文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

東北大病院100年

ニュース・解説

第1部 医師(4)救える命 見つけに行く…日本初がん集団検診 黒川利雄(1897~1988)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック
「がん集団検診発祥の地」の石碑の前に立つ石川さん。「山上に山あり 山また山」。がんという山に挑んだ黒川さんの座右の銘が刻まれる(仙台市青葉区で)

「がん集団検診発祥の地」の石碑の前に立つ石川さん。「山上に山あり 山また山」。がんという山に挑んだ黒川さんの座右の銘が刻まれる(仙台市青葉区で)

 半世紀以上も前のことなのに、栗原市の石川司之(もりゆき)(82)はその時のショックをはっきりと覚えている。1961年、勤め先の近くに来た検診車で受けた集団検診で、早期の胃がんが見つかった時のことだ。

 死に直結する病気と考えられていた時代。27歳だった石川は激しく動揺した。「もうダメだ」。しかし、4か月後の手術で胃の3分の2を切除し、助かった。

 がんを克服した人たちでつくる「みやぎよろこびの会」の会長を務める石川は今、「検診でがんが早く見つかれば、必ず助かる」と力説して回る。その礎を築いた医師が、東北大病院の黒川利雄だった。

 北海道の炭鉱労働者の家に生まれた黒川は、姉を結核で亡くし、母も同じ病に苦しんだことから医師を志した。東北帝国大(当時)医学部を卒業後、大学病院の内科医になったが、大正の当時、胃がんの検査は触って確認するだけ。しこりがなければがんと分からず、しこりがあれば末期であることを意味していた。

 転機となったのは、助教授時代の2年間の欧州留学だった。胃がんのX線検査を学び、帰国後に早期発見の研究を本格的に開始。東北大の学長で県対がん協会長だった60年、X線装置を積んだ検診車を完成させ、国内初となる胃がんの集団検診を始めた。

 「患者が来るのを待つのではなく、こちらから出向けばもっと命を救うことができる。先生はそう考えていた」。弟子の一人で、県対がん協会長の久道茂(76)は語る。

 ただ、当初は撮影機器の性能が十分ではなく、早期がんが見つかるのは1割程度だった。長男の雄二(75)は「健康なのに無理やり検査を受けさせている。金もうけのためだ。そんな批判も多かった」と振り返る。

在りし日の黒川さん(雄二さん提供)

在りし日の黒川さん(雄二さん提供)

 今や時代は様変わりだ。検診車は各地で導入され、早期にがんを見つける精度も格段に高まった。胃に限らず、様々な部位のがんの集団検診が全国で行われている。

 県対がん協会による胃がんの集団検診を受けたのは昨年10月、延べ800万人に達した。がんが見つかったのは約1万5000人で、このうち6割以上が早期。節目の受診者となった塩釜市の桜井勝江(54)は式典で初めて、黒川の名を教わった。「毎年検診を受けているけど、それが宮城で始まったことだったなんて」と驚いた。

 まかれた種が花を開かせた一方で、黒川を知る人は少なくなった。「がん検診は今や常識ですからね。でも、そういう時代になったことを父も喜んでいるのではないでしょうか」と雄二は語る。

 「がん集団検診発祥の地」。仙台市青葉区上杉にある協会近くの所有地には、黒川の功績をたたえる石碑が立つ。「山上に山あり 山また山」。がん撲滅に挑み続けた黒川の座右の銘が刻まれている。

(敬称略)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

東北大病院100年の一覧を見る

最新記事