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在宅医療に取り組む緩和ケア医・新城拓也さん

編集長インタビュー

新城拓也さん(1)患者・家族と向き合い、終末期の苦痛和らげる

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在宅医療に取り組む緩和ケア医・新城拓也さん

「緩和ケアとは何か」について語る新城拓也さん

 自分や大事な人が重い病気にかかり、死に直面すると、人生は一変する。この先も当たり前に続くと思われた日常が失われ、体も心も打ちのめされて苦しむ人に、人は何ができるのだろう。終末期の心身の苦痛を和らげる「緩和ケア」に長年取り組み、その答えを探す道筋を惜しみなく明かした著書『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)を5月に出版した医師、新城拓也さん(44)。病院から在宅医療に活動の場を移し、患者や家族と向き合う日々から何が見えてきたのだろうか。

◆◆◆

 9月中旬、新城さんが3年前に神戸市北部に開業した緩和ケア専門のクリニック「しんじょう医院」を訪ねた。先生自らハンドルを握る車で、往診に同行させてもらう。

 膵臓すいぞうがんを患う60代半ばの女性は、病気の進行で行き場のなくなった胆汁をチューブで体外に出してためるパックを肩にかけ、玄関まで歩いて出迎えてくれた。新城さんはおなかの触診をしながら、食欲が落ちたという女性に、胃の出口を内視鏡で広げる処置を勧めるが、「来月にしようかと思って……」と先送りの言葉が返ってくる。「お母さんの調子はどう?」と同居する高齢の母親の様子も尋ねるうちに、「母の方が心配でね」と介護が必要な母親の世話や、通院に付き添い、薬を薬局に受け取りに行くスケジュールを気にして、入院に踏み切れずにいることが見えてきた。

 「これ以上体力が落ちると、家の中でも動きづらくなってお母さんの面倒も見づらくなっちゃいますよね。力のあるうちに栄養を取れるようにして、家におれる時間を長くしましょうよ」

 母親と女性の薬の処方箋をまとめて書き、早めに医療処置を受けられるよう、その場でスケジュール調整をする。診療中の部屋には玄関の改装工事の音が響き、窓の外には間もなく取り込まなくてはいけない洗濯物。ベッドのわきには孫のおもちゃが転がっている。

 「家なら、なんやかんややることがあって忙しいんですわ。病院は寝ているしかないから退屈だし、病室にいるといろいろ考えこみますしね」
 「なるべく家で暮らせるようにしましょうね」と答え、いつものように握手をして、家を後にした。

 新城さんは、がん患者を中心に、30人前後を平均週1回のペースで往診し、その7~8割を看取みとっている。「緩和ケアを受けたい」と求めて来る患者はほとんどいないが、すべての患者に緩和ケアをしている。がんなどで終末期を迎えた患者やその家族に対し、心身の苦痛を和らげる目的で1960年代から始まった緩和ケア。現在、病気の初期から行うことで、治療効果や延命効果が上がることでも知られている。緩和ケアとはどのようなケアなのだろうか。

 「その人がその時点で持っている力を最大化することです。専門用語で言えば、QOL(クオリティ・オブ・ライフの略、生活の質)を最大化するということなのですけれども、ディズニーランドに行くことや温泉旅行に家族で集まって行くなど、何も特別なイベントをすることが生活の質が高いということじゃない。QOLは、何げない日常生活の営みの繰り返しです。痛みがあったり、吐いたりしていると、日常生活を送る力が落ちてしまう。僕らは、薬の力で、歩けない人を歩けるようにするのではなくて、痛みや吐き気、食欲不振の重しを取りのぞいてあげることで、元々持っている歩ける力を引き出すのです。重しを軽くするところまでしか、手助けはできない。どこまでその人に力が残っているかは、検査や画像診断ではわからなくて、その人の目の力強さとか、笑顔や表情の力強さなどから勘でつかむ。その力の最大化です」

 2011年までの10年間、神戸市の社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)のホスピスで緩和ケア医として働いた。日本緩和医療学会で、痛みや呼吸器症状など緩和治療のガイドライン作成にも全面的に関わり、緩和ケアの第一人者として、その手法を世に広める役割も担っていた。

 だが、順調にキャリアを積み上げていた時に東日本大震災が起き、震災翌月の4日間、原発事故の影響を受けた福島県南相馬市の避難所にボランティアに入った。自宅や家族を失い、体育館や学校の教室で暮らす環境の中でも、病院にはない暮らしの匂いがそこにはあった。傷ついた心身で個々の日常生活を立て直そうとする被災者に寄り添ううちに、生活の中で人を診る在宅医療へ踏み出す気持ちが定まった。

