「健康格差」に挑む医師、近藤克則さん
編集長インタビュー
近藤克則さん(3)ソーシャル・キャピタル 人とのつながり豊かな日本
「健康格差」に挑む医師、近藤克則さん
近藤さんが率いる全国14万人の高齢者を対象とした大規模調査プロジェクト「JAGES(日本老年学的評価研究)」は、海外の研究者からも注目を集めている。この30年で一気に世界一の長寿国に躍り出た日本発の高齢者研究プロジェクトだからだ。人と人とのつながりが、長寿と関係がありそうだということを明らかにしつつある。
この人と人との交流や社会参加、助け合い、そこから生まれるお互いさまの気持ちや信頼感は、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」と呼ばれ、健康に影響を及ぼす要因として社会疫学の分野で注目されている。日本の高齢者における健康とソーシャル・キャピタルの関係も重要な調査項目の一つとしているJAGESは、2009年から、この研究で先端を行くハーバード大学公衆衛生大学院のイチロー・カワチ教授と共同研究を進めている。
「海外から来た研究者が、日本のソーシャル・キャピタルはすごいと驚くので、こちらも驚くんです。例えば、タクシーでスマートフォンを落とした時に、アメリカなら絶対見つからないけれど、日本では返ってきたと感動されます。お店で、荷物を座席に置いて席取りをしても誰も持っていかない。東日本大震災の被災者が、行列を作って支援物資を待ち、暴動や略奪騒ぎも起きないのはすごいとも言われました」
「海外の研究者から指摘されたのですが、運動会は日本にしかないらしいのです。日本では、学校でも地域でも会社組織でも当たり前のようにやられてきた文化ですが、これもある意味、みんなで楽しんでソーシャル・キャピタルを高める装置だというのですね。韓国企業が日本の企業のいいところをまねしようと、職場の団結を高めるために運動会をやろうとしたけれど、どんなものかよくわからず、結局定着しなかったそうです。ラジオ体操やお祭りなど、日本には地域や職場にソーシャル・キャピタルを高める様々な装置があり、それを通じて培われた信頼社会であったことが、ストレスを軽減し、長寿の実現に役立っていたのではないかと考えられています。もちろん、ソーシャル・キャピタルだけで長寿になったわけではないですが、ソーシャル・キャピタルがほかの国より豊かな国だと、海外の研究者から見なされています。だったら、日本にしかできない研究があるのではないかと思って、取り組んでいます」
JAGESからは、人との交流が豊かなほど健康になることを示す研究成果がたくさん出ている。例えば、高齢者のうつ割合は全国29の市町村間で1.7倍の差があるが、心配事や愚痴を聞いてもらったり、聞いてあげたりする人がいない割合が高い市町村では、鬱の割合も高かった。同居以外の他者との交流が「月1回未満」だと死ぬ危険性が1.3倍高くなり、「週1回未満」から要介護状態や認知症になりやすくなる。スポーツや趣味の会など複数の会に参加するほど要介護状態になりにくく、スポーツグループへの参加割合が高い地域ほど、寝たきりのリスクを高める転倒も減る。さらに、所得格差の大きな地域では、他者への信頼感も低く、死亡率が高い。「自分は不健康だ」と思っている人の割合も多かった。
「ゲートボールなどスポーツグループへの参加を例に考えると、1人で運動するよりも、グループに入れば仲間や友人が増えて、健康に良い情報のやり取りが増える。また、笑う機会や励まし合いなどの心理的な支えや、目的地に行くために車に乗せてくれるような社会的な支援が増えることが期待できます。また、身近にグループがたくさんあれば、参加しやすくなり、運動など健康に望ましい行動をする機会が増えます。さらに、仲間が増えれば、ゲートボール場の整備など運動しやすい環境を求めて行政に働きかけることもできる。人とのつながりや社会参加は様々な経路で、人を健康に導くと考えられるのです」
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。JAGESの調査自治体の一つで、仙台市の南、沿岸部に位置する宮城県岩沼市も大規模な津波被害に遭い、住民の多くが仮設住宅に入居した。岩沼市は震災前年、JAGESの10年の調査対象となっており、たまたま、全ての高齢者の震災前のソーシャル・キャピタルと健康状態が調べられていた。
