すれば「どのように不安に思うことや心配することを止やめて、生きることをスタートできるか」。その名の通り、不安や心配がいかに「人を食いつぶす」か、その恐ろしさと、どう克服するかが、豊富な事例とともに紹介されています。
「50歳を前に今さら自己啓発本か」と最初は思いましたが、入院中、これほど心の支えになった本はありませんでした。
「目の前の状況を打破できる可能性があるのならば、そのときは闘わなくてはいけない。だが、常識で考えて自分たちがどうしようもない、変えることのできないことに直面しているのならば、じたばたしたり、違った現実を夢見たりしない」
筆者はこのように、「変えられない運命を受け入れ、調和する」大切さを説く一方、「変えられることを変える勇気」の必要性も説き、両方を混同しないようにと指摘しています。それらを区別する境界線を自分の心の中に引けたことは、2度の白血病発病という「変えられない運命」にいつまでも固執し、くよくよしがちだった私には大きな収穫でした。
一方、本の中で、ある経営者が筆者にこう語る場面があります。
「たとえ一文無しになったとしても、悩んだりはしない。悩んだところで、なにも得られるものなどありはしないからだ。わたしはただベストを尽くし、結果は神の手にゆだねるとするよ」
これを読んだとき、私はありきたりかもしれませんが、「人事を尽くして天命を待つ」という成語を思い出しました。人としてできる限りのことをして、あとは天命に任せて心を労しない。心にストンと落ちたこの言葉を闘病生活の座右の銘にすると決めました。
◇
生き続けられるのは、多くの人のおかげ…「悩んでも仕方ないことは悩まない」
計136日間の入院生活でした。退院時の体重は57キロと、入院当初から10キロも減っていました。
6月24日の退院の日には、10人近い看護師が見送ってくれました。見送りしてくれたから褒めるわけではありませんが、医師、看護師らの対応はいつも冷静で手際が良かったと思います。あらためて重篤な病気を患った際の病院選びでは、治療・手術の件数の多さが重要な判断要素だと感じました。
ナースステーション前で看護師たちと記念の写真撮影をしました。私はこの写真を見るたびに自分に言い聞かせたいと思っています。医療スタッフ、O君、献血してくれた方々、ドナーとその家族、そして、一日も欠かすことなく病院に来て、いつも明るく私の身の回りの世話をしてくれた妻、もっとも心の支えとなった娘たち…。多くの人に支えられ、生き続けることができているという事実と、感謝の気持ちを忘れないようにと。
退院後も、発疹が広がったり、足がむくんで膨らんだり、ツメが割れたり、様々な症状が起こりますが、今のところ大事には至っていません。退院から半年近くが経過した2015年12月から、政治部デスクのローテーションに入って社会復帰しています(メインではなく、サブ的な役割ですが)。
今も、白血病の再々発、深刻なGVHDが自分の身に起こらないかという不安が時々もたげてきます。そもそも、白血病再発から5年後の2020年、私は生存する「40~50%」の中に入っているのだろうか、とも。そういう時は「悩んでも仕方ないことは悩まない。人事を尽くして天命を待つ、それだけだ」と心の中で唱えるようにしています。
◇
以上が、私の闘病記です。冒頭にも述べましたが、患者やその家族らが白血病と闘う上で、わずかなりでも参考やお役に立てればこの上なく幸いです。
白血病の説明の部分は、『インフォームドコンセントのための図説シリーズ GVHDと造血細胞移植』(豊嶋崇徳編・医薬ジャーナル社)、『血液のがんと言われたら…』(小澤敬也、翁家国・保健同人社)、『白血病と言われたら』(全国骨髄バンク推進連絡協議会)を参考に、専門家への取材も加味して私なりにかみ砕いて記しました。
(おわり。次回から、「白血病と闘う」番外編としてインタビュー記事を掲載する予定です)
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池辺さんのブログを読ませていただき、移植とはこんなにも過酷な治療なんだと 再確認しました。突然の高熱、連日の下痢、喉からの血痰、膀胱炎の血尿、皮...
池辺さんのブログを読ませていただき、移植とはこんなにも過酷な治療なんだと
再確認しました。突然の高熱、連日の下痢、喉からの血痰、膀胱炎の血尿、皮疹の引っ掻き傷、2枚爪など対処するだけで精一杯だったことが、池辺さんの文章によって整理できました。記者さんがご自分の体験を記事にしてくださることは得難い有り難いことだと感謝しています。
娘(41歳)は同じく初発2年目で再発、ドナーさんからの骨髄移植を受けました。医師によれば超がつくくらい順調にすべての過程をこなしたようです。ただ
服薬ができないので退院がのびています。人生初の服薬拒否に母も当院拒否になりそうです。池辺さんが書かれていたように心の悲鳴かもしれません。娘は穏やかですが精神疾患もあります。24歳で病名がつき、38歳では映画のような白血病を宣告され、母は「ガラポンに当たったと思ってたら、今度はなんと宝くじ?」
と思わず発しました。娘は4月21日生まれ、そうです池辺さん、エリザベス女王、岡田嘉子さんと同じです。きっと美人長命だと信じ、今日も付き添いに参じます。年末年始からは時短になってますが。顔なじみで名前を呼び合う看護師さんたちは、初回は「夜勤で16時間付添いでしたもんね!」と突っ込んできます。
「ひとことギャグ姫」「笑顔が武器」と呼ばれる娘が池辺さんのように復活する日を信じています。
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移植から1年、元気です
池辺英俊
Takuyaさん、ごぶさたしています。小学校の同級生に続き、中学の同級生からも励ましのコメントをいただき、感謝・感激です。4月3日に「第2の誕生...
Takuyaさん、ごぶさたしています。小学校の同級生に続き、中学の同級生からも励ましのコメントをいただき、感謝・感激です。4月3日に「第2の誕生日」といわれる移植1年を迎えました。おかげさまで元気です。仕事も政治部のデスク業務を順調に続け、今月は静岡で講演も行う予定。趣味のゴルフも再開。1年前、病院のベッドで苦悶していたことを思うと、夢のような日々です。健康に感謝し、うがい、手洗いなどを頻繁にして、感染に気を付けながら生活しています。takuyaさんも大変な病気を乗り越えたようで、お互い「一病息災」で健康が続きますように!
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ひさしぶりと言いますか何と言いますか
takuya.o
闘病記の(5)あたりに思わず書き込んでしまってますが ここに書かないといけなかった。 城〇中学に通っていた池辺君であれば クラスメイトだった僕で...
闘病記の(5)あたりに思わず書き込んでしまってますが
ここに書かないといけなかった。
城〇中学に通っていた池辺君であれば クラスメイトだった僕です。
僕自身も一昨年に拡張型心筋症という難病診断されましたが
担当医師との相性もよかったのか 投薬のみで問題なく復帰できました。
薬とは一生の付き合いとなるようですが「これもまた人生」と思い。
同級生はほとんどいなくなりましたが 僕は西新あたりに残っています。
症状出ずともこれなお闘病中。お互い健やかに過ごせますよう。
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