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認知症の当事者団体共同代表、藤田和子さん

編集長インタビュー

藤田和子さん(2)当事者が動く 原点となった人権活動

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認知症の当事者団体共同代表、藤田和子さん

「小さなことでも行動に移し、続けていかなければと思った」と語る藤田さん

 「アルツハイマー病」と診断を受ける前に、藤田さんはやはり認知症だった義母の介護を9年間、続けた経験がある。

 「最初に、手の震えに気付いて受診して、パーキンソン病と診断されました。その後、幻視や幻聴があることに気付き、認知症を疑いました。『病院に行った方がいい』と義父や夫に話しましたが、『そんなはずはない』と言われて……。当時は今よりも、認知症のマイナスイメージが色濃い時代でした。それに、認知症の相談は精神科を受診するしかなく、精神科を受診するということがネガティブなイメージで捉えられた時代でもありました。私は看護師でしたから、病気であればきちんと受診するべきだと思っただけだったのですが」

 それまで、看護師として総合病院で働いていた時も、認知症の人をみた経験があった。

 「付き添う家族が認知症の人を叱りつけているのを見て、つらくなりました。自分が医療処置で認知症の人に接する時には、穏やかに丁寧な口調で接するよう心がけていました」

 認知症の人に対するその思いは、義母が認知症になってからも変わらなかった。義母が、「帰りたい」と言って外を歩き回った時には、後ろをついていき危険がないよう見守った。財布をなくしてしまった時には一緒に探した。冷蔵庫や下駄げた箱などありそうもないところから見つかって、「あった! あった!」と共に喜びを分かちあった。義母が自分でトイレに行きたいという思いを尊重したいと考え、失敗しても苦にならないよう、トイレにペット用の使い捨てシーツを敷き詰めた。結果的に掃除も楽になった。

 「看護師としての使命感もあったのだと思いますが、今振り返ると、上手に義母と付き合えていたと思います。でも、世の中には、認知症になってしまうと、人としての価値が下がってしまうと捉える風潮があると感じていました。自分が認知症になってみて、それがハッキリしました。認知症になっていなければ疑問を持たずに流してしまったようなこと、一つひとつが浮き彫りになりました。たとえば、『ボケてしまったら、もうダメだよね』、街中で当たり前のようにそんな会話を耳にします。『ボケたら、人間としての価値はない』、そんな話が平然と交わされています。私はいたたまれない思いで、反論したいけどできないままでした。認知症になってから、認知症の人が置かれた状況を、社会で起きているいろいろな現象を目の前で見てきました。『認知症になると、さげすまれる対象になってしまう』『認知症になったら、おしまいだ』といった印象を持ちました。それは、絶対におかしい。人はどんな状況にあっても、ひとりの人として価値があるはずと思うのです」

 藤田さんのこの考え方の原点にあるのは、認知症になる前に取り組んでいた人権活動だった。娘が小学校のとき、ひょんなきっかけでPTAの「同和教育推進委員会」に入り、会の運営に携わった。その活動の中で、人生観が変わった。

 「それまでの私は、『差別すること』『差別する人』が悪いと思っていました。差別する人がいなくなれば、差別問題はなくなると思っていました。そして、自分には関係ないことだと思っていました。けれど、無関心で傍観しているということ、『自分には関わりない』と考えることは、結局、差別する側に立ってしまうということに気付かされたのです。ある時、ある人に問われた言葉は私の胸を刺しました。『あなたは、差別をする側で生きるのか、差別をなくす側で生きるのか』。私は迷わず『差別をなくす側で生きたい』と思ったんです」

 「いったい、自分に何ができるのだろう」と、藤田さんはさまざまな研修を受け続けた。差別をなくそうと活動する人たちの話を繰り返し聞いた。子どもたちが高校にあがってからも、PTAの人権教育推進委員会に入り活動を続けた。地域の有志を集め、独自に活動もしていた。そうした中で、今も印象に残っているのは、音楽活動を通じて差別問題に取り組む人たちの言葉だった。

 「『私たちの話を聞いて、みんな感動した、感動したと言うけれども、そんなことだけ言われても困る。感動というのは、感じたら動くことなんだ』と言われたのです。心に響きました。『いま、自分が動くことが大切なんだ。小さなことでも行動に移し、続けていかなければ』と思ったのです」

 それは、自分が認知症になった時、改めて感じたことだった。

 「私のできる人権活動を一生続けようと決めていましたから、認知症になった今、それならば、『認知症を取り巻く社会のあり方を、よりよくしていこう』と自分が動きだそうと思ったのです。それで、2010年に鳥取市で『若年性認知症問題にとりくむ会・クローバー』を設立しました。もし認知症になる前に人権活動に取り組んでいなかったら、診断された後、『自分にできることは何もない』とひっそりと息をひそめていたでしょう。周囲の人もそんな私を、ただかわいそうな人としか見なかったでしょう」

 活動を続けたことで、新たな出会いもあった。同じように、当事者として発信している人たちともつながった。このことが、後の日本認知症ワーキンググループ設立につながっていく。

 「当事者となってみて初めて、今まで見えなかった、認知症の人が生きにくい社会の一面が見えてきましたから、これから認知症になる人のために、今私たちが動くのだという気持ちです。すぐに大きな変化はないかもしれません。でも、5年、10年先には、今よりも生きやすい社会になっているように、いま、動いているというつもりなのです」

 看護職として家族として認知症の人をみた経験、そして人権活動――。それまでの歩みが、認知症となった今も変わらず藤田さんを突き動かしている。「認知症となっても、それまでの自分が消えるわけじゃない」という自身の言葉を、藤田さんは現在進行形で証明している。

(続く)

【略歴】藤田和子(ふじた・かずこ) 日本認知症ワーキンググループ共同代表

 1961年生まれ。鳥取市在住。市内の総合病院に7年、個人病院に8年勤務。認知症の義母を9年間介護した経験を経て、2007年6月、若年性アルツハイマー病と診断される。10年11月「若年性認知症問題にとりくむ会・クローバー」を設立(14年にNPO法人化、現在副理事長)。11~13年、鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。14年10月、日本認知症ワーキンググループ設立に参加し、現職。

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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