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東北大病院100年

ニュース・解説

第1部 医師(5)元気に生きて恩返しを…日本初の脳死臓器移植 里見進 (1948~)

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移植手術を行う里見さん(左から2人目、1997年3月1日)=東北大病院提供
日本初の脳死腎臓移植を受けた東北大病院を見つめる女性。透析から解放され、元気に過ごしている(仙台市青葉区で)=冨田大介撮影

 その日、東北大病院には報道陣が殺到した。1999年2月28日。国内初の脳死臓器移植の一つが行われることになったからだ。

 40代の提供者から摘出された臓器のうち、腎臓が運ばれることが決まった。脳死しか方法のない心臓に比べると、腎臓は生体からも移植できる。しかし、97年10月の臓器移植法施行後、初の手術であることに変わりはなく、社会の注目は高かった。

 「いつも通りにやればいい」。執刀医で、第二外科教授だった里見進(67)は自分に言い聞かせた。チームは90例以上の腎臓移植を実施していた。

 里見が移植医療を志したのは20代後半。腎臓病が悪化した同世代の患者に「明日から人工透析が必要です」と伝えると、一様に表情を曇らせた。人生が暗転する瞬間を感じた。「移植で元の生活に戻れるようにしなければ」と思った。

 移植を受けたのは東北地方に住む慢性腎不全の女性。電話を受け、病院に駆けつけた。

 女性は毎日4回、透析する生活を送っていた。体がかゆい。いつも頭がもやもやする。旅行の際は1・5リットルの透析液を5、6個バッグに入れた。「一生続くのか」。絶望の中での突然の知らせだった。

 3月1日未明に始まった手術は4時間で終了。約1か月半で退院した。

 女性は現在、50代。パートとして働く。「職場復帰できました」「自分の運転で遠出できるようになりました」。移植コーディネーターを通じて、提供者の家族に手紙を送り続けてきた。「元気でいることが少しでも恩返しになれば」と語る。

 脳死臓器移植は今年6月末までに全国で計330例。東北大病院では昨年12月、100例を突破した。ただ、約1万4000人いる移植希望者に比べると足りないし、年間7000例以上の臓器提供がある米国に遠く及ばない。

 里見は移植を受ける人のプライバシーを守ることを心がけてきたが、「臓器移植が普通の医療になるためには、提供された人が思いを語ることが必要だったのではないか」とも感じている。女性も今回、「感謝の気持ちを伝えたい」と初めて取材に応じてくれた。

 臓器を提供したい人と、受けたい人をつなげる移植医療。提供したくない人の思いを尊重することも含め、死のあり方を自ら決められる社会。里見はそれが当たり前になる日が来ることを願っている。(敬称略)

(第1部おわり。この連載は加納昭彦が担当しました)

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〒980・0021 仙台市青葉区中央2―3―6 読売新聞東北総局「東北大病院100年」係。ファクス022・222・8386。メールtohoku@yomiuri.com

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