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虹色百話~性的マイノリティーへの招待

コラム

第11話 同性愛を「治療」していた時代

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そうそう、昔こんなこと言ってたな

 先週コメント欄で、同性愛は「中には思春期の一時的なものもあるのでは?」というコメントを寄せてくださった「女子校出身」さま、こんにちは。ありがとうございます。

 セクシュアリティーは可変的でグラデーションもあるものなので、「一時的」という場合もあるでしょうね。とくに女学校の「エス」の文化は、明治末〜大正期、女子の高等教育が普及するなかで学校や寄宿舎を主要舞台に登場し、吉屋信子やのちの文豪・川端康成もエスを扱った作品を多く執筆し、ブームともなりましたね。いろいろなかたちでそれは現代にも受け継がれているのでしょう。

 もちろん、男子学生も負けてはいませんわ(笑)。明治初め、薩摩さつまの東上によって〈男色〉がふたたび全国的に流行するようになり、お稚児さんと称されるアイドルや、軍国教育のなかで〈男同士のエロス的絆〉は、そこここに風靡ふうびしたことと思います。

 それは日本だけかといえば、西欧の男子校寄宿舎などはまさに花咲くところで、映画「モーリス」(英国のパブリックスクール)、そしてヘッセ「車輪の下」(ドイツのギムナジウム)と、例証にことかきません。

 学校・寄宿舎のほかにも、軍隊、刑務所、さては作業員宿舎に修道院……と、同性のみが集められた集団での同性愛行為の例は多く、機会的同性愛とも称されます。異性愛へ発達する段階としての一時的な同性愛であるとか、異性が得られない環境での代償的性行為であると、説明されてきました。


 第9話で考えてみたように、同性愛と一口に言っても、感情や行為と、それを自身のアイデンティティーとすることとのあいだには一定の懸隔があるようです。アイデンティティーとして引き受けること――カミングアウトについては、後日あらためて考えてみることにしましょう。

「嫌悪療法」で「治った」同性愛者はいたのか?

 さて、「思春期の一時的感情」説の出処であるフロイト自身は、同性愛を病気だとは捉えていなかったようですが、新フロイト派と呼ばれる米国の精神分析家には、同性愛の「治療」を提唱する人たちがいたのは興味深いことです。

 「色々と海外の実験結果も報告されとりますが、例えばですね、一つは条件反射を利用いたしまして」

 パブロフじゃ、パブロフじゃ。

 「同性愛の、この場合は男性の患者ですが、患者に男性の写真を見せまして、この場合同時に電気ショックを与える訳です」

 「ホウ」

 「そして次に同じように今度は女性の写真を見せまして、この場合には電気ショックを与えない訳です。そうしますと女性に対しては安心感を覚える一方で男性に対しては抑制が生まれる訳でして、これを嫌悪療法と呼んでおりまして」

 本気でそんなこと考えたやついんのかア! そっちの方がホント、キチガイじゃねえかア、もう死ね死ね!

 「必ずしも全て成功という訳ではないんですが」

 見ろオ、悪の栄えたためしはないのじゃ。

 「そう致しますと息子の場合は」

 「それは直接、エエと、源一君ですか、彼と話してみないことには何とも」 (後略)

 懐かしく読んでくださったかたもいるでしょうか。橋本治のデビュー作『桃尻娘』(1977年)より「瓜売小僧 ウリウリぼうや」の一節。この編の主人公、高校2年生の木川田源一、通称オカマの源ちゃんはバスケ部の先輩に片思いしながらも積極的な1年生の「井関のガキ」に求愛され、つい同衾どうきんしてしまったところを偶然、父親に見つかり、精神科医のところへ連れてこられた場面です。


 書き込まれた70年代の同性愛者をめぐる点描も、いまでは歴史的証言たりうる作品ですが、ここに引用した「同性愛の治療」は、かつて大いに人口に膾炙かいしゃしたものです。1960年代には米国で、この「嫌悪療法」によって「同性愛が治った」と報告する臨床家たちがおり、橋本もどこかでそれを目にしていたのかもしれません。この作品を通じて、田舎の高校生だった私にも、深くインプットされたものです――東京の高校生のゲイの存在に激しいカルチャーギャップを感じながら。

