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障害者の性の自立を目指すNPO法人理事長 熊篠慶彦さん

編集長インタビュー

熊篠慶彦さん(4)恋愛経験重ねて…消えない不信感、障害の「壁」も

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障害者の性の自立を目指すNPO法人理事長 熊篠慶彦さん

恋愛経験について語る熊篠さん

 20歳での初体験から、数多くの女性と性体験を繰り返した熊篠さん。身体だけのつながりではない、恋愛経験も何度も重ねてきた。

 

 初恋は、通信制で慶応大学に通い始めた20代初めの頃。高校卒業後、社会生活を営むための生活訓練を受けていた神奈川県のリハビリテーション施設に、訓練終了後も何となく立ち寄っていた時に、その出会いはあった。

 「もう利用者ではないのですが、自宅にいてもすることがなくてつまらない。同じような境遇の『OB』たちが、外来で診察を受けるでもなく、リハビリを受けるでもなく、病院のロビーのようなところで一日中過ごすことが日課だったんです。そこに行けば、顔見知りの職員はいるし、仲間もいたから」

 今では、積極的に外出し、初対面でもフレンドリーに話す印象のある熊篠さんだが、中高時代の多くの時間を病院や自宅で過ごし、大学も通信制で実際にキャンパスに通うのは、一般学生が通わない夏や秋の夜間のみ。新たな人間関係に飛び込むのに、まだ臆していた時期だったのかもしれない。そんな限られた人間関係の中で、突然、飛び込んできた、まぶしい訪問者だった。

 彼女は、福祉系の専門学校に通っていた実習生。19歳か20歳ぐらいで、エプロン姿が初々しい、真面目そうな女の子だった。

 「かわいかったですよ。『今日から実習に来ました』というあいさつが初めて交わした言葉だったかな。ポニーテールに一目ぼれしちゃったんですよ。物心ついた時から一番身近な女性は看護師さん。看護師さんってたいてい、ポニーテールかくるくるまとめた髪形をしていたから、自分に優しくしてくれる女性というイメージとひもづけられちゃったんでしょうね」

 施設は山の上にあり、入り口から坂を下っていったところに洋食屋があって、そこに夕飯に誘った。また、施設で作った写真クラブの活動で、モデルになるよう頼んだりした記憶もある。

 「デートというデートじゃないですけれども、2人で過ごすことがちょいちょいありました。キスもしていないし、触れてもいない。告白さえできなかったんじゃないかな。もちろん、段階を踏んで関係を進めたいと多少は思っていましたが、実習と共に、終わってしまった」

 そんな淡い初恋を経験しながら、同時に、遊びの関係も繰り返していた熊篠さん。恋愛感情とセックスが初めて結びついたのは、30代半ばのことだった。身体障害があっても利用できるラブホテル情報を公開していたホームページ「熊篠邸の地下室」の掲示板に、書き込みをしてきた20代前半の女性だった。

 整体の資格を取ることを目指していたその女性は、「練習台になってくれる人を募集します」と呼びかけていた。熊篠さんは、自ら「練習台になりますよ」と返信。初対面では、互いに強い印象は抱かなかったが、体をもみほぐしてくれるうちに、ぽつぽつと摂食障害を抱えていること、薬物依存気味であることを打ち明けてきた。ただ、じっくりと耳を傾けているうちに、彼女も体を預け、自然に結ばれた。

 「昔からの知人からは、『そういう子を引き寄せるよね』って言われるんです。心が弱い子とか、心に傷を負っている子が、もたれかかってくるというか、精神的に依存してくる。人の体を癒やす仕事を目指す子は、自分が人の役に立てたとか、気持ちよかったと感謝されることで、自分の承認欲求を満たそうとする傾向がある。『そういう子を引き寄せる』と僕に言ったおっちゃんは、『お前は野村再生工場か』ってうまいことも言ってました。落ち目の選手を励ましては、羽ばたかせていく人間ですよね(笑)。承認欲求の不足マークがついている子に、ガソリン満タンにして、はい、さようならみたいな」

