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『紋切型社会』で思考停止に陥った現代社会を斬るフリーライター、武田砂鉄さん

編集長インタビュー

武田砂鉄さん(3)なぜ男や当事者の声ばかりが大きいのか 育児・男女関係

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『紋切型社会』で思考停止に陥った現代社会を斬るフリーライター、武田砂鉄さん

男や当事者の声が幅をきかせすぎると話す、武田砂鉄さん

 1982年生まれ、現在、32歳の武田さんは、「あらゆることで、今までのものとこれからのものが切り替わるタイミングの世代だった」と自称する。

 「例えば固定電話で友達や好きな子に電話して、親に取り次いでもらうということを体感した最後の世代です。中学時代にはポケベルがあり、中学の後半からPHSや携帯電話を持ち始める時期でした。僕は両方持っていませんでしたが、僕らより下の世代になると、携帯が中学時代から入ってくる。自分たちの思春期は、コミュニケーションツールの切り替わりの時期にあった。当然、ツールだけでなく、情報の集め方として新旧が交差している時期だったと思うんです」

 『紋切型社会』の中で、ひときわ「なんだろう?」と思わせるタイトルの章は、「顔に出していいよ――セックスのニュートラル」ではないか。女性の顔に男性が射精するという、アダルトビデオのお決まりのクライマックスを、女性が現実の関係で許容していることを想定しての言葉だ。もちろん、その言葉が本当に使われているかは、秘め事としての性の世界では、わからない。

 「アダルトビデオで展開されるセックスはなにかと男性主導です。男性誌の企画記事で、女性に『こういうセックスが嫌だ』というアンケートをとれば、その1位は必ず『AVみたいなセックスを強要してくること』です。しかし、いわゆるAVの過剰なセックスを100だとして、どこまで引き算すべきなのかは現実には共有できないし、誰にもわからない。そもそも何が引き算に当たるのかが分からない。意見を出し合えば見えてくるのでしょうが、みんながそれぞれ断片的に得た知識を組み合わせて、自分の性の形を作っていくことになる。つまりは、一人で考えて模索するしかないわけですよね」

 武田さんは、ぎりぎり「エロ本」を自身で買い、中学の部活の先輩や仲間から回ってきたものを共有することで、性を学んでいった世代だ。

 「こっそりエロ本を買うにしても、他にどういったものがあるのか見比べますよね。そこで、バリエーションを知ることになる。仲間内が集うと、様々なエロ本やアダルトビデオを持っているわけです。SMチックなものや海外のものを持って来たりする友人もいる。そういうものが、漏れなくクラス中にレンタルされていく。それはかなりゆがんだ知識の蓄積かもしれませんが、その蓄積が、いわゆる保健体育の教科書に載っている性知識とリンクしたりして、自分なりに性の情報として取得されていく。しかし、エロについての情報を得る手段やコミュニケーションの方法が変わり、情報がちっとも共有されなくなり、自分の趣味嗜好を満たす検索ワードを入れて楽しむだけになってしまえば危うい。誰からも問われずに極端な嗜好が強まってしまう危険性がありますから」

 偏った知識や嗜好が身に付いたとしても、目の前にいる女性が、体感に基づいて、「そんなのいやだよ」「気持ちよくないよ」と拒否すれば、修正の機会も訪れようものだが、「顔に出していいよ」と許容してしまっていそうな状況はなぜ変わらないのだろう。

 「週刊誌で、作家の林真理子さんとフリーアナウンサーの小林麻耶さんが対談していたのですが、独身の小林さんが、誰とも恋愛できないことを相談したところ、林さんは『男は、女の都合なんて考えないで、覆いかぶさってくるの』と指摘されていた。対談の流れの中での発言ですからパフォーマンス的な要素も多分にあるのでしょうが、男らしさをこうやって女性のほうからピュアに稼働させる人がまだまだいるのだなぁと感じました。男女問わず、『男はかくあるべし』という考えを機能させたがる働きかけって、当然、男主導のセックスが機能し続ける遠因にもなる、と思います」

 武田さんやその下の世代は、上の世代から「草食系」と呼ばれ、性的に淡泊であると盛んに揶揄やゆされている世代でもある。

 「よくこんなことが言われますよね、今の若い男は女の子と一晩一緒にいても、セックスもしないで朝を迎えるらしい、まったくダラしないよ、と。そういう選択があったとして、何が悪いのでしょう。いわゆる『男と女の関係』という通例からはイレギュラーと思われても、その男性とその女性が築く関係性である以上、それがどうであろうと構わない。草食系と言われる世代の男たちが、既存のわかりやすい『男らしさ』、つまり『男は結局、覆いかぶさってくるの』という方向性に違和感を覚えているのなら、僕はそれをむしろ健全な態度だと思いますけれど」

