がん診療の誤解を解く 腫瘍内科医Dr.勝俣の視点
医療・健康・介護のコラム
抗がん剤は通院でやりましょう(その1 制吐剤の進歩)
抗がん剤は外来通院が原則という時代に
『抗がん剤は、副作用がひどい。抗がん剤は入院でやるのが原則』
一般的な、抗がん剤のイメージはこんなふうにとらえられているかもしれませんが、『抗がん剤治療は入院が原則』であったのは、今から20年くらい昔の話です。
現在では、
『抗がん剤治療は外来通院が原則』
に変わって来ています。
抗がん剤が通院でできるようになってきた原因としては、がんを狙い撃ちする分子標的治療が進歩してきたように、抗がん剤自体が副作用の少ないものに変わってきているということもあります。実は、もっと大きなことは、抗がん剤の副作用をより軽くできるような治療法が発達してきたことです。抗がん剤の副作用を減らす治療を「支持療法」と呼びます。抗がん剤の進歩とともに、この支持療法も進歩してきました。
抗がん剤の吐き気止め(制吐剤)
支持療法のなかで、最も進歩したのは、制吐剤と呼ばれる吐き気止めの薬です。吐き気は、抗がん剤の副作用のなかで、患者さんにとって、最もつらい副作用の一つです。今から20年前には、この吐き気を抑える良い薬がなかったために、抗がん剤をやると、患者さんは、吐き気に苦しまされました。
シスプラチンという抗がん剤の副作用
私が医師になったのは、1988年です。研修医1年目のときに、肺がん患者さんの担当になり、シスプラチンという抗がん剤を使うことになりました。シスプラチンは、白金から作られた抗がん剤で、80年代に開発され、色々ながんに使われるようになりました。シスプラチンは、これまでの抗がん剤よりも効果は高く、大変期待の新薬だったのですが、シスプラチンの最大の弱点は、吐き気が強いことでした。
この患者さんに、私は腎障害の予防のために、大量の点滴とともに、シスプラチンを投与しました。もちろん、この当時の抗がん剤は入院でやりました。すると、当日の夜から、患者さんは、ゲーゲーと吐き出し、約1週間、
セロトニン拮抗剤の登場
95年に、セロトニン受容体
ステロイド剤の重要性
セロトニン拮抗剤と並んで、制吐剤として重要な薬にステロイド剤があります。ステロイドとは、副腎皮質ホルモンの一種で、
デキサメタゾンは、デキサメタゾン大量療法とセロトニン受容体拮抗剤とを一緒に使うことの相乗効果が示され、標準治療として、米国の臨床腫瘍学会のガイドラインにも掲載されることになりました(※1)。99年のことです。
私は、当時から、このデキサメタゾン大量療法を制吐剤として使っていました。しかし、日本では、このデキサメタゾンが制吐剤として、保険適応がなく、一般にはあまり使われていませんでした。
デキサメタゾンが使われるようになった経緯
薬剤が保険適応として、承認されるためには、製薬企業が、まず、治験といって、患者さんに実際に投与した臨床試験のデータを厚生労働省に提出します。その臨床試験の結果を厚生労働省が審査し、有効性、安全性が認められると、承認されるのです。治験をするのには、開発費用が数十億円もかかります。
デキサメタゾン1錠の値段は5.6円で、大量投与の20ミリグラムを使っても1回、224円にしかなりません。製薬企業は、開発費用と、実際に市場に出てからの売上高の推定とを計算し、会社にとって利益につながるかどうかを考え、治験をするかどうか考えるようです。ステロイド剤は、値段が安いという理由もあり、がん患者さんの実際の市場を考えた結果なのでしょうか、がんの患者さんに対しては、デキサメタゾンに対して、日本の製薬企業は、これまで制吐剤としての治験を行ってきませんでした。
海外ではきちんとデータがあるのだから、日本の患者さんにも効果があるはず、と承認してくれればよいのにと思われることでしょう。現在では、海外でのデータも加味して、薬剤承認が検討されるようなしくみになっています。ところが、当時の日本の薬剤承認のしくみには、そのような決まりがありませんでした。そのため、この問題は、複数の抗がん剤でも問題となりました。海外で有効というデータ(エビデンス)があるのに、日本で治験が行われていないがために、承認が遅れてしまい、日本の患者さんに使うことができないということが起きました。海外では有効な薬があり、使われるのに、日本で使えないという現象です。このことは、ドラッグラグ(薬剤承認の遅れ)と呼ばれ、社会問題にもなりました(※2)。
デキサメタゾンのドラッグ・ラグ解消
このドラッグ・ラグを解消するために、2004年に、厚生労働省に、『抗がん剤併用療法に関する検討会』が設置され(※3)、海外のデータのみで、日本での承認が検討されることとなりました。
デキサメタゾンは、この検討会で審議され、05年にやっと、抗がん剤の制吐剤として、承認され、保険適応となりました。当時、厚生労働省に提出した資料の下書きは、私が国立がんセンター(現・国立がん研究センター)に勤務しているときに作成しています。
デキサメタゾンをきちんと使おう