 付き合い始めは、軽い気持ちだった。車で1時間ほど離れた場所に住んでいた彼女の試験勉強のため、毎週ファミレスで何時間も自習に付き合った。毎週末、彼女が川崎の熊篠さんの自宅に来て泊まっていき、日曜日になると車で送っていく「週末婚」のような生活が続いた。

 精神的に不安定になり、深夜、薬物でもうろうとした声の電話をかけてきた時には、彼女の自宅まで車を飛ばしていった。アパートの2階にある部屋には、階段を上がっていかないとたどり着けない。車いすの熊篠さんは、車の中から、電気のついている窓を見つめながら、朝方までつながらない電話を何度もかけ続けた。

 「いつの間にか好きになっていました。自宅の鍵も渡したし、親しい友達にも紹介した。互いに黙っていても、どちらかが寝てしまっても気詰まりにならないぐらい、心が許せるようになっていました。付き合っていた3年ぐらいの間に徐々に2人で過ごす生活ができつつあった。ああ、きっと、このままずっと一緒にいるんだろうなと思っていましたね」

 安心して、心も体も預けられる初めての関係。そんなつながりは、彼女の一言で急に終わりを告げた。

 「好きな人ができたの」

 全く予想もしていなかった衝撃の言葉だった。事前に、それらしいそぶりも見えず、あまりにも、突然の終わりだった。

 「それまで、障害のせいもあるのでしょうけれども、こちらからあまり深みにはまらないように、最初から予防線を張っておくようなところがあったのに、彼女と過ごすうちに、自分がずっと愛されるとか、ずっと一緒にいるというイメージが抱けるようになっていた。結婚までは具体的に考えていなかったけれど、終わりを想定していない恋愛関係ですよね。それが急に消えてしまった。かなりの傷手いたででした」

 それ以降、熊篠さんは、女性の気持ちや、男女関係について、根本的な不信感がぬぐいきれなくなった。

 「もう、そういうのに期待するのはいいかなと思った。彼女と終わった時に、自分にそう言い聞かせちゃったというか、女性に近づきたい思いがないわけではないんだけれど、心にブレーキをかけてしまうようになりました」

 周りの障害者を見ていても、障害を理由に、好きな相手への気持ちを押し殺す人がたくさんいる。それに対して、歯がゆい気持ちになったこともある。彼女にふられた理由は、障害とは関係ないと思っているが、障害ゆえに、元から持っていた、引っ込み思案になりがちな姿勢や、自分の本心に蓋をしてしまう傾向は、さらにこの失恋経験で強まった。

 「何回か恋愛っぽいこともして、決しておなかいっぱいにはなっていないんだけれど、理想と現実の違いに気付く。恋愛は終わりが来るだろうなんて予想もしないのが理想だけど、現実としては、短かろうが長かろうが終わりが来るという現実との落差に気がついてしまった」

 深く傷つき、恋愛から距離を置いて、何年もたった2012年7月。それでも、熊篠さんはまた、新たな恋に落ちた。

 相手は、熊篠さんより一回り下で、当時、現役の風俗嬢。女性の性の解放活動をしていた彼女が、熊篠さんに興味を抱き、編著書『身体障害者の性活動』の出版記念パーティーに顔を出したのが出会いだった。

 恋愛に冷め切っていた熊篠さんは、最初は彼女に関心もなく、国際学会で発表する予定の、マスターベーションの自助具を紹介するための自身の実践映像を彼女に見せた。モザイク無しのその映像を見て衝撃を受けた彼女が、「私よりもっと裸の人を見つけた」と恋に落ち、数日後から「付き合って下さい!」とメールで繰り返し猛アタック。1か月以上熱心にアプローチを続ける彼女に寄り切られる形で熊篠さんは応じ、半信半疑の状態で交際は始まった。

 「最初はちょっと怪しむような気持ちでしたね。前のひどいふられ方もあって、人を信用しきれなくなっていたし。僕はいつも大きなチャンスがあると、『これ本当はどっきりなんじゃないか? みんなで僕をだましているんじゃないか』ってつい思ってしまう。普段の人間関係の中でも、信頼とか信じ切るということができていないんだろうなと思うんです。彼女とのことがいまいち乗り切れなかったのも、そういう疑いがどこかに残っていたから」

