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コメディアン 加藤茶さん

一病息災

[コメディアン 加藤茶さん]大動脈解離(2)ズーズー弁で「ドリフ」に

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 ギタリストだった父の影響か、東京ではバンドマンをめざした。17歳で、バンドボーイの仕事を見つけた。トロンボーンをやりたかったが、「楽器がとても高く、安月給のオイラには買えないのであきらめた」。

 スティック2本あれば練習できるドラムに決めた。プロのドラマーから、「捨てといて」と折れたスティックを渡されると、削って練習した。運良く、先輩のドラマーが教えてくれた。半年でプロのバンドマンになることができた。

 最初にもらった給料で、母と妹を呼び洋食屋に行った。「2人においしい物を食べさせたくて、頑張ってきた……。鶏の料理を3人で泣きながら、食ったんだ」

 バンドを移るたびにギャラが上がる慣例があった。三つ目に入ったのが「ザ・ドリフターズ」だった。19歳。面白いズーズー弁をしゃべる若者として楽屋で人気があったので、スカウトされたという。

 当時のドリフはジャズ喫茶などで演奏していた。同じ年に入っていたのが、一回り年上の、いかりや長介。2年後、新リーダーのいかりやに反発して、4人が脱退した。残ったのは、いかりやと2人だけ。

 「オイラも脱退組について行こうと思ったが、長さんに『お前が残れば何とかやれる。頼むわ』と説得されて残ることにしました」

 まだ若く、どんな無理をしても疲れ知らずだった。

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