 若い男性の草食化は少子化と結びつけられ、日本を存続していくために解決すべき、政治的な課題として取りあげられることも多い。

 「若者たちが男女交際に積極的でないから晩婚化し、子どもが生まれなくなる、と言い、国が婚活支援に乗り出したりする。生まれた時から不景気で、時代が丸ごと享楽的になったことのない社会で育った若者はとても冷静です。人生設計が立てられなければ、産みません。国が少子化を何とか解決したいのならば、猛烈サラリーマンの猛烈っぷりをほどくところからでしょう。草食化と少子化を結びつけて議論するのはズレている。渋谷区のパートナーシップ条例の時には、『同性婚を制度として認めたら、少子化に拍車がかかる』と懸念を表明した自民党の政治家がいました。とにかく、ズレています」

 古い男女観に基づき、日本の未来を憂う議論に違和感を唱えつつも、武田さんは、つい最近、出席した大学の同窓会で、同世代の男性にもそれがしぶとく受け継がれていることを思い知って愕然がくぜんとした。

 「サラリーマンプレイ、なんて言ったら彼らは怒るだろうけれど、いわゆる家父長制に無理やり体をはめこんでいるように見えたんです。主体的な判断ならいいけども、諦めのようにそれをジメジメ語り、『おまえはいいよな、自由で』なんて言われると黙ってはいられない。郊外に35年ローン組んで家建てて会社に滅私奉公という人生を、『もう俺にはこれしかないんだよ』なんて言う。これしかないんでしょうか。こうなるともう、プレイなんです。こういう風にやるべし、と先導されている。この無思想ぶりは何なのか。同世代ならば、女性と話す方が刺激になることが多い。男性は『今、オレ、これをやってるぜ』という現状自慢が多いけれど、女性は『今、私はこういうことを考えている』と、今考えていることの話になることが多い気がするので」

 不況が長引き、男性の就社志向、女性の専業主婦志向への揺り戻しも強まってはいるが、社会で働きながら、結婚し、子どもを産む女性は確実に増えている。そして、古い男女観の壁に苦しむのは、いつも女性の方だ。

 昨年末から今年初めにかけて、インターネット系の会社「サイボウズ」のCMが話題になり、ネット上で議論を起こしたことがあった。CM第1弾は働く母親が育児と仕事の両立に悩む姿を描き、女性から共感の声が集まったが、第2弾は、自称「イクメン」の男性同僚に、夫の協力を得られずに孤軍奮闘するワーキングマザーが「夫にしてほしいのは妻へのケア」と諭すCM。「夫だって育児のほとんどはできるはず」「手伝うという意識が甘すぎる」など、今度は働く母親たちから非難の声がわき上がった。

 「育児と仕事の両立の話題になると、すぐに『イクメン』という言葉が出てくるのですが、『イクメン』だけでなく『メン』全体で考えるべきだし、『ワーキングマザー』だけでなく『ワーキング』全体で考えるべきです。このCMが話題になった時に、思うところを語ってくれとラジオに呼ばれて、今言ったようなことを長々と述べたら、パーソナリティーを務める年配の経済学者に『まぁ、武田クンも子どもを持てば分かると思いますけどねぇー』と締めくくられてしまった。この言い方は、様々なところで機能していますね。『あんたも親の立場になったらわかるから』という必殺技です。しかし、この必殺技が乱用され、出産・子育てにまつわるあらゆる問題が、当事者だけの限定的な問題になってしまう」

 今、当事者、非当事者の声の格差が、最も明確に表れているのは、育児の問題だと武田さんは指摘する。第2子育休中に上の子は預からないという方針を打ち出した埼玉県所沢市の保育園問題、新幹線や飛行機などの公共交通機関で度々問題になる子どもの騒音問題――。

 「経験と未経験の差が、わかりやすくはっきり表れるのが育児ですよね。子どもを産み、育てるというのは、フランスに行ったことがある・なし、なんてのとは次元が違う経験です。出産、育児にまつわる問題は、社会の急速な変化のなかで日に日に増えていますから、直ちに当事者の声を反映させていく必要性が高まっています。でも、そのことと、当事者以外は考えなくてもいい、とはまったく別問題です。問題を作っているのは社会ですからね。社会の構成要員である私たち全体で考えなくてはならないのですが、当事者でない、という区分けがなされ、『あんた産んでないでしょ?』『あんた男でしょ?』と言われてしまう。でもそれだと、その問題、そっちにだけのしかかるぞ、と思うのだけれど、こうして築かれた対立なんてもったいないですよね。社会全体が受容していかなければならない問題のはずなのに、立場で分断されてしまう。それぞれの立場が考えてこそ、解決に向かうはずなんですが」

 子育て問題は、子供を持つ当事者の声が重視されるべしという紋切り型。育児だけでなく、環境問題、原発事故の放射線問題、安保法制など、「子供の未来」が絡む問題に、最近、よく登場するのが、「親としての立場」を掲げてものを言う人たちだ。そして、マスコミは、それを無批判に受け入れ、強調する仕掛けさえ作る。

 「本人ではなく、引き受ける側、メディアの問題が大きいのではないでしょうか。ワイドショーのコメンテーターのプロフィルに『プライベートでは2児の母』などと入れるようになりましたね。あれが共感を約束させるアイテムになりつつある。『プライベートではただの男性』だって育児を考えるべきでしょう」