「今まで、ソーシャル・キャピタルが豊かだと健康に良いという関連が見られても、健康な人ほど人付き合いが多くて、ソーシャル・キャピタルが豊かになるのではないかという逆の因果関係があるのかもしれないと疑われてきました。ところが、ソーシャル・キャピタルが豊かかどうかにかかわらず、震災によって、岩沼市の高齢者全員に大きなショックが降りかかった。たまたま、震災前のソーシャル・キャピタルと健康状態を把握できたことによって、それが被災後の健康状態にどう影響するかを、逆の因果関係を排除したうえで、厳密に検証することができます。『自然実験』と呼ばれる、めったにない研究ができるので、米国の国立衛生研究所から研究助成金を得ることができました。13年に同じ高齢者を追跡調査して、人とのつながりが、震災後の心身の健康にどのように影響したかを調べました」
岩沼市には、同じ地域に住んでいた人たちが集団でまとまって入った仮設住宅と、抽選でバラバラな地域から入居した仮設住宅がある。それまでの人とのつながりを維持できたグループとそうでないグループの健康状態を、東北大の研究メンバーが比較し、分析した。その結果、バラバラな地域から入居した人は、同じ集落から集団入居した人よりも、困った時に助け合える人間関係が少なく、そのような人は精神状態も悪いことがわかった。
「誰かから手助けを受けるだけでなく、誰かのお世話をするという与える人間関係があることも、精神的な健康に関係していました。人は、与えられることで幸せを感じるだけでなく、与えるものがあること、役割があることで張り合いを得て、それが健康にも良い影響をもたらすのです。集団入居をすると、精神状態が悪くなる人が少ないことは、阪神・淡路大震災でも経験的に知られていました。でも、行政は公平を重んじるので、抽選で入居者を選ぶ方法がとられ、周りは知らない人ばかり。その結果、閉じこもってしまうのです。我々は、被災前からの人とのつながりを守りながら集団で入居することは、健康を保護する効果があることを証明できたと思っています。今後、再び大きな震災が起きた場合に、根拠を持って集団入居の重要性を行政に訴えたいと思います」
JAGESの中で「岩沼プロジェクト」と名付けられたこの震災におけるソーシャル・キャピタルの研究は、今も、様々な分析がなされている。地域のソーシャル・キャピタルの豊かさを地図に示し、震災が起きた後の回復力の強さを表す「減災・回復力(レジリエンス)マップ」作りができないか計画中だ。
「岩沼市の調査から、ソーシャル・キャピタルが弱い地域では、震災が起きた時に、そこに暮らす人の健康や立ち直る力が弱くなることが見え始めています。ソーシャル・キャピタルは、そこに暮らす人たちの手によってしか育てられません。備えが遅れている地域の住民にマップを見てもらい、『この地域は、被災に弱い面があります。このままで良いのでしょうか』と問いかけたら、話し合いが生まれないでしょうか? ほかの地域で、回復力の高かったところではどうやってつながりを強めてきたのか、住民が普段から草の根的にしていること、震災に備えてしていることなどの先進事例も集めて伝えたい。そうした情報も提供し、行政による支援策も広めて、減災が進められたらと願うのです」
これまでの研究で、ソーシャル・キャピタルが健康をもたらす可能性は見えてきた。しかし最終的にこの仮説を証明するには、ソーシャル・キャピタルを豊かにしたら、住民の健康状態が良くなるか、実際に地域で試してみる介入研究が必要となる。しかし、研究に何年もかかり、やってみても良い結果が出る保証はない。何より、協力してくれる自治体がないと研究はできない。世界でも地域介入研究は少ないが、近藤さんはこれにも取り組んできた。
2006年の介護保険制度改正時、強調されたのは介護予防の重要性だった。国が打ち出していたのは、健診で介護が必要になりそうな高齢者を早く発見し、その人たちに、転倒を防ぐ運動や栄養指導をする介護予防教室に参加してもらって、重症化を防ぐ介護予防策だった。しかし、不健康になりがちな社会的背景を持つ人ほど、健診には来ないと予想できていた近藤さんは、それではうまくいかなそうだと、調査協力市町村との共同研究会で話していた。