 しかし、彼女は真っすぐに熊篠さんにぶつかっていき、徐々に熊篠さんも心を開いていった。交際2か月後には、ヨーロッパの障害者の性支援活動を視察に行くのに、介助者として彼女を同行させた。慣れない食生活で、大便を漏らしてしまった熊篠さんの布おむつを、彼女が張り切って手で洗った時、熊篠さんは「ああこの子の愛は本物だな」と感じたという。

 だが、この蜜月も約1年後にぐらつき始める。毎年夏、暑さのせいで食欲が落ち、体調が悪くなる熊篠さんが、1か月ぐらい彼女と抱き合えなくなっていた時、「セックスの数が少ない」と不満をぶつけられ始めた。その頃、「今女性として一番適している時期だから、子どもがほしい。あなたの遺伝子を残したい。あなたには迷惑をかけないから」と何度も迫られていたが、やんわりと拒否し続けていた。

 熊篠さんは、10代で股関節の手術をした時、精巣付近にエックス線を照射されたことがある。「障害者は子どもを作らないと思っていたのかもしれないですが、保護用のカバーを何回か装着されなかったんです。どういう影響があるかわからないし、そもそも子どもを作る能力があるかもわからないし」。子作りを躊躇ちゅうちょし続けたのは、そんな背景があったからだった。

 消極的な態度をとり続けたが、避妊なしの性交を何度か迫られた。自身の子か確信はないが、彼女は直後に妊娠。喜びよりも戸惑いを見せる熊篠さんと距離ができた彼女は、その頃出会った男性に、産院への付き添いや、自宅での細々とした雑用を手伝ってもらうようになった。間もなく、2人は別れた。

 「彼女の自宅マンション入り口には階段があって、僕は訪ねることができない。だけど、『彼に自宅にきてもらって、電球を取り換えてもらったの』とかいちいち報告してくる。それは現実問題、僕ができないことで、そんな比較をされちゃったらもう勝ち目がないし、当てつけでしょう? 怒るのもばかばかしいレベルになっていました」

 そして今、「もうしばらくは恋愛はいいです」と苦笑する熊篠さん。「最近は、本当にセックスって気持ちがいいのかなと思う」と冷めた言葉も漏らす。ここ数年、障害の進行によって、射精のタイミングで腕や足に鋭い神経痛が走るようになったこともその一因だが、「犬猫と変わらないことやっているのに、セックスって、愛情表現だとかコミュニケーションだとか、愛を確認するだとか言うけど、そんなの本当かよって気持ちがある。そんなあいまいなもの信用しきれない」と語る。

 障害者の性の自立に長年取り組み、自身も経験を積み重ねてきたが、「セックスで没頭したことも、本気でしたこともないかもしれない」とも言う。「障害のために、色々な壁があるのも事実だし、相手との関係だって、色んな情報が入れば入るほど、配慮しなくちゃとか、相手の身になってとか考えなくちゃいけない。行きずりの相手と一晩だけという方が、そんなこと考えずに済んで、単純に没頭できるかもしれないですよ」

 そう言いながらも、現在、かれている相手にアプローチ中だ。「なかなか牙城は固いのですが、最終的な口説き文句は『明日死ぬかもしれないじゃん』。でも、『また言ってらあ』って軽く受け流されているんですよね」

 「お祭りで、おみこしわっしょいわっしょいって担いでいる人たちを見て、外から眺めて、やじっている方が気が楽ってところがあるかもしれない。だけど、どこかに自分も夢中になって担ぎたい、って気持ちが残ってるんだな。やっぱり」

(続く)

【略歴】(くましの・よしひこ)  NPO法人ノアール(http://www.npo-noir.com/)理事長。出生時より、脳性まひによる四肢けい性まひがある。医療、介護、風俗産業など様々な現場で、身体障害者が性的な活動から排除されている現実に突き当たり、身体障害者のセクシュアリティーに関する支援、啓発、情報発信、イベント、勉強会を行っている。著書に『たった5センチのハードル』(ワニブックス)、玉垣努・神奈川県立保健福祉大教授との共編著に『身体障害者の性活動』(三輪書店)がある。


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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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