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原記者の「医療・福祉のツボ」

医療・健康・介護のコラム

貧困と生活保護(3)セーフティーネットに開いた穴

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 生涯にわたって安泰で順風満帆に暮らせる人なんて、めったにいません。人間は生きていくにあたって、いろいろな課題、困難、トラブルに直面します。たとえば、低賃金、失業、高齢、病気、障害、出産、育児、教育、家族の死亡、事故・災害、犯罪被害、法的トラブル、人間関係……。個人の力では予防や解決のできないことが、いっぱいあります。

 そういうときに生活を支えるのが、社会的なセーフティーネット(安全網)です。社会保障制度全体を指すこともありますが、広い意味で見たセーフティーネットは、大きく分けて3段階と考えるほうがわかりやすいと筆者は思います。

 いちばん上が雇用のネット、その次が社会保険・社会福祉のネット、いちばん下が公的扶助です。公的扶助の柱になるのが生活保護制度で、最後のセーフティーネットとも呼ばれます。

 雇用のネットか、社会保険・社会福祉のネットにちゃんとひっかかっていれば、程度の差はあっても、それなりの生活を送ることができます。ところが、それらのネットから漏れると、貧困・生活困窮に陥ってしまいます。さらに公的扶助のネットでもキャッチされないことがあります。

 下へ下へとこぼれ落ちることによって、路上生活、自殺、孤立死に追い込まれてしまう人が出るわけです。あるいは刑事事件につながる場合もあります。

 今回言いたいのは、上の2段階のネットに大きな穴が開いていることです。


雇用の安定性と賃金水準

 働けるときには働いて収入を得る、必要なら家族を養う。それが今の社会の基本になっています。現代の日本で働くということは、たいていの場合、雇用されることです。昔は農業、漁業、自営業の人も多かったのですが、どんどん減ってきました。会社をクビになったら生活に困る、と説明すれば、雇用が所得確保のセーフティーネットの性格を持っていることは、わかるでしょう。

 では、雇用のネットのどこに穴があるのでしょうか。

 ポイントは、雇用の安定性と賃金水準の二つです。どちらも、大企業、中小企業、零細事業所といった事業主の規模や、産業分野・業種によって格差がありますが、それ以上に大きな問題は、やはり非正規雇用が大幅に拡大したことです。

 パート・アルバイト・有期契約・嘱託・派遣・臨時・日雇いといった非正規雇用は、ずっと雇用が続く保障がなく、不安定です。景気の動向、企業の業績、経営方針の変化などによって揺さぶられると、簡単にこぼれ落ちてしまいます。いわば「目の粗いザル」です。そのうえ、同じような仕事をしていても、賃金水準が低くなっています。経営側から見ると、必要なときに雇えて、不要になれば切りやすい、人件費も安い。だからこそ、非正規が拡大してきたわけです。


4割近くになった非正規雇用

 非正規雇用は実際、どれだけ増えたのでしょうか。

 厚生労働省のサイトで、「非正規雇用」の現状と課題が、ポイントをよくまとめているので、そこから数字を抜き出してみましょう。

 この20年間の変化は、次の通りです(元データは総務省「労働力調査」)。

正規雇用非正規雇用(割合)
1994年3805万人971万人(20.3%)
2004年3410万人1564万人(31.4%)
2014年3278万人1962万人(37.4%)

 20年間に正規は500万人以上減り、非正規は1000万人近く増えました。おおざっぱに言うと、かつて正規だった500万人以上の仕事が非正規に置き換わったわけです。2014年の非正規雇用のうち、不本意ながら非正規という人は18.1%(331万人)にのぼります。

 正規が減った以上に非正規が増えたのは、医療・介護を含めたサービス業の拡大のほか、専業主婦でなく共働きをしないとやっていけない、公的年金を受給できる年齢が遅くなって60歳代でも働かないと暮らせない、という生計の事情も大きいでしょう。

 非正規雇用の中には、公務員も含まれます。サービス・相談の職種を中心に非正規の公務員が増えてきました。総務省の2012年時点の調査によると、地方自治体職員(教育・消防・警察を除く)のうち、少なくとも52万人(29%)が非正規。国家公務員(公安職を除く)も7万人(24%)が非正規です。また、文部科学省の2013年時点の集計では、公立の小中学校の教員のうち11万6千人(16.5%)が非正規でした。高校・大学の教員だと、より高い割合になります。


