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東北大病院100年

ニュース・解説

第1部 医師(2)元気な姿 親たちに希望・・・小児難病の手術開発 葛西森夫(1922~2008)

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退官した葛西さんに花を贈る美希さん(1986年、仙台市のホテルで)=「胆道閉鎖症の子どもを守る会」提供

 「なんだろう」。仙台市青葉区の冨並(とみなみ)かね子(64)は、生後2か月となる長女・美希の肌が土気色になっているのに気づいた。おなかがぷっくりと腫れている。白目も少し黄色くなっていた。1979年6月のことだ。

 近くの病院に出向いた冨並は医師の言葉に面食らう。「胆道閉鎖症かもしれない。なんで放っておいたんですか」。きつい口調だった。

 肝臓から十二指腸へ胆汁を流す胆道が詰まったり、欠けたりする胆道閉鎖症。赤ちゃん特有の病気で、約1万人に1人の割合で発症するとされるが、原因は分かっていない。死に至ることから、医師は「東北大病院にいい先生がいる。すぐに行きなさい」と続けた。「いい先生」を訪ねると、第二外科教授の葛西森夫がいた。

 葛西は50年代、肝臓と腸をつなぐ胆道閉鎖症の手術を世界で初めて開発していた。「葛西術」と呼ばれ、美希も執刀を受けた。

 無事に退院し、順調に育った美希は現在、36歳。東京の専門学校で日本語講師として働く。「先生の手術がなければ、私は今、生きていません」と感謝する。

患者の親たちの会合に出席する美希さん。「救われた命。大切にしたい」(東京都渋谷区で)

 弟子で東北大小児外科教授の仁尾(にお)正記(60)によると、葛西術を受けた患者は国内に少なくとも3500人以上。うち約1500人は成人している。

 美希ら20~30代の7人でつくる「胆道閉鎖症の子どもを守る会 青年部」は、今年から新たな取り組みを始める。同じ病気の子を持つ母親たちに、大人になった自分たちの生の姿を伝える活動だ。美希がインターネットの交流サイトを通じ、我が子の将来が不安で押しつぶされそうになっていた母親と知り合ったのが、きっかけになったという。

 「元気に暮らす私たちの言葉が一番心に響くはず。若いお母さんたちにメッセージを届けるのは、私たちの使命」と美希は言う。青年部の部長で、埼玉県桶川市の会社員菅原龍浩(39)も同じ葛西術を受けた。小学1年の娘がいる菅原は「働き、結婚し、子も持つ人がいることを多くの人に知ってほしい」と訴える。

 胆道閉鎖症の治療法として、90年代からは肝臓移植も普及し始めた。しかし、赤ちゃんが最初に葛西術を受けるのは今も変わらない。

 世界でも広く行われるようになった手術法を生み出した葛西は、病気の子どもの治療に生涯をささげた。なぜだったのか。長男の真一郎(59)は「娘の死」を挙げる。

 真一郎の八つ年下のめぐみは、よちよち歩きだった66年、原因不明の病で世を去った。真一郎は、小さな亡きがらを前に、うなだれる父の背中が目に焼きついている。

 「我が子を亡くす悲しみを知っているからこそ、エネルギーを注げたのかもしれません」と語った。

(敬称略)

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