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発達障害を持つ漫画家、沖田×華(ばっか)さん(2)看護の仕事ができずにいじめられ、自殺未遂も

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 ――看護師の仕事は大変でしたか。

 「念願の看護師になったものの、仕事の手順がさっぱりわからず覚えられませんでした。同僚などが話す内容や指示もより具体的に言ってもらわないと理解できず、何で怒られているのかもわかりませんでした」

 「とにかく仕事のレベルが上がるとダメ。患者さんの顔と名前も覚えられませんでした。『自分は国家試験に受かって頭は悪くないはずなのになんで?』と思いました。発達障害のことを自覚し始めたのはこの頃です」

 「仕事ができない自分を見て、先輩から『死ね』と言われました。看護師は絶対にやめたくなかったのですが、頑張れば頑張るほど周りから嫌われ、ついには自殺未遂も起こしました。『看護師でなければこんなに苦しまなくて済む』と思い、わずか1年でやめてしまいました。22歳の時でした」

 「『自分はいろいろ頑張ってきたつもりなのに、何をやってもうまくいかない』。もう何もかも嫌になってしまい、病院をやめる時、『30歳まではいいかげんに生きていこう』と気持ちを切り替えました。『自分でお金を稼げる仕事は何だろう』と考え、地元を離れ、風俗で働くことにしました」


 ――漫画家に転身したきっかけを教えてください。

 「漫画はもともと好きで、いろいろな作品を読んでいました。描くのも好きで、風俗店での待ち時間、お客さんのことなどを題材に『30秒漫画』を描いていました。待機場所にあった段ボールに30秒ぐらいで3コマぐらい、お客さんのことをさっと描いて他の女の子たちを笑わせていました」

 「ある時、読んでいた漫画の作者に手紙を書いたところ、電話がかかってきて、実際に会うことになりました。そのうち、たまたま描いたイラストを見て『個性的な絵だね』と指摘されました。そして白い紙を渡され、『4コマ漫画を描いてみろ』と」

 「できあがったものを見て、『話もできているしオチもある。才能がある』と褒められました。風俗店での体験を4コマ漫画にして、雑誌に掲載してもらえるようになりました」

 「同じ頃、ファンだった別の漫画家が開設していた投稿サイトに作品を送ったところ、サイト内で4コマ漫画の連載をさせてもらえるようになりました。今のペンネームはこの方につけていただきました。主にギャグ漫画でしたが、2008年に、この作品を集めた初めての単行本『こんなアホでも幸せになりたい』(マガジン・マガジン)を出版してもらえることになりました。本は売れませんでしたが、あちこちの出版社に献本したところ、少しずつ仕事が舞い込むようになったのです」

続く

 
沖田×華(おきた・ばっか)さん

 1979年、富山県生まれ。高校卒業後、看護学校を経て看護師に。その後、漫画家に転身。2008年、初の単行本『こんなアホでも幸せになりたい』(マガジン・マガジン)を出版。発達障害の患者でもあり、自分の病気のことなどを書いた作品を次々に発表。今年5月、『透明なゆりかご 産婦人科医院看護師見習い日記』(講談社)を出版。今月、第2巻が発売された。

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