白血病と闘う~政治部デスクの移植体験記
闘病記
(4)苛烈な移植治療…「先のことなど考えない」
食事がほとんどのどを通らなくなり、下痢も続いていることから、「ビーフリード」という栄養補給の点滴が2月23日から始まりました。
こんな時にタイミング悪く、食事中に舌を歯でかんでしまい、赤く腫れ、血も出ました。出血を止める血小板が極端に少なくなっていたため、傷口は何日たっても塞がりません。医師の許可を得て、市販のシール型の薬を舌の傷口に貼ったのですが、効果はあまりなし。いつも痛いし、しみる状態が続き、血小板のありがたみを思い知らされました。
28日、シャワーを浴び、タオルで頭をふくと、短い髪の毛が大量についていました。抗がん剤の副作用の一つ、脱毛が始まったのです。医師は「抗がん剤が効いている証拠です」とさらりと述べましたが、患者にとっては決して気持ちのいいものではありません。鏡に映る自分の顔がやつれた修行僧のように見えました。
3月に入ると、抗がん剤のために減少していた白血球、赤血球などの数値が少しずつ上昇に転じ、それにあわせて体調もだんだん良くなるのが自覚できました。食欲も回復し、栄養剤の点滴はなくなりました。白血病の治療では、最初の寛解導入療法が抗がん剤の効き目などをみる上で肝心要といわれているだけに、順調に血液の数値が回復してきたことで、久しぶりに明るい気持ちになりました。
肺炎、敗血症、命にかかわる感染症も…移植の説明
少し余裕が出てきた3月10日、移植コーディネーターの女性から、今後、私が受けるさい帯血移植について、妻と一緒に初めて詳しい説明を受けました。移植コーディネーターはドナー(提供者)の選定、調整にあたるほか、患者への移植情報の提供などを担当しています。逆に、患者の私からみると、さい帯血バンクからのドナーの選定や、関係書類・依願書の作成など事務手続きもほぼすべてコーディネーターと医師にお任せで、その分、治療に専念できました。
説明によると、移植では、前処置として抗がん剤のキロサイドやフルダラ(商品名。一般名はフルダラビンリン酸エステル)、アルケラン(商品名。一般名はメルファラン)などが投与されます。移植した造血幹細胞が住み着きやすくなるよう、白血病細胞などをほぼ全滅させて骨髄内を空っぽにするためです。しかし、アルケランなど大量の抗がん剤投与の副作用はすさまじく、激しい痛みを伴う口内炎、胃腸の粘膜の荒れ、ひどい
移植後、新しい血液が増えるまでは、白血球がほぼゼロの状態が続きます。通常の化学療法でも、白血球がゼロ近くになることはありますが、移植の時ほど長期間続くことはありません。この間は、細菌やカビ、ウイルスなどが体内へ侵入し、肺炎や敗血症など命にかかわる重い感染症が起こりやすくなります。
移植された造血幹細胞で造られた新しい白血球が一定量まで増えれば、「生着」と呼ばれます。しかし、さい帯血移植の場合、移植から生着には3~4週間ほどかかり、途中、高熱が出ることも多いほか、生着できないケースもあるということでした。
生着した後は急性GVHD(
ハイリスクな長期戦と実感…治療に多くの壁
ネットや本などである程度、情報を得ていたつもりでしたが、移植治療がとてつもなく苛烈でハイリスクな長期戦であることを、説明を通じて嫌というほどたたき込まれた感じがしました。
「今、説明したすべての副作用や合併症が起こるわけではありません。症状の出方には個人差がありますから」。30分ほどの説明の中で、移植コーディネーターの最後の言葉にかすかな希望を感じました。
起こるかどうかわからない感染症やGVHDにおびえても仕方ない。頭ではわかっていても、説明の後、私も妻も、ぐったりと疲れてしまい、お互い何も話す気が起こりませんでした。
これから越えなくてはならない山や壁はあまりにも多く、しかも高く、険しい。
私は先のことなどもう考えず、目の前の壁を一つ一つ越えることだけに専念しようと心に決めました。
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励ましに感謝!
池辺英俊
筆者の池辺です。白血病の患者や家族、関係者の方々の参考にしてもらえればと始めた連載なのに、逆に私が皆さんのコメントで励まされてばかりで、たいへん...
筆者の池辺です。
白血病の患者や家族、関係者の方々の参考にしてもらえればと始めた連載なのに、逆に私が皆さんのコメントで励まされてばかりで、たいへん恐縮し、感謝しております。今回も、「ぐれこん」さん、「あきたくま」さん、「よっちゃん」さん、「山登りおじさん」(おそらく山仲間の一人でしょう)、本当にありがとうございます。
闘病記は、いよいよ移植治療編に入ります。今思うに、移植直前がもっとも精神的につらかったように思います。ゴール(退院)はまだはるか先で、短期間に大量の抗がん剤を注入して体調が急速に悪化する中、移植治療がうまくいくか不安で毎晩、睡眠薬なしには眠れませんでした。
当時の日記を開くと、「今は修業の身と割り切るしかない。感情論は一切捨てろ!」と自分に言い聞かせるなど、せっぱ詰まった心境が記されています。
でも、不安だらけの暗い気持ちは、移植を機に大きく変化していきます。
その心境の変化については、次回以降をぜひ読んでいただければと存じます。
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千里の道も一歩から・・・ですかね・・?
山登りおじさん
池辺さんの必死のご苦労と私の道楽山登りを一緒にするのは大変失礼かと存じます。 連峰を縦走する時も、目標は最後の山頂ではなく、とりあえず目の前に...
池辺さんの必死のご苦労と私の道楽山登りを一緒にするのは大変失礼かと存じます。
連峰を縦走する時も、目標は最後の山頂ではなく、とりあえず目の前に目標を置きます。「この峠を越すまで」とか「この上りを越して稜線に出るまで」とか「今日はあの山小屋まで」など。前に進むためには、空を飛ぶ魔法もできないですし、結局わずか数十センチの歩幅の一歩を地道に気が遠くなりそうな数だけ積み上げるしかない訳です。そして縦走最後のピークに立った時、後ろを振り返ると、遥か遠くに最初にアタックしたピークが見えるのです。
とりあえず目の前、そしてまた次の目の前。
一歩一歩は一日一日。
ハイリスクな心の長期戦を続けていらっしゃる池辺さんに敬意を表します。
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応援しています。
よっちゃん
5歳下の弟が患った病です。私は弟に何もしてあげられませんでした。池辺さんの日記を読みながら、弟と重ね合わせています。だからこそ、言葉ではいえませ...
5歳下の弟が患った病です。
私は弟に何もしてあげられませんでした。
池辺さんの日記を読みながら、弟と重ね合わせています。
だからこそ、
言葉ではいえませんが、乗り越えてください。
奥様も御つらいでしょうが、乗り越えてください。
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