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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

コラム

医師の常套句「様子を見ましょう」、その真意は…

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 「様子を見ましょう」というのは、診療科によらず医師の常套じょうとう句といえます。

 かく言う私も、診察室でよく口にしますが、その時の自分の心理の裏側をのぞいてみることにします。

 おそらく一番多いのは、一過性の自覚症状や、時々生ずる症状ではあっても無害または生理的範囲内(少なくともその時点では病気として扱わなくてよい状態)と考えられる場合です。

 具体的に言えば、「一瞬眼を針で刺されたような痛みがあった」「そこにはないはずの光が見えた」というような訴えに対し、「心配要りません、様子を見ましょう」と言うことが多いのです。

 これらの症状の成り立ちを科学的に正確に説明することは容易ではありませんが、重大な病変が潜んでいたり、見えなくなるといった機能異常に発展したりすることはまずないという自分の臨床経験がそう言わせるのです。

 事実、こうした例の大半は、以後に症状があっても気にしなくなるので、何ら問題なく生活できます。もちろん、後に重大な病気が見つかることもありません。

 では、なぜ「様子を見ましょう」というのでしょうか。

 様子を見るとは、その症状を契機に今後変化が起こるかどうか経過を見てゆきましょうという意味です。そこには、患者さんが訴える症状に、その医師が関心を示していることを伝える役割が存在します。

 私が患者だとしても、自分が自覚した症状の成り立ちを解き明かすことなく、ただ心配ないから帰れと言われたら、その医者を信用しないでしょう。その医師は、症状に関心を示していない、つまりその症状に十分精通していないと思えるからです。精通していれば、納得ゆく説明があるはずだからです。

 「様子を見ましょう」と私が言う場合は、医師といえども初対面の人間に、「もう来ないでよい」はいかにも失礼だと思うからでもあります。

 まして、どうしてそのような現象が生じたのか説明がつくならまだしも、メカニズムも十分わからないのにそう言い切るのは、傲慢だと思うのです。

 様子を見るのは、自分が考えているように確かに無害な経過をたどるかどうかを見極めたいという希望があるからですが、ひょっとしたら未知のことがあるかもしれないとも思う---それが、医者という科学者のはしくれのとるべき姿勢だと私は考えています。

 様子を見ましょうの裏には、そういう医師の心理が働いています。

 患者さんは自分で様子を見ていて、何事もなければ、様子を見たいと医師のところに行ってそれを報告するのもよいし、医師の言葉の裏にある「何事もなければ放置してよい」という解釈どおり、必ずしも再診しなくてもいいのです。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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