東北大病院100年
医療・健康・介護のニュース・解説
[追悼抄]不妊に悩む患者を救う…東北大名誉教授 鈴木雅洲(すずき・まさくに)さん
(2015年11月23日、膵臓がんで死去、94歳)
「あんなに悪者にされていたのに、国が褒めてくれるなんて。隔世の感です」。昨年6月に日本学士院賞を史上最高齢で受賞した後、感想を尋ねると、目に涙を浮かべて話した。東北大教授だった1983年、体外受精による妊娠・出産に国内で初めて成功した。一方で「命の操作」との批判にもさらされた。あれから30年以上がたっていた。
仙台市出身。東北大助教授だった61年に米国に留学、最先端の生殖医療に触れた。英国で78年、世界初の体外受精の赤ちゃんが誕生すると、研究を本格化させた。
チームの一員だった星合
「試験管ベビー、妊娠成功」と報道されると、東北大では受診を希望する電話が鳴りっぱなしになった。「子供が欲しい」「助けてほしい」との切実な声が寄せられ、手紙もたくさん来た。
だが、84年の学会では、体外受精に反対する団体が「人体実験だ」とするビラをまき、機動隊が出動する騒ぎに。1例目の赤ちゃんが2歳で亡くなると批判はさらにエスカレートした。死因は肺炎だったが体外受精が原因だと疑われた。
かつての部下で、50年以上の付き合いがあった高橋克幸・仙台医療センター名誉院長(85)は「つらい時期もあったはずだが、不妊に悩む患者さんを救いたいとの信念は揺らがなかった」と述懐する。
技術の普及にも尽力した。定年退官後の86年、宮城県岩沼市に開設した不妊治療専門の「スズキ記念病院」では、医師らを対象にセミナーを繰り返し開き、全国から計約1000人が受講した。
2013年までに国内で行われた体外受精で生まれた子供は計約38万4000人。13年だけで4万2554人が誕生し、約24人に1人が体外受精で生まれた計算になる。ただ、星和彦・同病院長(69)は「晩婚化などを背景に近年増えている不妊症の患者に対しては、自然妊娠が難しい『卵管閉塞』などの症状がみられなくても、すぐ体外受精を勧める傾向があり、鈴木先生は危機感を持っていた」と語る。
趣味はカラオケで、
【関連記事】