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日野原重明の100歳からの人生

yomiDr.記事アーカイブ

ドナルド・キーンさんの日本への思い

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 7月10日に聖路加国際病院の庭にあるトイスラー記念館で、日本文学研究家のドナルド・キーンさん(93)と対談をしました。対談は「中央公論」9月号(8月7日発売)の「ようこそキーンさん 平和の話をしましょう」に掲載される予定ですので、ぜひご一読ください。

 さて、私とキーンさんとの出会いは、聖路加国際病院が毎年開催している院内学会「聖ルカ・アカデミア」に講師としてお招きし、「日本と私」と題してお話しいただいた時でしたから、親しくお話するのは今度で2度目ということになります。

 キーンさんのお話によると、日本に関心をもたれたのは12歳、俳人の加賀の千代女の俳句「朝顔や 釣瓶つるべとられて もらひ水」を知った時からというのですから、80年もの年季が入っていることになります。

 その後、18歳で英訳された「源氏物語」を読み、日本文学への関心を深めていかれました。そしてコロンビア大学で比較文学を学び、ますます日本の文化に深い関心を寄せるようになりました。戦時中は海軍の日本語学校で日本語の通訳の訓練を受けましたが、そこで目にしたのは亡くなった日本兵の感動的な手帳の言葉、ますます日本を知りたくなっていったのだそうです。

 私は1911年生まれ、キーンさんは1922年生まれですから11年の差がありますが、キーンさんと私は共に文化勲章をいただいています。私は2005年で94歳のとき、キーンさんはその3年後の2008年、外国人としては、1969年に3名の宇宙飛行士、ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリン、そして1978年にアメリカ国籍を取得された理論物理学の南部陽一郎氏についで5人目となりますが、キーンさんは2012年に日本国籍を取っておられますので、受章時はアメリカ人でしたが、今は日本人ということになります。

 キーンさんは日本文学への思いが高じて、もっとしっかり日本に根付きたいという思いから日本国籍を取られました。日本に永住を決意されるきっかけはあの東日本大震災だったのだそうです。キーンさんの日本への熱い思いを、聖路加を創設されたトイスラー先生の旧居であったトイスラー記念館で伺うことができたのも歴史の不思議な偶然の一致かもしれないと思いました。私は、日本人であることを立証したいというキーンさんの情熱にとても感動しました。キーンさんは日本人の一人として、東日本大震災の地震や津波でいのちを失った人々に深い同情を抱き、そのための奉仕活動に熱意をもって取り組んでおられます。

 私は対談中、2人の間には国際的な生まれや育ちの違いがあることを忘れてしまっておりました。私とキーンさんとの親しい関わり合いを、ヨミドク(ヨミドクター)の読者に公表できたことを私はうれしく思います。

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日野原重明ブログ_顔120_120

日野原重明(ひのはら・しげあき)

誕生日:
1911年10月4日
聖路加国際病院名誉院長
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