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原隆也記者のてんかん記

闘病記

最初の発作(下)救急搬送、猛烈な頭痛と吐き気

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 倒れた後、意識を取り戻すまでの記憶がないため、一部始終を目の当たりにした同僚記者から発作の様子を聞きました。

 彼によると、私は「テレビが見えない」「目がチカチカする」と話しながら、テレビを抱きかかえるようにして見ていて、「そんなに近づいて目は大丈夫かな」と思ったそうです。そうしているうちに、「ウワー」とうなり声を上げながら、体から力が抜けるような感じで、崩れるように倒れ込みました。その後、手足をブルブルと震わせて全身がけいれんし、口から泡も吹き始めました。ほかの部の記者にも応援を求め、救急出動を要請してくれました。この間、5分ぐらいだったと言います。この記者はてんかんの発作を見たことがなかったので、「脳出血などの重大な病気ではないか」と心配になったそうです。

 駆けつけた救急隊の担架に運ばれる際、うっすらと意識が戻り、猛烈な頭痛と吐き気が襲ってきました。病院に運ばれ、けいれん止めの点滴を受けながら入院することになりました。この点滴が特に痛かったことを覚えています。薬剤が体の中に入ってくる様子が伝わり、首筋から頭にかけてしびれるような感覚が走りました。

 入院した病棟はお年寄りが多かったようで、うめき声とナースコールが頻繁に響きました。たびたび様子を見に来てくれる看護師さんに「記者が珍しいのかな」と能天気に邪推しながら、当時、彼女もいない独身男に、同僚が私の家から着替えをとってきてくれて差し入れてくれたのでした。

 ベッドの上で、「なんでこんなことになったのかな」と考えながら、同僚に倒れたときの様子を携帯電話で尋ね、ぼんやりと「ひょっとしててんかんかも」という思いが頭の中にわき上がってきました。この時、医師にてんかんかどうか確認したかどうか記憶は定かではありません。CT(コンピューター断層撮影装置)、MRI(磁気共鳴画像装置)、脳波などの検査をしましたが、異常は見あたりませんでした。退院する際、医師からは「ひとまず経過を見ましょう」と言われ、4日間の入院を終えて現場に復帰しました。

 入院は個室だったため、保険適用外の「差額ベッド代」として20万円!を病院から請求され、こちらでも倒れる思いをしました。この1年後にまた発作を起こすとはその時は全く思いもよらなかったのでした。

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原隆也(はら・りゅうや)
1974年、長野県出身。南アルプスと中央アルプスに囲まれた自然豊かな環境で育つ。1998年、読売新聞入社。千葉、金沢、横浜支局などを経て2014年9月から医療部。臓器移植や感染症、生活習慣病などを担当している。趣味は水泳、シュノーケリング。

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