非正規の賃金水準は低い

 賃金水準はどうでしょうか。次の数字は、年齢層別の平均賃金を時給ベースに直して比較したものです。一般はフルタイム勤務、短時間はパートと考えてください(2014年の厚生労働省「賃金構造基本統計調査」から)。

正規一般非正規一般非正規短時間
20~24歳1227円1031円961円
25~29歳1453円1145円1030円
30~34歳1666円1240円1071円
35~39歳1889円1261円1044円
40~44歳2096円1240円1029円
45~49歳2327円1227円1038円
50~54歳2446円1209円1029円
55~59歳2394円1212円1022円
60~64歳1856円1359円1073円

 フルタイム(一般)同士で比べても、非正規は、年齢が上がっても賃金がほとんど上がらず、年齢層によっては正規の半分に満たないことがわかります。この数字は平均なので、もっと低い人がたくさんいます。フルタイムか、それに近い労働をしても、十分な収入を得られないのが「ワーキングプア」。非正規の雇用では、しっかりしたセーフティーネットにならないわけです。


社会保険の穴にもつながっている

 もう一つの大きな問題は、非正規の雇用が、社会保険のセーフティーネットの穴につながっていることです。

 雇用保険は、労働時間が週20時間以上で、同一の事業所に31日以上の雇用が見込まれる労働者が、基本的な加入対象です。そして、加入期間が少なくとも通算6か月以上ないと、失業したときに給付を受けられません。日雇い労働者の雇用保険も、住民登録が必要なうえ、前々月と前月の2か月間に就労した日数が計26日以上ないと、失業給付をもらえません。

 勤め人向けの社会保険(健康保険、厚生年金保険)の加入対象となる「常用労働者」は、労働時間・労働日数が、フルタイムのおおむね4分の3以上であることが条件です。また、個人経営の飲食店・接客娯楽業・理美容業や、労働者が常時5人未満の個人事業所は、任意適用となっています。

 こうした線引きによって、社会保険から外れている非正規労働者がけっこういるわけです(経営側から見れば、社会保険料の事業主負担をしなくて済む)。

 実際、主な制度の適用状況は、以下のように、正規と非正規で大きな差があります(2012年の厚生労働省「就業形態の多様化に関する総合実態調査」から)。

正規非正規
雇用保険99.5%65.2%
健康保険99.5%52.8%
厚生年金99.5%51.0%
退職金制度78.2%10.6%
賞与支給制度83.2%32.4%
企業年金30.7%6.0%

 勤め人向けの健康保険に入れず、誰かの扶養家族にもなれないときは、市町村の国民健康保険に入らないといけませんが、国保だと、保険料がかなり高いうえ、病気やけがで勤めを休んだときの傷病手当金の制度がありません。

 厚生年金保険を外れると、勤めている配偶者に扶養される場合を除いて、自分で国民年金の保険料を納める必要があります。保険料の負担は少し減るけれど、事業主負担も消え、将来の老齢年金や障害年金、遺族年金の額が少なくなります。

 とくに単身やひとり親の非正規労働者の場合、失業や病気・けがに直面したときに社会保険のネットからも漏れ、ズドンと下へ落ちてしまう。そのことも貧困が拡大した重要な要因でしょう。住み込みや会社の寮にいた場合は、失業と同時に住まいまで失うことも珍しくありません。


来年10月から社会保険の適用拡大

 社会保険の穴を小さくするため、2016年10月から、勤め人向けの社会保険の適用が週20時間以上の労働者まで拡大されます。

 ただしパートの多い流通業界からの要望なども踏まえ、月額賃金8万8000万円以上(年収106万円以上)、勤務1年以上の見込み、現行の適用基準で社会保険の適用が501人以上の企業、学生は適用除外という条件がついており、拡大は25万人程度にとどまる見込みです。

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原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保障を中心に取材。精神保健福祉士。社会福祉学修士。大阪府立大学大学院客員研究員。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

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