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東北大病院100年

ニュース・解説

第2部 転換点(3)研修制度改革へ「反乱」

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インターン闘争(1968)

75歳になった現在も診療を続ける村口さん。「どんな医師になりたいかを徹底的に語り合ったインターン闘争がその後の人生を決めた」と語る(多賀城市の坂総合クリニックで)

75歳になった現在も診療を続ける村口さん。「どんな医師になりたいかを徹底的に語り合ったインターン闘争がその後の人生を決めた」と語る(多賀城市の坂総合クリニックで)

インターン制度の問題点を討論するため、村口さんたちが作った資料

インターン制度の問題点を討論するため、村口さんたちが作った資料

 1968年3月19日。東北大医学部(仙台市青葉区)の教室は熱気に包まれていた。翌日に控えた医師国家試験のボイコットを確認する決起集会には、実習生(インターン)や医学部生ら約130人が集まっていた。実習生だった坂総合病院名誉院長の村口至(75)は「我々が立派な医師になるため、しっかりとした研修が必要だ」と訴えた。

 実習生らが求めていたのは「インターン制度」の改革。当時は医学部を卒業すると、国が指定する病院で1年間、実習生として研修しなければ、国家試験を受けられない仕組みだった。戦後、米国から伝わった制度だが、米国と違い給料はなし。学生でも医師でもない不安定な身分で、指導カリキュラムもない。医療現場にとって都合のよい労働力として使われていた。

 60年の安保闘争の後、下火になった学生運動がベトナム反戦運動で再び盛り上がっていた時代。インターン制度の改革を求める動きは全国の医学部生らに広がっていた。

 当時、医学部があった東北地方の4大学の実習生は、医師国家試験のボイコットで足並みをそろえていたが、このうち1校は試験前日に受験を決めた。これに怒って阻止を企てたのが、別の大学の下級生グループ。「ヘルメットとこん棒で武装し、試験会場に殴り込んでくる」。情報を入手した村口らは、仙台市内の会場に早朝集合するようクラス全員に連絡した。意見は違えど、議論の末に受験を決めた仲間を会場に無事に入れるためだった。

 当日は警察の機動隊が出動し、物々しい雰囲気に。受験を拒否した村口ら東北大の実習生全員は、入り口で武装した学生とにらみ合ったが、こん棒は打ち下ろされることなく終わった。ボイコットは、全国30以上の大学で行われ、その年にインターン制度は廃止された。

 「東北の医療を良くするため、どんな研修をするべきか」。村口らは深夜まで議論し、インターン制度に代わる新たな卒後研修を模索した。

 卒業後、そのまま医局へ入れば、教授の一存でまともな指導を受けられない病院に派遣される可能性もある。村口らは医局へ入る場合の条件を提示したり、地域の病院の院長らと直接交渉したりして、研修先を開拓した。学生らの「反乱」に大学側は慌てた。

 68年、学生らの発案で学生・研修医、研修病院、教授らが話し合いを行う「三者協議会」が設立された。東北大医学部生として設立に関わった玉橋信彰・日本病理研究所社長(70)は「医局の人事で地域に派遣される慣習が変わり、3者が対等の立場で、行き先や内容が話し合われるようになった」と語る。

 三者協は93年に「艮陵ごんりょう協議会」と名称変更され、今も研修先を探す学生向けに、説明会を開く。研修医のトレーニングや指導医の育成事業も展開している。協議会の事務局長で、東北大教授の江川新一(53)は「より良い研修制度を求めたインターン闘争が、三者協の設立につながった。その意義は大きい」と強調する。(敬称略)

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