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虹色百話~性的マイノリティーへの招待

医療・健康・介護のコラム

第26話 性的マイノリティーとキリスト教

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同性愛者らへの非難の根拠?

 きょう24日はクリスマス・イブ。真言宗の私はクリスマスに興味がありませんが(苦笑)、虹色百話としては、性的マイノリティーとキリスト教について触れないわけにはいきません。

 欧米の同性愛者差別の背景には、キリスト教の影響があげられます。米大統領選でしばしば争点となった同性婚は、つねにティーパーティーなど宗教右派の攻撃対象になってきました(今年の連邦最高裁で合憲判決が出ましたが)。ローマ・カトリックも、フランシスコ教皇が改革に意欲を見せましたが、10月の世界代表司教会議で罪とする姿勢を崩していません。

 聖書には、いくつか同性愛を罪とすると読める記述があります。

 女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる(レビ記 20章13節)。

 男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています(ローマの信徒への手紙 1章27節)。

 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者……は、決して神の国を受け継ぐことができません(コリントの信徒への手紙一 6章9~10節、一部略)。

(いずれも日本聖書協会『聖書 新共同訳』による)

 また、創世記にある、神がソドムの町を滅ぼした話も、同性愛など性的放埓ほうらつ)が原因とされています。

 こうした記述は保守的な教派では文字通りに受け止められ、同性愛者を忌避し、排斥する根拠となってきました。

 判例百選にも載る「府中青年の家裁判」(1991~97)については、いずれくわしくご紹介しますが、その発端となった東京都の青年の家での出来事では、まさにこの聖書の記述が持ち出されました。

 青年の家の規則に従いリーダー会で自己紹介した同性愛者の市民団体のメンバーに対し、同宿のキリスト教団体のメンバーがすれ違いざまに「こいつらホモなんだぜ」などと発言。他の団体からも複数の嫌がらせがあったことをふまえ、翌日リーダー会が再度開かれました。そこで認識を問われたキリスト教団体は上記のレビ記の一節を読み上げ、「同性愛者は正しくない道を歩んでいる人びとです」と、当の相手に向かって発言したのでした。

キリスト教会も変化する

 キリスト教は本当に同性愛を罪としているのでしょうか?

 ジョン・ボズウェルの『キリスト教と同性愛 1~14世紀西欧のゲイ・ピープル』(国文社、1990年。原著、1980年)は、こうしたときの基本書です(著者のボズウェルは、17言語に通じた天才的研究者でしたが、1994年にエイズ合併症で亡くなっています。享年47)。

 12世紀以後、中世ヨーロッパでは神聖ローマ帝国の強権化や外国人への恐怖を帯びた十字軍運動で、社会の寛容度が低下。現代のヘイトスピーチではありませんが、この時期からユダヤ人、異端者、高利貸し、同性愛者といった人びとが攻撃の対象となった、と説きます。中世の法律書で同性愛行為は死罪に値する罪であると規定されるようになり、古典古代と仰がれたギリシャ・ローマの同性愛を扱った文学も消滅します。

 現代のキリスト教会でも宗教上の罪とする考えは根強いものの、現代人権思想の高まりとともに変化もあるようです。

 古代宗教史や聖書学などの新しい研究成果を用いて、先にあげた聖書の記述はかならずしも現代的な意味での同性愛(者)について触れているのではないとする見解もあります。

 また、同性愛行為に及べば宗教上の罪となるが、同性愛の欲求を持っているというだけでは罪ではない、など、中間的な立場もあります。

 性的マイノリティーもまた神が創造したものとして積極的に肯定し、そのための礼拝や布教を行っている教会も、アメリカのメトロポリタン・コミュニティー・チャーチを初めとして、世界各地にあります。

カミングアウトする牧師たち

 日本のキリスト者は、この問題をどう受け止めてきたでしょう。

 社会を反映して、教会関係者でもこれまで性的マイノリティーの存在を人権問題として認識する人は多くはなかったでしょう。むしろ従来の聖書解釈にもとづき、罪ととらえていたのではないでしょうか。