 とはいえ、1970年代以後には、アメリカの行動療法家たちも自分たちの担当したクライアントで「同性愛が治った」状態がずっと続いたものはほとんどいないと認めざるをえなくなりました。同性愛への縛りのきつい時代には、みずから「治したい」と思う当事者もいたのでしょうが、70年代から当事者の解放運動が進展するなかで、自分で自分にかけた呪いを解き、男が好きでもいいじゃない、と思うものも増えてきたのかもしれません。橋本が造形した我らが「源ちゃん」も、きっとそんな一人だったのでしょう。


 それにしても、米国の新フロイト派で、同性愛を病理視する見解が優勢だったのは、19世紀末の同性愛観に先祖返りした趣があります。1950年代米国のマッカーシズムは「赤狩り」で知られますが、政府機関内の「同性愛者狩り」も横行しました。ホモセクシュアルであることを握られると、相手(ソ連)のスパイに使われる恐れがあるからです。

 精神分析の学派や思潮と時代の政治になにか関連があるのか、諸賢のご教示をお願いしたいものです。

サリヴァンの対人関係論的な同性愛観

 最後に、やはり新フロイト派のハリー・スタック・サリヴァン(1892〜1949)についてご紹介しましょう。サリヴァンは日本では、中井久夫の精力的な翻訳で統合失調症についての業績がよく知られています。

 彼は、思春期の同年代同士のあいだに同性愛的な行動が認められても、それは正常なことであり、同性の親友との関係性をうまく築くことが、のちに正常な異性愛へ至るためには必要であると考えました。成人の「同性愛者」は、思春期に同性の親友との関係性をうまく結べなかった結果である、という対人関係論的な見解を示しています。

 このサリヴァンが、同性愛者であったと言われています(統合失調症における大きな業績にもかかわらず、長く米国でも著書が出版されなかったのは、男性精神科医たちが、サリヴァンの教えを受けたことを公開することをためらったためでもあると推測されているとか)

 そうだとして彼の見解を読むと、これは彼自身の人生を素描したものではないかと思わされ、その伝記に大いに興味をそそられます。

 同性愛を、性的指向におけるたんなる少数派以上のものとは見なさない現在の私からは、昔は――といっても、ついこのあいだまで――みんな苦労して、ややこしいことを考えたのだなあ、との感慨にふけらざるをえませんが。

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永易写真400

永易至文(ながやす・しぶん)

1966年、愛媛県生まれ。東京大学文学部(中国文学科)卒。人文・教育書系の出版社を経て2001年からフリーランス。ゲイコミュニティーの活動に参加する一方、ライターとしてゲイの老後やHIV陽性者の問題をテーマとする。2013年、行政書士の資格を取得、性的マイノリティサポートに強い東中野さくら行政書士事務所を開設。同年、特定非営利活動法人パープル・ハンズ設立、事務局長就任。著書に『ふたりで安心して最後まで暮らすための本』『にじ色ライフプランニング入門』『同性パートナー生活読本』など。

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2件 のコメント

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けんた

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春日局が今でいうところのボーイッシュな女性を探してきて家光公にあてがったのだと聞いたことがあります。江戸時代初期には男色そのものをタブーとする風潮はなかったと思いますから、転換というよりも、とにかく世継ぎを作ってほしいという一心だったのでしょうね。

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江戸城の大奥は、徳川家光が男色のため世継ぎをつくりたがらないので、春日局が、家光に女性に興味を持ってもらうためつくった女の園だといわれています。
結果、世継ぎをつくりました。

江戸時代版転換治療なのでしょうか。

当時の感覚からすれば、より多くの女性と触れればその中から好みの者が探せると考えたのでしょう。

20年近く前アメリカにいたとき、元はレズビアンだったけど、すてきな男性と知り合いバイになって結婚した女性と出会いました。大学の先生でした。

そういうこともあるのでしょうね。

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