デキサメタゾンは安くて良い薬剤です。デキサメタゾンをうまく使うことによって、抗がん剤の吐き気をうまくコントロールできるようになります。制吐剤として使う場合には、長くても3日間程度ですので、ステロイド剤の副作用である胃潰瘍や免疫抑制などの心配はいりません。ただ、糖尿病患者さんに使う場合には、高血糖に注意しなければなりません。
制吐剤としてのデキサメタゾンは、日本のガイドラインにも記載されるようになりました(※4)が、実際の現場では、デキサメタゾンが省略されたり、低用量が使われていたりすることがよくあります。これも、専門医が処方していないこと、副作用が恐れられていること、安い薬であるがためか、製薬企業が宣伝しないこと、などさまざまな原因が考えられますが、安い良い薬剤こそ、うまく患者さんに使っていただいて、患者さんのQOL(生活の質)を上げていくようにしたいものです。
制吐剤新薬の登場
制吐剤としては、09年にNK1阻害剤のアプレピタント(商品名:イメンド)という薬剤が開発、承認されました。アプレピタントは、脳内の嘔吐中枢に存在するNK1受容体を阻害して効果を発揮する薬です。このアプレピタントとセロトニン拮抗剤、ステロイドの3剤を組み合わせることによって、抗がん剤の吐き気のない患者さんを、アプレピタントを投与していない患者さんとくらべて、50%から、70%にまで高めることができるようになりました(※5)。
さらに、第二世代のセロトニン拮抗剤として、パロノセトロン(商品名:アロキシ)が10年に承認になりました。パロノセトロンは、従来のセロトニン拮抗剤よりも半減期が長く、より長く吐き気を抑えられるようになりました(※6)。
このような制吐剤の進歩によって、現在では、シスプラチンを使う患者さんでも、ほとんど吐くことがなくなりました。あれほど苦しんでいたシスプラチンでも、現在では、外来でできるようになっているのです。
抗がん剤の副作用を抑え、患者さんが、抗がん剤をしながら、普通の生活を楽しむことができるようにすること、このことが、我々治療医にとって、患者さんにとっても、一番大事にしたいことですね。
【参考文献】
1 Gralla RJ, Osoba D, Kris MG, et al. Recommendations for the use of antiemetics: evidence-based, clinical practice guidelines. American Society of Clinical Oncology. J Clin Oncol 1999;17:2971-94.
2 勝俣範之. MRIC by 医療ガバナンス学会 vol 87 適応外薬品を何とかしないとドラッグラグはなくならない!!. 2010.
3 厚生労働省. 抗がん剤併用療法に関する報告書について. 2004.
4 日本癌治療学会編. 制吐薬適正使用ガイドラインガイドライン. 2010.
5 Takahashi T, Hoshi E, Takagi M, Katsumata N, Kawahara M, Eguchi K. Multicenter, phase II, placebo-controlled, double-blind, randomized study of aprepitant in Japanese patients receiving high-dose cisplatin. Cancer Sci 2010;101:2455-61.
6 Saito M, Aogi K, Sekine I, et al. Palonosetron plus dexamethasone versus granisetron plus dexamethasone for prevention of nausea and vomiting during chemotherapy: a double-blind, double-dummy, randomised, comparative phase III trial. Lancet Oncol 2009;10:115-24.
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3年前に乳がんが見つかり右全摘、腋下リンパ節廓清をしました。
その入院中(手術後)に1回目の抗がん剤点滴(パクリタキセル、ハーセプチン)をし、以来、
外来で抗がん剤治療を1年間(途中からドセタキセルとハーセプチン)しました。
毎回、デカドロン(制吐剤)も点滴で入れましたので、吐き気も嘔吐も一度も体験しませんでした。
仕事を辞め、ゆったりとストレスのない生活をしたのも良かったのかもしれませんが
食欲も普通にありましたし、寝込むような倦怠感も一度もありませんでした。
頭髪をはじめ体中すべて脱毛し、足先が少ししびれましたが、それ以外はほぼ普段通りに生活しました。
手術から4ヶ月ほどして、抗がん剤治療の合間を縫って、10日ほどヨーロッパ旅行に行ったくらい元気に過ごしました。
抗がん剤治療をすると聞きとても不安でしたが、思ったよりずいぶん楽でしたので、
医学の進歩、支持療法の進歩に感謝、研究、臨床に携わっておられるたくさんの方々に、感謝しております。
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