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雅楽師 東儀秀樹さん

一病息災

[雅楽師 東儀秀樹さん]膝のがん(2)修業中に交通事故

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[雅楽師 東儀秀樹さん]膝のがん(2)修業中に交通事故

 タイ、メキシコでの計8年の海外生活は「日本人であることを強く意識させてくれました」。日本の文化、美しさに目を向けるきっかけにもなった。

 帰国して中学の後半は、帰国子女の「国際学級」で学んだ。普通科高校に進み、エレキギターのバンド活動に夢中になった。将来はミュージシャンかロックギタリストになろうと思っていた。その気持ちを親に伝えると、母が言った。

 「そこまで音楽にこだわるなら、東儀家の音楽である雅楽をやってみたら」。それまで、雅楽に親しんだことはなかった。

 「雅楽の息吹を初めて感じ、自分の血の中で何か騒ぐものがあった。1300年も雅楽を守り続けてきた家系に生まれた、責任感のようなものも感じました」

 宮内庁で雅楽を7年間習う 楽生がくせい の試験に通った。皇居で朝9時から夕方まで、雅楽の主旋律を担当し、東儀家が代々受け継いできた管楽器の 篳篥ひちりき のほか、琵琶、歌、舞などを学んだ。

 「篳篥の練習を始めてすぐに、楽器としての可能性があり、様々な音楽を生み出せるとわかりました」

 修業を続けていた24歳の頃、交通事故で10メートル飛ばされ、脳内出血で病院の集中治療室に運ばれた。買ったばかりのバイクを友人に運転させ、後ろに乗っていたら、車と正面衝突した。回復は早かったが、間もなく、膝の異常が見つかった。

 

  雅楽師  (とう)()   (ひで)() さん(56)

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