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白血病と闘う~政治部デスクの移植体験記

闘病記

(2)急な発熱、白血病が再発

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 白血病という言葉は、心に大きなストレスをもたらします。一般的には映画やドラマの悲壮感あふれるシーンや、白血病で若くして亡くなった著名人(女優の夏目雅子さん、歌手の本田美奈子さんら)を思い浮かべ、「不治の病」というイメージが強いのかもしれません。私自身、2013年7月に初めて白血病と告げられた時、「それは、私が死ぬということですか」と医師に恐る恐るたずねた記憶があります。

 急性骨髄性白血病は、すべての血液細胞の源である造血幹細胞が、骨髄の中で分化(特定の機能を持った血液細胞に成長・成熟すること)する過程でがん化し、骨髄や血液中で急増する病気です。正常な造血幹細胞なら、骨髄の中で増殖、分化し、赤血球、血小板、白血球などに成熟した上で血液中に送り出されます。しかし、白血病細胞(がん細胞)は増殖して骨髄を占拠し、正常な血液細胞が作られなくなります。このため、感染を防ぐ機能が低下して敗血症(血液中に菌が入り込み、高熱や血圧低下、意識障害などの重篤な症状が出る)などの重症感染症を合併し、多臓器不全(肝臓など複数の臓器が正常に機能しなくなった状態)に陥ることもあります。

 ほとんどの場合、白血病の原因は不明で、生活習慣や遺伝もほぼ関係ないといわれています。健康的な生活をしている人も含め、いつ、だれにふりかかるかわからない病気なのです。

 私は新聞記者という職業柄、夜更かし、寝不足は日常茶飯事でしたが、山登りやゴルフなど運動が大好きで、ジムでのトレーニングにもほぼ毎週通っていました。たばこも吸ったことはありません。13年の発病時に、医師から「取材で福島の原発事故現場に行きましたか」と聞かれました。被曝ひばくの可能性を念頭に置いた質問でしたが、「いえ、福島市は行きましたが、現場は行っていません」と答えると、「では、原因はわかりませんね」と言われてしまいました。

「入院してください」…想定外でぼうぜん

 白血病の再発は、イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人人質殺害事件が大詰めを迎えた時期で、取材、原稿作りで忙しかったころでした。当時、私は政治部デスク(次長)で48歳。15年1月31日、仕事明けで家にいた私は夕方から急に体がだるくなり、夜、38度を超える熱と寒けに襲われました。「これはインフルエンザに違いない」と思い、翌2月1日、かかりつけの虎の門病院分院で血液検査を受けたところ、「好中球(白血球の一種。体内に侵入した細菌をのみ込む)が極端に少ない。白血病の可能性もないわけではないので念のため入院してください」と告げられました。入院も白血病も全く想定外だったのでぼうぜんとしてしまいました。

 3日に骨髄検査(骨髄に針を刺して中の骨髄液を取る検査)を受け、その結果から、翌4日には急性骨髄性白血病が再発していると主治医から告知されました。前回の白血病の退院から約1年2か月。この間、かぜ一つひかず、ずっと元気に過ごしていた私に、「再発」という最も恐れていた事態がさしたる前兆もなく、突然訪れたのです。

 ショックが大きすぎて、状況をしっかり自分のこととして受け止めることができませんでした。何しろ、つい先日までふつうに働いていたのです。告知された時も、熱はあっても、ほかに大した苦痛はありません。それなのに白血病再発とは……。悪い夢でもみているかのようでした。

 後に冷静に考えれば、すでに私の骨髄では白血病細胞が異常増殖し、逆に正常な血液細胞が著しく減少。細菌やウイルスに対する免疫力、抵抗力が急速に衰え、高熱が出たとみられます。

抗がん剤でがん細胞全滅ねらう…化学療法

 急性骨髄性白血病の代表的な治療法は、「化学療法」と「造血幹細胞移植」の二つです。

 白血病を発病したとき、体内にはおよそ1兆個の白血病細胞が存在するとされています。白血病を完治させるにはこの白血病細胞をすべて殺さなければなりません。抗がん剤による化学療法によって、1兆個の白血病細胞を1度の治療で全滅させるにはとてつもない量の抗がん剤が必要で、患者の体はとても耐えられません。

 そこで何度かに分けて抗がん剤治療を行い、徐々に白血病細胞を減らしていく戦略がとられます。最初に行う治療を寛解導入療法といいます(寛解とは病気が落ち着いている状態を指し、決して治ったという意味ではありません)。治療により白血病細胞が一定程度少なくなると、正常な血液を造る働きが回復します。末梢まっしょう血(体の中を流れている血液)には白血病細胞が見られなくなり、骨髄では白血病細胞の割合が5%未満になります。この状態を完全寛解と呼びます。このとき、白血病細胞は当初の1000分の1、つまり10億個程度まで減少しています。しかし、完全寛解とはいっても体内にはまだ10億個もの白血病細胞が残っており、ここで治療をやめると早晩再発してしまいます。

 このため、さらに地固め療法と呼ばれる強力な化学療法を何度も追加します(通常約1か月1回のペースで抗がん剤を数日間投与。これを3~4回行います)。体内の白血病細胞が100万個程度まで減ると、感度が高い遺伝子検査でも白血病細胞を検出することができなくなります。この状態を分子生物学的完全寛解といいます。