 「病院でその時できることはやり尽くしたという思いがあったのも確かですが、入院生活というのは、どうしても、患者さんを生活から完全に切り離しているんですよ。患者さんはみな同じ格好をして、非日常な一日を積み重ね、患者の個性や生活の匂いはかき消されている。その中で、生活の質というものを考えても難しくて、患者の生を支えるというよりも、『快適な死を援助しているに過ぎないのではないか』『緩やかな安楽死を手伝っているに過ぎないのではないか』という葛藤を持ち続けていました。病院では、その人の持つ力の最大化というよりもむしろ、症状を緩和する薬の力の最大化を考えていましたよね。発想がまったく違う。患者さんも医師や看護師に依存するので、自立を失い、本来持っている力は弱まっていたと思います。そうなると、何のために症状を緩和するのかわからない。被災地の避難所でさえ、そこには生活の匂いがあり、それぞれの生活を支えるために医療はあった。しばらく忘れていた医療の原点に気付かされたのだと思います」

 緩和ケアで、初めの一歩として重要になるのは、もちろん苦痛の緩和だ。初診で、患者や家族が訴えるのは、まず、今ある症状を何とかできないかということ。医療者への講義の形でまとめた新刊『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?』の最初の章では、まず「痛み」「呼吸困難・吐き気」「腹水」「食欲不振」「不眠」「せん妄」など終末期の代表的な症状について、最新の科学的知見に基づいた医療用麻薬など薬の選び方や処置の仕方を細かく紹介した。

 ガイドラインのような、答えの定まったマニュアルやノウハウだけではない。症状の悪化を認めたくなくて、痛みを医師に正直に言えない患者のためらい、少しでも食べさせようと悩む家族とその期待に応えられない患者のつらさ――。治療を受ける患者や家族のそんな心の揺れ動きについては、哲学者や作家の言葉まで総動員して、自身が迷いながら答えを探してきた過程をそのまま書いた。

 「病院の時も同じ対応はしていたのですが、問いはあるのに、答えがない人もいるんですよ。科学的な根拠って、他人の経験の共有化なんです。論文も業績のために書いているわけではなくて、自分たちが困っていることはきっと世界中でも困っているから、自分が伝えようと思うわけです。それでも、答えが見つからない問題は、自分の経験を超えた異分野の知識などを取り入れて、対処するしかない。自分ができる限界まで答えを探した、その思考過程みたいなものをそのまま出して、同じように困っている人たちと共有したいと思ったんです」

 痛み、吐き気、食べられないという症状のつらさを和らげれば、また次の訴えが出てくる。症状緩和と新たな症状のいたちごっこが続く終末期で、最初に患者が訴えた強烈な苦痛が取り除かれたあたりから、新城さんは徐々にその人の生活について聞き始める。絶えず病状が揺らぎながら、徐々に衰弱することが免れない緩和ケアでは、症状を緩和する対応だけでは、いつまでも患者の満足を得ることができないからだ。

脳梗塞の後遺症がある90代の女性の自宅を訪ね、診療する新城さん。家族の話を聞くのも大事な仕事だ

 つい前日診療した女性患者の自宅は、1階でクリーニング屋を営んだ跡が残っていた。「いつまで仕事をしていたの?」を糸口におしゃべりするうちに、昔、夫と2人で店を切り盛りしていたが、しばらく前に閉めたことを知った。2人でのんびり余生を送ろうとした時に女性が病気になってから、以前は仕事一筋で家事などしたことのない夫が、食事を作るようになったと教えてくれた。

 「『ご主人は昔から作ることあったの?』と聞くと、『最近やり始めたばかりだから、まだまだですわ。ほとんどスーパーで買ってくるだけです』なんて言う。こちらは、患者さんの家族背景を知ろうとか、キーパーソンは誰なんだろうとか医療的な会話をしているわけじゃなくて、ただ好奇心で聞いているだけなのですが、対話の中からその人の生活や生きてきた輪郭が見えると、病気がすべてを奪っているわけじゃないというのが少しずつ見えてくるんです。緩和ケアって喪失の連続だから、痛みを取ったら、次は食欲不振、次は不眠と次々に出てくる。しかし、その過程で、ご主人が働いている時はやらなかった家事をやってくれるようになったりとか、子供がよく訪ねてくれるようになったりする。喪失していくことはすべて不幸ではないというのが、対話の中で、互いにわかってくるんです」

 苦痛の除去が主目的になるのではなく、幸福の境地を目指す患者の生活、暮らしがどういうものであるかに医師は最も関心を払わなくてはなりません。(中略)すべての苦痛がゼロになることをめざすのではなく、また発病以前の状態に戻ることをめざすのでもありません。たとえ苦痛が残っていても、そのときの生活の中に、どのような幸福を見い出しているかを話し合うこと、それがQOLを最大化することなのだと思います(『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?』より)。

