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東北大病院100年

ニュース・解説

第2部 転換点(2)温泉医学の研究に尽力

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鳴子分院 (1944~94年)

杉山さんの退官を記念して1978年に鳴子分院前に建てられた石碑「回生の歓(よろこ)び」。車いすの人がリハビリで歩けるようになった喜びが表現されている。分院廃止後、東北大病院に移された(仙台市で)=冨田大介撮影

 宮城県大崎市北西部の鳴子温泉郷。豊富な泉質と湯量で知られる地にかつて、東北大病院の鳴子分院があった。温泉治療の医学的効果を研究するため、1944年12月に開設された。

 「そんなことを知らない人も多くなりました」。分院跡地の近くにある鳴子観光ホテルの会長・大沼昭男(88)は話す。東北薬学専門学校(現・東北薬科大)出身の大沼は家業を継ぐまでの約2年間、分院で薬剤師として働いた。「内科や外科もあり、風邪ややけどの患者も多く来た。地域住民のかかりつけ医のような役割もあった」と振り返る。

 群馬大は草津、九州大は別府といったように、かつては六つの国立大が温泉医学の研究施設を持っていた。その源流はドイツなどヨーロッパだ。分院での勤務経験がある医師の佐直信彦(73)は「日本は戦前、ドイツから医学を学んでいた。そのことが温泉医学の研究につながったのではないか」と推測する。

 分院の中心は、初代分院長の杉山たかし(1915年~2004年)。医局に入ってから6年目に鳴子行きを告げられ、退官までの34年間を過ごした。

 「湯治」は疲れやけがを癒やすとされ、古くから日本人に親しまれてきたが、なぜ効くのかはわからない。杉山の弟子で、NPO法人「健康と温泉フォーラム」会長の三友紀男としお(75)は「杉山先生は、飲泉や温浴でその科学的な効果の解明を目指していた」と語る。

 戦後、様々な薬が開発され、温泉治療への期待は低くなった。それでも、杉山は研究を発展させた。湯治に訪れる、現代医学から見放された重度のリウマチや脳卒中の患者らのリハビリなどに研究の軸足を移した。

 ただ、時代の流れで、全国の温泉研究施設は徐々に統廃合されつつあった。分院も同様で、最後の分院長となった佐藤徳太郎(77)が92年、既に退官していた杉山に閉院計画を伝えると、杉山は「残念だ」「もったいない」と繰り返したという。分院はその2年後、50年の歴史に幕を閉じた。

◎ 

 杉山が温泉効果の研究とともに力を入れたのが、「こけし」の普及だった。素朴でほのぼのとした味わいにひかれ、500体以上を持つコレクターだった。往診した患者からもらったことが集めるきっかけになった。

 75年に鳴子温泉を一望できる公園に建てられた「日本こけし館」は杉山が有志約10人と計画、初代館長に就任した。ハイライトは77年、当時皇太子だった天皇陛下が訪問された時だ。報道陣のカメラが並ぶ中、杉山は案内役を務めた。

 今年は開館から40年。「こけし飛行機」が静かな人気となるなど、第三のこけしブームとも言われる。杉山の次男で、医師の謙樹けんじ(70)は「鳴子が世界に誇れるものは、温泉とこけしだというのが父の口癖だった。心から鳴子を愛した人だった」と話す。(敬称略)

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