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日野原重明の100歳からの人生

介護・シニア

さようなら「砂防会館」…私が設立した財団などが42年間入居

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 東京・千代田区平河町の砂防会館といえば、ひところは大物政治家の個人事務所がいくつも構えられていましたから、みなさんも耳にしたことがあると思います。

 砂防会館は1957年に建設されました。地上5階地下2階の堂々たる建物で、現在はこの建物を本館と呼び、ほかに別館とシェーンバッハ・サボーというホールがあります。今から60年前の平河町界隈かいわいには大きな建物も少なかったために、遠く富士山はじめ箱根や秩父の山々、さらに東京湾まで見えたそうです。

 私が1973年に設立した財団法人ライフ・プランニング・センターは、この砂防会館の5階に本拠地を構えました。どうしてこのような一等地に財団を置くことができたのか、それについて記してみましょう。それには何人もの方たちの好意が、私の掲げた財団の理念「自分の健康は自分で守るために、一般の人たちへ健康教育を提供したい」に賛同され、実際に力を貸してくださったことによります。

 ライフ・プランニング・センターの前身は日本キリスト教海外医療協力会ですが、私もその発起人の一人として医療環境に恵まれていないネパールなどに医師やナースを送り出す事業に関わっていました。これに力を貸してくださったのが、当時、私の患者さんであった高橋敏雄さんです。高橋さんは健康保健組合連合会の常務理事として、私の話に熱心に耳を傾けてくださいました。そして、療養中にもかかわらず病床から親友の元厚生大臣の古井喜實さんに電話をして、熱く説いてくれました。古井さんは砂防会館の館長であった赤木正雄さんに掛けあって、破格の条件で私たちの入居を認めてくれたのです。

 日本の砂防事業の礎を築かれた赤木正雄さんのニッカボッカ姿の銅像が砂防会館本館の入り口に立っていますが、後に私が主治医となってからお聞きしたのは、新渡戸稲造先生に私淑しておられ、国民の健康についても大きな関心をもっておられるということでした。

 そのような背景のもとで、ライフ・プランニング・センターはここで呱々ここの声をあげることができたのです。

 ライフ・プランニング・センターの本部は1980年に東京・三田の笹川記念会館に移りましたが、砂防会館の5階は健康教育サービスセンターとして、財団の設立時のポリシーを実践する場として、そして2000年からは「新老人の会」の本部の置かれた建物として、これまで42年間、大勢の方々に親しまれてきました。

 その砂防会館が、老朽化のために建て替えられることになりました。平河町という一等地に築60年の5階建ての建物ではもったいないといえるのかもしれません。近隣には「赤プリ」の愛称で親しまれた旧グランドプリンスホテル赤坂があり、現在、高層ビルに建て替え中です。

 私たちも、長年活動を続けてきた健康教育サービスセンターを新しいところに移転しなければなりません。幸い、砂防会館から程遠くない千代田区一番町の進興ビルの1階に12月末には移転することが決まりました。これまで42年間なじんできた砂防会館も何年か後には新しい姿としてお目見えするのでしょうが、私たちの新たなオフィスとなる一番町も皇居を取り巻くよい環境にあります。

 新年を迎えるにあたり、一足先に新たな気持ちでさまざまな活動に取り組み、さらに発展させたいと思っています。

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日野原重明ブログ_顔120_120

日野原重明(ひのはら・しげあき)

誕生日:
1911年10月4日
聖路加国際病院名誉院長
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