「健康意識の高い人ほどますます健康になり、困難を抱えた人ほどこぼれてしまう予防策は、効果が出るか疑問だし、意図せずして健康格差を広げてしまう恐れもあると話したんです。すると、愛知県武豊町の介護保険担当者が、『うまくいきそうもない事業を、国から言われたからやるというのは気が進まない。先生がうまくいくと信じる方法を武豊町でやってみませんか』と言われたんです。少し焦りました。国の政策を批判するのは簡単です。しかし、効果が出る対案を考えて住民と共に実現し、効果を証明することは大変な仕事だからです」
そこで、近藤さんは、当時日本福祉大で一緒に研究をしていた主任研究員平井寛さん(現・岩手大准教授)に相談した。
「『うまくいけばとても意義のある研究だけれども、論文が出せるのは何年も先になるし、効果が出なければ徒労に終わる。大きな賭けになるけれどもどうする?』って。すると『やりましょう』と言ってくれました。それで覚悟が決まりました。でも後で周りから『上司からそう言われたら、断れないよ』って言われたんです。今でもパワハラじゃなかったと信じていますが(笑)」
武豊町の職員と何度も会議をして、作戦を練った。参考になりそうな韓国の高齢者サロン「敬老堂」も見学し、住民説明会を開いたり、住民ボランティアと議論を重ねたりもした。平井さんは1年に40回も武豊町に通い、星城大教授(作業療法学)の竹田徳則さんも作業療法士の観点からプロジェクトに加わり、多くの人と知恵を出し合って準備を積み重ねた。
「提案したのは、介護予防事業としての『憩いのサロン』でした、誰もが気軽に通えるサロンを身近な場所に作り、参加者は通って楽しんでいるうちに活動量や、社会的なネットワークが増えて健康になる。地域にボランティアが育ち、ソーシャル・キャピタルも豊かになるはずだと考えたのです」
武豊町は、JAGESの前身のプロジェクトが始まった1999年から共同研究を重ねてきた自治体だ。会議の後には、担当者と酒を酌み交わすなどして、信頼関係を深めていた。この地域介入研究は、ハーバード大教授のカワチさんからも、「世界でも先駆的なソーシャル・キャピタル研究」と評価され、分析に加わってもらうことになった。
「まさに人とのつながり、ソーシャル・キャピタルの中で始まり、育っていったのが、『武豊プロジェクト』だったんです」
2007年に始まったこのサロン事業では、ハイリスクの人も健康な高齢者も、誰もが歩いて気軽に通えるように、町の中心部だけでなくあちこちにサロンを増やしていった。参加費は1回100円。たくさんの会場で継続していけるように、住民ボランティアを養成し、運営の中心を担ってもらう形を取った。
歌や体操、ゲーム、押し花作りなど毎月1、2回、ボランティアが様々なイベントを企画して、1か所あたりの参加者は60~100人近くとなった。参加者に尋ねると、話し相手や、他人の役に立っていると思う人が増え、健康状態が良い人や鬱がない人も期待通り増えた。武豊町の総合計画にも位置づけられたこのサロンの参加者は、町内の高齢者の1割を超えた。何より驚きだったのは、5年間で、要介護認定を受けた人が、参加していない人では14%だったのに対し、参加者では7.7%と、要介護状態になるのを半減する効果が明らかになったことだった。
「これまで、全国のあちこちで6万を超えるサロンが作られていたのですが、参加者が1か所で20人ぐらいのところが多く、効果を測定できなかったんです。武豊プロジェクトでは、参加者が900人を超え、そのうち300人を長期間追跡できました。サロンのような社会参加が介護予防に役立つということを、高度な分析手法も使って科学的に証明できたのです」
しかも、健康格差対策の視点で見ると、サロンに通う割合は、むしろ不利な条件に置かれた人たちの方で多いことも、平井さんの分析でわかった。
「健診には高学歴、高所得の人が熱心に来ていて、不健康な人ほど来ないという図式がありました。しかしサロンは逆だったんです。低学歴、低所得の人がむしろ来ていることがわかった時は驚きました。この方法なら、健康格差を和らげられる可能性があるということですから」