 緩和ケア医は、苦痛を取るという技術を施すだけでなく、第三者として家に入ることで、普段は家族の中でしない会話を引き出すのも、重要な役割だと思っている。

 「夫が食事を作ってくれるようになってありがたいなんて、改めて、老夫婦2人で交わされる会話ではないでしょう。それを口にすることで患者さんも新たな幸福に気付くし、ご主人も、ああそういうふうに思ってくれていたんだと思えるでしょう。治療は今ある状態から引き上げるものだから、治療医が現状を見て、不足なところばかり目がいくと、今のあなたは本当のあなたじゃないと否定されたまま、患者さんの一生が終わってしまう。亡くなる瞬間までもうちょっとやるべきことがあるんだと手を尽くすだろうし、いつまでもそのような上昇志向でいると、患者さんは自分の現状を受け入れられなくなって、つらくなる。緩和ケアは、これがこの人の持っている最大の力だと、ある意味見切りをつけて、その力で幸せを見いだすことを考えようとするものの切り取り方です。どの専門科の切り取り方が正しいということはなくて、がんが進んで衰弱し、痛みがあって、寝たきりになった人には、今、自分が切り取る風景の方が一番いいのだろうと思うんです」

 往診は、いつも自分で車を運転し、看護師らを伴わずに、ほとんど1人で行動する。

 「移動する車の中で、一人静かに内観する時間がとても大事なんです。静かに一呼吸置いて考えないと、勘が鈍る。医療の中でも特に不確定な未来と絶えず向き合わなければならない緩和ケアでは、動かなくちゃいけない瞬間、手を抜いてはいけない時を逃さないようにしないといけない。往診し終えて、車の中でやっぱりもう一つだけ伝えておいた方がいいとか、やはりあの薬はやめておこうと思うと、時には引き返すこともあるんです。看護師や家族からちょっと引っかかる報告を受けて、3日後に往診するから今日動かなくても大丈夫と思っても、何か今手を打った方がいいと直感が働く時がある。自分にしかわからないわずかなことなんですが、それを逃すと、何かがずれる。想定外のことが起こったり、患者さんに不利益が出たり、家族の信頼を失ったり、本当に運がなくなっていくという感じなんですよ」

 この職業的な勘が働く重要な時を、著書やブログでも繰り返し新城さんは語ってきた。患者や家族のその後の人生を照らす、「天から降りてきたような言葉」が自分の頭の中に浮かぶ日。また、患者が人生における重要な話を語り始めたり、家族から患者の重大な問題を打ち明けられたりする「特別な一日」。医師と患者、家族の間に心と心のつながりが生まれる大切な瞬間だ。

 喪失体験の中にも、患者、家族を支え続ける何かを創造するには、この「特別な一日」の訪れを医師は見逃さないようにしなくてはなりません。(『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?』より)

 「それに気付く直感のようなものって、どんな仕事でもあると思いますが、プロ意識なんだと思います。それを見逃したら、どうも結局、自分がそのつけを払わなくてはならないようですね。人には気付かれないかもしれませんが、そういう小さなことをいいかげんにしていくと、せっかく自分がなにか良い能力を授かっていても、すべてがだめになっていくと思います。魂の格のようなものが下がってしまう。忙しすぎてもいいかげんに流してしまうし、常にこの直感が働く自分でいられるよう、医師は常に心身をメンテナンスし続けないといけないのです」

 人の人生の集大成に立ち会い、残された家族のその後の人生も左右するような関わりを持つ緩和ケア。自分の生き方が絶えず試されるようなこの仕事で、一番大切なのは「他者に対する好奇心」や「人に対する驚き」という。そして、そうして患者に接することは、医師や病院の手から、病気を患者に返すことにもつながると気づいた。

 「家にいる人を診るのは面白いですよ。それぞれの生活はばらばらだし、それぞれの家族の価値観も様々だし、話題には事欠かない。そして、患者さんがそれぞれの生活を生きていて、自分が生活の中で通り過ぎる一人に過ぎないとなると、適度な距離ができて、患者や家族の力を信じられるようになってくるんです。病院にいた時は、患者さんの一日の過ごし方に責任を感じ、浮かない顔をしていると抗うつ剤で紛らわせられるんじゃないかとか、動物を連れてきて笑わせられないかとか、面会を増やそうかとか、良かれと思ってやる働きかけが管理になり、患者の力を奪っていた。病気を患者さんの手に返して、元々患者さんが生きていた生活が送れるよう、必要な時だけ手助けすることが、患者さんに豊かな人生を全うさせることにつながると思うのです」

(続く)

【略歴】新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長
 1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。日本緩和医療学会理事、同学会誌編集長。共編著に『エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』(南江堂)、『3ステップ実践緩和ケア』(青海社)、単著に『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)など著書多数。

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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