「病気と決別、移植しかない」…医師が断言

 13年に病気の見通しが良いとも悪いともいえない予後中間群の急性骨髄性白血病と診断された私は、寛解導入療法と地固め療法の2段階の化学療法を同年7月から11月まで受け、分子生物学的完全寛解に達しました。退院後、まもなく会社に復帰。後遺症も全くなく、体調は良好でした。しかし、化学療法による抗がん剤の「波状攻撃」を受けても生き残った白血病細胞がいたらしく、それが1年余の時を経ていきなり増殖し、再発と診断されてしまいました。

 私は化学療法を経験していたので、再発直後、「今回も化学療法で治してもらえませんか?」と担当医師に聞いたのですが、医師はとんでもないといった表情を浮かべ、「化学療法でいったん白血病細胞をやっつけても、再々発してしまう可能性大です。そうなると、一層治すのが難しくなります。白血病と決別したければ、移植しか道はありません」ときっぱり告げたのです。

 医師が示した移植とは、もう一つの代表的な治療法の造血幹細胞移植です。それは、私のように白血病が再発してしまったケースや、化学療法だけでは再発の可能性がかなり高いと予想されるケースなどで行われます。

 かつて化学療法で入院中、脱毛、口内炎、下痢など苦しい抗がん剤の副作用がいくつもありましたが、移植治療は化学療法とは比べものにならないほど、肉体的にも精神的にもきつく、つらいものでした。

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白血病と闘う~政治部デスクの移植体験記_201511_120px

池辺英俊(いけべ・ひでとし)
1966年4月、東京生まれ。90年、読売新聞社に入社。甲府支局に赴任し、オウム真理教のサリン事件などを取材。96年、政治部記者となり、橋本龍太郎首相、小沢一郎新進党党首、山崎拓自民党幹事長(肩書はいずれも当時)の番記者を経て、外務省キャップ、野党キャップ、外交・安保担当デスクなどを歴任。2011年5月から政治部次長。著書に、中公新書ラクレ「小泉革命」(共著・以下同)、同「活火山富士 大自然の恵みと災害」、東信堂「時代を動かす政治のことば」、新潮社「亡国の宰相 官邸機能停止の180日」など。

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8件 のコメント

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明日へ

明日の犬ファイト

初めまして皆様の苦労お読ましていただき私の息子も24歳の時首が痛いといい夜12時ごろ苦しがりきゅうきゅうで医者に行きそのまま入院になり次の日に医...

初めまして皆様の苦労お読ましていただき私の息子も24歳の時首が痛いといい夜12時ごろ苦しがりきゅうきゅうで医者に行きそのまま入院になり次の日に医者に行ったとき白血病と言われ余命2週間と言われ私達と息子は言葉ぉなくしましたその時は息子は会社員で初めて息子が涙がほほぉ伝わって行くのが見えて私も暴れたくなる思いでしたがすぐ抗がん剤点滴脳に転移色々あり苦しみ移植も何とかhlaが合わず臍帯血の3だしかなく何とか無事に終わり入退院ぉ繰り返し今わ自宅で静養中ですがgvが治らず何時社会に復帰できるか不安の日々です--皆様のご苦労わが心のようです頑張りましよう人生色々心にしみますね

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乳児白血病

pome

いくつか読ませて頂きました。 私の息子は2011年に生後2ヶ月半で急性リンパ性白血病と診断されました。 小児白血病は5年生存率80パーセント位で...

いくつか読ませて頂きました。
私の息子は2011年に生後2ヶ月半で急性リンパ性白血病と診断されました。
小児白血病は5年生存率80パーセント位で昔と違い治る病気になってきたけど、乳児白血病はまだまだ予後不良で、生後一年未満、半年未満、3ヶ月未満と病気になるのが早い程5年生存率は下がって、息子の場合30パーセント無い位と言われました。治療もハイリスク群で移植前提での入院生活スタートでした。
生後7ヶ月で臍帯血移植をしました。移植事態はなんとか成功したのですが、治療の影響か肺高血圧症になり非常に稀な合併症と言われました。
それでも息子は頑張って9ヶ月の入院生活を乗り切り無事退院、再発も無く移植から5年経ち、この春小学生になりました。
周りの子より小さいですが、大きなランドセルを背負って30分程の道のりを元気に通っています。
息子の経験が誰かの希望になれば良いなと思います。

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大変な病気です

ぽぽきち

投稿から2年経っての書き込み申し訳ないです、書き込み、誰にも気づかれないと思いますが 私も去年一年間、急性骨髄性白血病により、治療を繰り返しまし...

投稿から2年経っての書き込み申し訳ないです、書き込み、誰にも気づかれないと思いますが

私も去年一年間、急性骨髄性白血病により、治療を繰り返しました。
予後良好群でしたので、化学療法のみで、現在、様子観察で、本退院から2ヶ月経ちました。
たった二ヶ月ですが笑、こまめに検査をし、再発しても早めに対処できるようにと、主治医の先生に言われました。
化学療法のみといっても、ホルモンバランスはおかしくなります。
告知された時、父と私と主治医の三者面談でした。
急性白血病は、発症した時点で、固形がんでいうステージ4の状態であるということでした。
涙がでました。
主治医の先生も一緒になって涙ぐんでくださったり…
いろんな人間模様にもであい、助けられ、父の存在がありがたく感じ、いい経験になりました。
社会復帰はまだ出来てません。
看護学校受験したく、定職についてしまうと受験できないかなとか色々考えてしまったり、落ちたメンタルが立ち直らなかったりしています。。
どう生きるのが無難なのか。
今までの職種で正規職員のクチを見つけて、社会復帰するのが無難なのか、

レベルアップすべく看護学校受験を本気で考え、今年一年はアルバイトするのか…

悩みが尽きません。

同じようにこの病気で同じことで悩んでる人、他にいますかね。

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