 当事者と非当事者の声の重みに差を付けることは、対立を生むことにもなる。子育て問題ならば、ワーキングマザーと子どものいないワーキングウーマン、働く保育園ママと専業主婦の幼稚園ママ――などだ。

 「結果的に女性たちを分断させるだけで、その脇でピクリとも動かない男性がいるのではないでしょうか。その分断を主体的に作っているのが男性であれば、そこへ向けて異議申し立てをしていくのが当然です。今の安倍政権には『男は外で働いて、女は家にいる』こそ伝統的家庭像であり、その形態に戻すべきと考えている議員が多い。子育ては女が家でやるべき、とほのめかした『3年抱っこし放題』なんて施策が典型的です。『女性が輝く社会』とうたうけれど、あれは、『男性に負けないくらいの存在ならば輝かせてやるよと男性が言っている社会』です。輝くに足りない女性であるならば、おうちにいてくれ、という態度。こんなに失礼な話はない。女性が普通に働ける社会を目指すべきで、皆が輝く必要なんて無い」

 いずれも旧来から流れる女性の役割を従順に担ってもらうことが少子化に歯止めをかけると、妄信している人たち。なぜそんな愚策を信じさせようとするのか。信じなければ男がいよいよ動かなくてはならなくなるから、「この道しかない」のである。「3年抱っこし放題」には、「そうは言っても男は」家の中にいてはいけない。男は仕事も女もハンターたれ、という心の底が見える。赤面するほどダサい。イクメンを休日の趣味程度に抑えておく相変わらずの風潮は、「そうは言っても男は」をこれからも更新したいからなのだ。(『紋切型社会』の「そうは言っても男は――国全体がブラック企業化する」より)

 「育児は女性が中心に行うべきだ」という、男性主導の「紋切型社会」に翻弄され、分断される女性たち。メディアが発信する「理想のママ」像も、女性たちを追い込み、女性同士の対立を深めていると指摘する。

 「ママタレントがブログで育児日記を書き、憧れの的となり、育児本やレシピ本を出すというビジネスが生まれる。専門のトレーナーがついて必死に体形を整えて復帰し、読者は『出産後3か月でこのボディなんてすごい』と、細くなった体に憧れる。あの人はあんなに戻ったのに私は、と食事を制限する人も出てくるかもしれない。僕は『等身大ビジネス』なんて言い方をしているんですが、メディアに出てくる人は『私たちはみなさんと変わらないんだよー』と等身大に見せかけて共感を呼び寄せるビジネスが得意です。それが、出産・育児の世界で加速しているのは問題だと思っています」

 「等身大に見せかけられた憧れ」は、少しでもそこから外れると、激しくたたかれるのも特徴だ。

 「妊娠8か月のモデルが、ファッションショーのランウェイをハイヒールで歩いた事がネットでたたかれていた。転んだらどうするのだと、一斉に責めるわけです。聞いてみなければ分からないけれど、モデルならば、むしろハイヒールを履いているほうが歩く上での安定感があったのかもしれない。また、これまた別のモデルが『子どもが生まれても、週1回はベビーシッターに預けて夫とデートしたい』と言ったら叩かれた。それの何が悪いのか。子育てとはかくあるべきという一般論からズレると、集中砲火を浴びる。『等身大』でいてくれるはずと思って憧れていた人たちがそうではなかったら、『こんなのあり得ない』って豹変ひょうへんする。病的ですね。」

 それも、やはりネット依存による思考停止が背景にあると見る。

 「すべての問題で言えることだと思いますが、物事が起きた時に、どういう意見が提出されているかがひとまず1秒で見渡せるというのは、人間の思考を変えますよね。1歩1歩、歩きながら考えるのではなく、道を歩く前から、どういう答えの方向性があるのかが見えるわけです。どの道を歩いてどの場所に所属すれば自分の身が安全かを察知する。その道の安全や安心を確保するために、そこから外れている存在を引っぱたく。育児でも生命倫理でも政治でも、すべて同じ構図が広がっていませんか」

 (続く)

【略歴】武田砂鉄(たけだ・さてつ)
 1982年、東京都生まれ。大学卒業後、河出書房新社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年9月からフリーに。インターネットサイト「cakes」「CINRA.NET」「Yahoo!個人」などで連載を持ち、「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」など複数の雑誌に寄稿。今年4月、初の著書『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』を出版。同作品は、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した。ウェブサイトはhttp://www.t-satetsu.com/

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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1件 のコメント

いちいち頷ける

鬼太郎

当事者だけで解決できないのに、周りの声を排除する態度が、自分の首を絞めていることに気づいてほしい。会社や社会も、ワーキングマザーだけでなく、男や...

当事者だけで解決できないのに、周りの声を排除する態度が、自分の首を絞めていることに気づいてほしい。会社や社会も、ワーキングマザーだけでなく、男や独身者の声を制度に取り入れないと。特別扱いは一時的にワーキングマザーを楽にするかもしれないけれど、結局、一番楽している男をのさばらせてますよ

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