こうした研究成果が厚生労働省の社会保障審議会で報告され、国の介護予防事業を転換させたことは連載1回目で伝えた。科学的な根拠をもとに法改正もされ、住民主体の通いの場作りが介護予防事業として全国に広がり始めている。
「様々な調査プロジェクトを抱えて忙しいのに、ご自身の健康は大丈夫ですか?」と尋ねると、近藤さんは「私自身がソーシャル・ネットワークやソーシャル・サポートが豊か。その意味で、とても健康的な生活ですよ」と笑う。
JAGESでは毎月、全国の様々な大学・研究機関から30~50人の研究者が参加し、研究課題や方法を話し合い、成果を発表する研究会を開いている。近藤さんは、どこの研究機関の研究者でも、健康の社会的決定要因に関心があり、一緒にやろうという気持ちがある人なら、データの提供は惜しまない。
JAGESに06年頃から参加しているサブリーダーの近藤尚己・東大准教授(社会疫学)は、「近藤克則先生には、世の中を良くしたいという明確なビジョンがあり、そのためならば誰でもウェルカムというオープンな研究グループです。ほかの研究グループにはない特徴ですね。研究メンバーが論文執筆で大変な時にはねぎらいのメール、論文が採用された時にはおめでとうメールを送ってくれ、飲み会も多い(笑)。先生自身が、この研究グループのソーシャル・キャピタルを豊かにしようとしています」と語る。
また、医師だけでなく、作業療法士、栄養士、社会学、経済学など、どんな分野の専門家にも間口を大きく開けているのは連載1回目でも書いた通りだ。
08年から参加している東北大准教授の歯科医師、相田潤さんは、「医療の分野だけでは発想できないアイデアがもらえるので、とても刺激的な研究グループです。近藤克則先生は伝統的な手法やしがらみにとらわれず、合理的に物事を考えて、政策に落とし込むところまで障害を突破していく型破りなリーダーなので、研究が楽しくなるんですよね」と語る。
国際保健分野で研究をしてきた千葉大特任助教の佐々木由理さんや薬剤師の資格を持つ東大研究員の谷友香子さんは、「どんな専門分野でも、かなり若手の研究者であっても、アイデアを出すと、『それ面白いね』と拾い上げてくれ、膨らませてくれる。私たちは近藤先生のことを陰で『宇宙人』って呼んでいるんです。えたいの知れない大きさがある。もう一つのあだ名は笑顔が似ているから『スヌーピー』(笑)。尊敬されながら、愛されるキャラですね」と語る。
当の近藤さんは、研究のための仲間作りをどう考えているのだろう。
「社会疫学という分野自体が、家族あり、心理あり、社会あり、お金も政策も何でも大事だという学問分野なので、私は、そのつなぎ役になりたいのです。文系、理系で研究者を分けるのは日本だけだという話もあります。せっかく学際的な研究計画に研究費がついても、お金だけ分けてバラバラに研究して、融合が生まれないというのでは意味がない。様々な専門分野の人がいろいろな知恵や方法を持ち寄って、刺激され、持ち帰る。社会疫学においては、医学であっても、様々な専門分野の中の一つに過ぎません。どの分野の人でも肩身を狭く感じない環境を作りたい。行政や現場の人とも、共に知恵を出し合って、一緒に健康格差の縮小という難問に取り組み、研究成果を現場や行政に還元していく。そうやって、良い協働・循環関係を育ててきたのが今につながっています。人とのつながりから生まれるソーシャル・キャピタルは、健康だけでなく、良い研究や仕事も生み出すのだと信じています」
(続く)
【略歴】近藤克則(こんどう・かつのり) 千葉大予防医学センター教授(社会疫学)、国立長寿医療研究センター老年学評価研究部長 1958年、愛知県生まれ。83年、千葉大医学部卒業、船橋二和病院リハビリテーション科長などを経て、97年日本福祉大助教授。イギリス・ケント大留学後、日本福祉大社会福祉学部教授を経て、14年4月から現職。『健康格差社会―何が心と健康を蝕むのか』(医学書院)で社会政策学会賞(奨励賞)受賞。『「医療費抑制の時代」を超えて―イギリスの医療・福祉改革』『「医療クライシス」を超えて―イギリスと日本の医療・介護のゆくえ』(共に医学書院)、『「健康格差社会」を生き抜く』(朝日新書)など著書多数。 |
【関連記事】