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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[ケンイチ大倉さん]故ジョニー大倉さん がん入院中、息子に「すまなかった」

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「一匹オオカミの生き方を貫いたおやじだけれど、本当は家族や仲間に囲まれていたい人だった」(東京都千代田区で)=高橋美帆撮影

 伝説のロックバンド「キャロル」のメンバーで、俳優としても活躍したジョニー大倉さんは昨年11月、62歳で亡くなりました。

 余命2週間と告げられたものの、一時はライブができるまで回復。長男のミュージシャン、ケンイチ大倉さん(43)は、その闘病を1年半にわたって支えました。

「余命2週間」

 

 2013年5月、おふくろと僕は医師に呼ばれました。そこで見せられたのは、おやじの健康診断の結果。肺のレントゲン写真は、素人目にも「もう助からない」と思うものでした。

 15個のがんがあり、大きさは最大で15センチ。そして、医師から「2週間しか生きられない」と告げられました。2週間? あっという間じゃないですか。本人に言うかどうか、じっくり考える猶予もない。結局、医師から本人に伝えてもらった。おやじは動揺したそぶりは見せず、ただじっと遠くを見つめていましたね。

 ジョニーさんは、1クール5日間の抗がん剤治療を4回繰り返した。その間、妻の真理子さんは病院に寝泊まりして、24時間付き添った。ケンイチさんも、仕事後は真理子さんに代わって病院に。そのかいあって、がんは縮小し、4か月後にはいったん退院できるまでになった。

 リーゼントが代名詞のおやじでしたが、抗がん剤治療で髪が抜けていく。抜けかけの髪を自らの手で取る姿を見て、「病気と闘う覚悟をしたんだな」と感じました。

復活ライブの陰で

 

 抗がん剤治療では体力が落ちることが多いようですが、おやじは元気でしたね。「あれが食べたい」「あれを持ってきてくれ」とわがままも多かった。若い頃から大酒飲みでやんちゃで、あまり家にいない父親でしたから、僕は両親がけんかするところばかりを見てきました。それが病気になってから、おやじはおふくろに甘えきって、まるで恋人時代に戻ったようでした。

 14年4月13日、ジョニーさんは復活ライブのステージに立ち、力強く7曲を歌い上げた。幾度も事故や病気からかえってきた「不死身のジョニー」を改めて印象づけたが、舞台裏では非常事態も起きていた。

抗がん剤治療を始めた頃のジョニーさん(左)とケンイチさん(2013年、ケンイチさん提供)

 前日におふくろが心筋梗塞で倒れ、入院したんです。看病疲れもあったんでしょう。ライブの中止も考えたけど、4月13日はキャロルが解散した日で、毎年この日に行うライブはおやじのライフワークだった。ぎりぎりまで迷った末、予定通りに開催しました。

 おふくろは数週間で退院することができました。が、反対におやじのほうは徐々に容体が悪化し、8月以降は酸素ボンベが手放せなくなった。体力が衰えていて、副作用の強い抗がん剤はもう使えなくなっていました。

 病室の壁にカレンダーを張り、「ケンイチはどこでライブなんだ」とよく聞いたそうです。でも、本当はカレンダーで一日一日、自分が生きていることを確認したかったのではないか。腕時計も着けたままでした。一秒一秒刻まれる時間の流れから離れたくなかったのかもしれません。

 話しかけても、苦しそうに「うん」と答えるのがやっとになり、その頃は僕も毎日病室に泊まり込んでいました。トイレに介助が必要だし、容体が急変するかもしれないから。

 11月18日の午後、僕が「じゃあ、ライブに行ってくるから」と言うと、おやじが黙って手を出した。握手をした。握手なんて、したことがなかったのに。「後は頼んだぞ」と言われたようでした。

 翌日、おやじは息を引き取りました。僕は仕事の移動中で死に目には会えず、夜に病室に駆けつけると、そこに「ジョニー大倉」がいました。ステージ衣装を着てメイクもして、まるで生きているようで。本人の希望で、全て用意してあったのです。

家族の絆再び

 

 ロックミュージシャンとしての人生を全うした父を見送って、ケンイチさんが今、感じていることがある。

 ずっと、おやじを嫌っていた。小さい頃、かわいがってもらった記憶はない。たまに帰るとどなる。ミュージシャンのジョニー大倉は大好きだけど、おやじの大倉洋一には反発してきた。その気持ちは、病気になっても続いていたんです。でも、入院中のある時、突然「お前にはすまなかった」と。おやじ、ずっと気にしていたのか……。その一言で、わだかまりが消えました。

 病気をきっかけに、兄弟、親戚が集まるようになり、いつしか会うこともなくなっていた家族がまた一つになった。おやじは自分の命に替えて、家族に絆を取り戻したんじゃないか。そんな気がします。(聞き手・梅崎正直)

 

 けんいち・おおくら 1972年、ジョニー大倉さんの長男として神奈川県に生まれる。17歳の時、映画「嵐の中のイチゴたち」で俳優デビュー。ミュージシャンとしても活動する。父の命日となる今月19日には、東京・銀座TACTで「ジョニー大倉一周忌ライブ」を開く。

 

 ◎取材を終えて 息子にとって父親は強く大きな存在だ。だから反発し、嫌いにもなる。が、父親もいつかは衰える。その時、素直に手を差し伸べられないのは、心のわだかまりのせいではなく、現実が悲しく受け入れがたいからだと思う。

 親にすれば、自らが衰え、死にゆく姿を見せるのは、子のためにできる最後の教育だ。大倉父子が交わした握手。それは「授業」が終わった合図だったのかもしれない。

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