 しかし、自分のマイノリティー性に悩んだ当事者が、さまざまな機縁からキリスト教の信仰に救いを求めた事例はけっして少なくなかったでしょう。私の実感でも、ゲイコミュニティーで出会った人で、クリスチャンホームの生まれでないにもかかわらず、みずからキリスト教に入信した人は、一般的な日本人での割合より高いのではないかと思われます。

 そうした人びとが、自分とおなじ性的マイノリティーが、自身がよりどころとする聖書の記述を用いてキリスト教団体によって非難された話を聞いたとき、どれほど困惑し、悲しんだかは、想像にかたくありません。

 しかし、90年代の当事者運動の高まりは、キリスト者のなかにも波及し、やがてゲイ、レズビアン、トランスジェンダーであることを公表して牧師などの資格を得て、性的マイノリティーのための礼拝会を開催する牧師も現れました。毎年、名古屋で開催されるコミュニティーイベントでは、同性結婚式(平等結婚式と呼んでいますが)の司式を務める「神父さま」(教派名や性別非公表)もいます。性的マイノリティーとキリスト教に関する書籍も、すでに多数出版されています。

 キリスト教界での性的マイノリティーの受け入れには、まだ厳しいものがあるようですが、明日のクリスマスは、セクシュアリティーにかかわらず、この世に生けるすべての人の存在が祝福される日であることを、真言宗の私も(笑)信じています。

 連載開始以来、ご高覧ありがとうございました。来週は大晦日なので休載、新年は1月7日更新分より再開します。みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。

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永易写真400

永易至文(ながやす・しぶん)

1966年、愛媛県生まれ。東京大学文学部(中国文学科)卒。人文・教育書系の出版社を経て2001年からフリーランス。ゲイコミュニティーの活動に参加する一方、ライターとしてゲイの老後やHIV陽性者の問題をテーマとする。2013年、行政書士の資格を取得、性的マイノリティサポートに強い東中野さくら行政書士事務所を開設。同年、特定非営利活動法人パープル・ハンズ設立、事務局長就任。著書に『ふたりで安心して最後まで暮らすための本』『にじ色ライフプランニング入門』『同性パートナー生活読本』など。

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3件 のコメント

宗教的なバックボーンが無いのに…

たか

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性的マイノリティを否定するような宗教的なバックボーンもなく、定期的にゲイブームないしLGBTブームが起こるこの国でも、なぜこんなにも悩んだり生き甲斐を見失いがちなのか、わからなくなることがある。ゲイリブなんか無くとも幸せに生きていける、そういうセリフをたくさん聞くし、たしかに肩肘張るほどの強い不満はそう無いのだけれど、行き場のないエネルギーが体に常に溜まっている感じがする。向かう先はどこなのか。

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このような態度は、実はキリスト者自身も日本社会ではマイノリティーであるという事実が関連している気がします。自分の所属教会の公式見解からずれるようなことを言うのは、マイノリティーである自分の立場をよけいに弱め、そのよりどころである組織を裏切ることになってしまうように感じる人が多いのではないかと。

けれど今回の記事にもあるように、LGBTの牧師などが少数ながらも登場しはじめて、所属教会の方針とは無関係に自分独自のLGBTフレンドリーな意見をもつキリスト者が増えていったらいいのになぁ~と期待しているのですが・・・。キリスト者の最高の先生はイエスです。群集がある女性を石打ちにしようとしたとき、イエスがあることを言ったので石を投げようとする人がいなくなった話は、これを読んでいるキリスト教信者の方はご存知ですよね?この教えからだけでも、キリスト教界の一部のLGBT排斥はキリスト教的でない、と言えると思いませんか?良いクリスマスを!

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真言密教の創始者空海はゲイだったと言い伝えられていますが、お坊さんに訊くと、意見は様々です。神道でも意見は分かれるようですね。結局は宗教よりも社会的な状況が影響していると思います。

宗教なんて平和博愛主義を唱えながら、戦争を支持することもあります。普遍的なものではないのです。日本においてキリスト教は結婚式とクリスマスのためにあるようなものでいいんじゃありませんか? だからこそ遠藤周作の沈黙のような小説が生まれたのです。来年、映画が公開されるそうですね。

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