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HIV陽性者団体の代表、高久陽介さん

編集長インタビュー

高久陽介さん(2)ゲイであること、そして感染したことの気づき

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HIV陽性者団体の代表、高久陽介さん

 日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス代表の高久陽介さん(39)が、自分の性的指向にはっきりと気づいたのは14歳の時だった。小学校の頃までは、「好きな子いる?」という同級生との会話では、女の子の名前も挙げていた。ところが、中学2年生になった時、隣のクラスの、背の高い栗色の髪の少年に、はっきりと心を奪われた。初恋だった。

 「その子のことを考えるだけでドキドキして、眠れなくなっちゃう。子どもの好き、というのとは明らかに違う感情でした。でも、男の子が男の子を好きになるというのは自然じゃないとも思っていました。それでもこの感情は、抑えられないし、変えようがない。自分以外にそういう人がいるとも当時は思っていなかったし、中学の時は、これは一生、自分一人で抱えていかなくてはいけない、自分の変わった性質なんだと思い込んでいました」

 男性を好きであることが級友に明らかになったら、変な目で見られるだろうというおびえはあった。しかし、それでも気持ちを抑えきれなくなり、中学3年に進級する時の春休み、彼の自宅に思いを書いたラブレターを持っていった。本人は自宅にいなかったので、ポストに入れて、そのまま帰ってきた。

 「『男の子が男の子を好きになるのはおかしいと思うかもしれないけれど、気持ちが抑えられないので伝えます』という内容だったと思います。渡してどうなりたかったんでしょうね? わからないですね。ただ伝えたかっただけじゃないですかね。もしかしたら」

 返事はなかった。3年生に進級すると、彼と同じクラスになった。喜びよりも、逃げ場がないという気まずさの方が先に立った。そして、今度は別の不安が頭をもたげてきた。

 「ばらされないだろうか?」

 「男女で好き嫌いを言うだけでも、いじりのネタになる年頃なのに、男同士で好きだなんて言ったら、これはやばいかな、いじめられるかなと思いました。彼は始業式に出てきてから数日間お休みしました。自意識過剰なのですが、『もしかしたら自分のせいかな』と思って、彼の自宅にもう一回お見舞いに行ったら、彼は会いたくないと出てきてはくれなかった。しばらくしたら登校してきて、言いふらすこともなく、しばらくはお互い話もせず。秋に体育祭があってそこから少し話せるようになりましたが、結局、親しくはなれなかったですね」

 初恋をきっかけに、自分の性的指向に気づいた高久さんは、図書室に行って、その感情がどういうものなのか書かれている本を探したが、当時はなかった。保健体育の教科書にも書かれていない。誰にも言えず、一人で抱え込んだまま高校に進学した。うつうつとした心が少し晴れたのは、高校2年生の時、古本屋でゲイ雑誌を見つけた時だった。

 「表紙を見て、これはもしかしたらと手に取ったら、男の人を好きな男の人の情報がいっぱい書いてあって、『ああ、自分だけじゃなさそうだ』と思いました。最初はグラビアを見て欲情するのが先でしたが、そのうち落ち着いて中身をじっくり読んでみると、もう少し文化的なことや、普段の生活のことも書いてありました。ああ、本当に僕みたいな人が実在するんだと初めてほっとしました」

 初体験は、大学1年生の時に、駅のトイレでナンパしてきた男性と好奇心で済ませた。新宿2丁目のデビューは大学の終わり頃。パソコン通信で知り合ったゲイの友達に、連れて行ってもらったのがきっかけだった。

 「最初はちょっと明るい店、2軒目は落ち着いた店、3軒目は若い人が集まる店と3軒はしごして、いろんなお店があることを知りました。ちょうどクリスマスシーズンでしたので、女装をしている人もいて、それが特段変に見られたりもしない。いろいろな人がいて、夜の街特有の怖い雰囲気も、ぼったくりもない。自分がゲイであることを隠さずにいられて、極めて健康的な場所だなというのが第一印象でしたね。これなら一人で来ることができると居場所を見つけた気分でした」

 不動産会社に就職し、遊ぶお金もできて、ハッテン場(男性同性愛者の出会いの場の呼称)に出入りしたり、出会い系サイトで知り合ったりして、経験を楽しんだ。避妊具が手元になかった時や、相手から「俺、この前検査を受けたから大丈夫」と言われた時も数回あった。

 「たった2、3回なんですけれども、中途半端にHIVは感染率が低いという知識があったもので、『これだけ盛り上がっているんだから、まあいいか』とそのまましちゃったんですね。22歳で手術を受けた時の検査では陰性でしたから、今思うと、その数回のどれかで感染したのでしょうね」

 検査を受けたのは、当時好きだった人がHIVの陽性者だったことがきっかけだった。デートや経験を重ね、道端に止めた車の中で「付き合ってほしい」と告白すると、彼は「自分はHIV陽性なんだ」と返してきた。

 「自分は生半可な知識があったし、彼のことが好きでずっと一緒にいたいと思ったから、『コンドームがあるから、全然問題ないし、大丈夫だよ』と軽く流そうとしたんです。そう言えば、きっと彼が喜んでくれるとも思っていました」

 しかし、彼は逆に怒った。そして、こう冷たく突き放した。

 「いや、全然わかっていないと思うよ」

 気まずい空気が車内に流れ、その日は、そのまま別れた。

 「好きな人にそんなことを言われてつらかったので、どうして彼の気持ちを分かることができなかったんだろう、彼は何がいやだったのだろうと考えたんですね。やはり、どうも人ごとだったんじゃないかなと思ったんです。『コンドームを付ければ平気だよ』という言葉は、『こっちに移さないでね』ということですよね。でも自分のことを振り返ると、今まで、なしでしたこともあったし、自分のこととして検査やHIVを考えたこともなかった。それで、保健所に予約して検査をしたんです」

 保健所に行くと、HIV関係のパンフレットや冊子がたくさん置いてあり、すべて手に取って、隅々まで読んでみた。「自分がもし陽性だったらどうなるんだろう」。初めて真剣に自分のこととして、HIVを考えた。2週間後、検査結果を聞きに行く時は、陽性か陰性かは半々だと、心の準備ができていた。名前を呼ばれて、部屋に入ると、年を取った男性医師が検査結果の紙の一部を指さして、「ここにプラスと書いてありますよね」と説明を始めた。陽性だった。

 「想像していたより、ショックは受けませんでした。五分五分だなと思っていたので、当時はスポーツジムに週2、3回通っていたのですが、せっかく会社も休みを取ったし、検査結果がどうであれジムに行こうと着替えを用意していました。医師がその場で一通りの説明をして、病院を紹介してくれた後、『何か心配なことは今ありますか』と聞いてくれたのですが、『ないです』とだけ答えて、そのままジムに行きました。冷静に受け止めなくてはいけないと、結構心の準備をして行ったので、聞いたとたんに目の前が真っ白になるとか、泣くとか、そういうことはなかったです」

 自覚症状もなく、急ぐ必要もない状態だったので、とりあえず脇に置いておこうと、考えないようにして数日が過ぎた。だが、数日たった頃、だんだんと不安が襲ってきた。

(続く)

【略歴】高久陽介(たかく・ようすけ) NPO法人 日本HIV陽性社ネットワーク・ジャンププラス 代表理事

 1976年、香川県生まれ。98年、法政大学経済学部卒業。不動産会社、エイズ予防財団などを経て、2011年4月にジャンププラス事務局長、14年6月現職。01年1月にHIV感染が判明し、それ以来当事者活動に熱心に取り組んでいる。

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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