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ケアノート

コラム

[渡辺美佐子さん]仕事人間の夫に伴走…最後までドラマ作りに意欲

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仕事人間の夫に伴走…最後までドラマ作りに意欲

「夫は健康のためによく散歩に出掛けましたが、私はせりふを覚えたり家事をしたりでついて行かなかった。それを悔やんでいます」(東京都内で)=沼田光太郎撮影

 「ふぞろいの 林檎りんご たち」などのヒットドラマを制作した演出家でプロデューサーの大山勝美さんは2014年10月、多臓器不全のために82歳で亡くなりました。

 死の直前までドラマ制作に取り組んでいた大山さんを、妻の女優、渡辺美佐子さん(83)は「仕事が夫の支え。最後まで走り抜けて」と寄り添い続けました。

 夫とは職場結婚のようなものです。あるドラマを収録した時のディレクターが夫です。ワイシャツの襟がよれていたので、「もしかして独身?」と尋ねたんです。この会話がきっかけで親しくなり、1年間付き合って1965年に結婚しました。私は32歳、夫は33歳でした。

 夫は全力で仕事に取り組んでいました。家族のあり方を問うた「岸辺のアルバム」(77年)や、さえない若者の群像劇「ふぞろいの林檎たち」(83年)など注目作を世に送り出し続けました。92年にTBSを退職、制作会社を設立してドラマ作りを続けました。

「余命3年」言えず

 

 大山さんは98年、優れた番組に贈られる「ギャラクシー賞」のテレビ部門個人賞を受賞。だが、胆管がんが見つかったのは、それから間もなくのことだった。

 手術の後、医師は私に「余命3年です」と告げました。夫に伝えることができず、「今は、がんは手術すれば治る時代だから」と励ますしかありませんでした。

 家事はお手伝いさんに任せていたのですが、ちょうど夫が手術をした頃、彼女も病気でふるさとに帰ってしまいました。65歳で初めて家事をすることになりました。

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1994年に紫綬褒章を受章した大山さん(右)。渡辺さんも同行した

 彼女に電話で教わりながら、体に良さそうな鶏ガラのスープや野菜の五目煮を作りました。以前は、夫と私、長男は別々に夕食を取っていましたが、そろって私の料理を食べるようになりました。簡素なメニューばかりでしたが、初めて持つことができた平穏で幸せな時間でした。

退院すると現場へ

 

 夫にとって、仕事は生きる支えでした。毎日外出して、事務所で企画を考えたり、人に会ったりしていました。「桜が見頃だから」と言って散歩に出かけ、足を鍛える器具を買うなど、健康に気を使っていました。

 私も「最後まで走り抜けて」という思いで、玄米でおかゆを作ったり、マッサージをしたりしながら、支えることに徹しました。思ったより元気に仕事ができていたので、「この調子が続いていけば……」と祈りながら見守っていました。

 しかし、2012年ごろから大山さんは胆管がんの合併症で腸閉塞を起こすようになる。苦しくなって言葉が出なくなることもあった。

 亡くなる前の1年間は、月に2、3回は入院しました。それでも、退院すると仕事に戻ったので、周りの人は深刻には思わなかったでしょう。

 「余命3年と言われたのに15年も仕事を続けられてよかった」と私が明かした時には、「初めて聞いた」とショックを受けた様子でした。

 こんなこともありました。死後の世界をテーマにした番組を見ていた夫が、「僕は霊魂を信じる」と力強く言ったのです。自分でも死を意識するようになっていたのでしょう。思えば、私も覚悟を決めていたのかもしれません。

夫からの支え

 

 2014年10月2日夜、自宅で腸閉塞を起こした大山さんがいつもより苦しがったため、渡辺さんは急いで病院に連れて行った。

 診察を待つ間、夫は私の手を握り、「あなたは、あしたはけいこだから帰って」と言いました。これが最後の会話になってしまいました。

 翌朝、医師から「心臓が一度止まった。蘇生して動き始めたが、意識が戻らない」と電話がありました。「また元気になって戻ってきてくれるだろう」という期待はかないませんでした。

 病院に駆けつけ、 昏睡こんすい 状態の夫を、私と長男、夫の妹の3人で見守りました。意識が戻ることはなく、3日目に息を引き取りました。看病もさせてもらえず、体から力が抜けていくようでした。

 夫が私の支えになってくれていたと気づいたのは、亡くなった後です。私が大きな仕事に取り組んでいたり、舞台の初日が近づいていたりすると、大きな声を出さないよう、さりげなく気遣いをしてくれる夫でした。

 亡くなる直前まで、仕事のことを考え続けていた夫ですから、今でも、やり残した仕事への思いが魂となって、家や事務所にいるような気がしています。(聞き手・吉田尚大)

 

  わたなべ・みさこ  1932年、東京都生まれ。51年に俳優座養成所に入所し、53年に今井正監督の「ひめゆりの塔」で映画デビュー。広島・長崎の被爆者遺族の手記を朗読する舞台を85年から続けている。昨年、ハンセン病をテーマにした舞台「お召し列車」で主演を務めた。

 

  ◎取材を終えて  49年間の結婚生活は、渡辺さんが「仕事人間同士の同行二人」と振り返るように、仕事に大きな比重が置かれていた。それでも、渡辺さんの舞台初日には、大山さんは仕事の合間を縫って、花束を手に必ず駆けつけていたという。これほどまでに仲のいい夫婦でいられたコツを尋ねると、「少しでもいいから相手への優しさを持つこと」。忙しい中でも、相手への優しさを忘れない……。自分にできるだろうか。

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