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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

コラム

フォーク・クルセダーズのメンバーが精神分析医、自らの間歇性外斜視を分析

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 ロービジョンという言葉、そのまま訳せば「低視力」。曖昧模糊もことしたところがありますが、私は目のことで不自由を感じる人を広く指してこの語を使うのが、現実的だと思います。失明とか法律上の視覚障害など、視力などの数値で線引きした(くく)りでは、ものの見え方や、眼球周囲の不快感のために、快適に、あるいは苦労なく視覚情報を脳に送り込むことができない多くのケースが枠の外になり、ケアや福祉の手が伸びなくなるからです。

 日本ロービジョン学会は2000年に創設された比較的若い学会で、ロービジョンケアを「視覚の障害のために、生活に何らかの支障を来している人に対する医療的、教育的、職業的、社会的、福祉的、心理的等すべての支援の総称である」とうたって、これに関する研究を発表したり、情報を交換したりする場となっています。

 「生活に支障がある」と生活者の目線でものを見ている姿勢が、なかなか良いと私は思い、これまでも年1回の学術集会に会員として時々参加してきました。

 第16回の学術集会は、2015年11月に東京で開催され、私は招待講演の座長(司会)を拝命しました。招待されたのは、精神分析医の北山修さんで、講演のタイトルは「外斜位――私の場合」というものでした。

 北山修といえば、昭和30年くらいまでに生まれた方々は誰もが知っている名前でしょう。「帰って来たヨッパライ」で名をはせたザ・フォーク・クルセダーズのメンバーです。「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」の作詞者といえば、若い方でも大半がわかるのではないかと思います。

 彼は医学部の眼科の実習をするまで気付かなかったそうですが、間歇性(かんけつせい)外斜視でした。斜視とは、左右眼の目の位置ずれのために、両目で見たものを脳で一つにまとめられない状態のことです。間歇性とは、斜位(左右眼の目の位置がずれていても、修正して一つにまとめられる)の時と、斜視の時があることを意味します。

 目や体が疲労すると斜視になりやすく、斜位の時でも、目と脳にかなり負担をかけているので疲労が大きいのです。彼はこの体験から精神分析学的に思索を深め、その内容を、この学会で披露しました。

 斜視か斜位かという二者択一でなく、その中間の状態があり、それは貴重で、創造的な瞬間であると言うのです。

 人はあらゆる問題に右か左か、黒か白かと軍配を上げたくなる性癖があります。北山さんのお話を聞きながら、病状や治療に関する位置づけにおいても、中間的状態にも存在意義を認めたらどうだろうかと考えさせられる内容でした。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任し、15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人---心療眼科医が本音で伝える患者学」、「健康は眼に聞け」「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「目の異常、そのとき」(人間と歴史社)、医療小説「茅花流しの診療所」(同)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半には講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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