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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん

編集長インタビュー

岩崎航さん(5)「人生の胎動 人との関わりが広げる世界」

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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん


 自身のブログ「航のSKY NOTE」で発表してきた詩をまとめ、2006年8月に『五行歌集 青の航』を自主制作。200部はすぐに売り切れ、300部増刷して、読者は広がっていった。ナナロク社の編集者、村井光男さんはこの本を読んで心を揺さぶられた。前作から7年、書き続けた新たな詩と、エッセーを添え、2013年7月、『点滴ポール 生き抜くという旗印』の全国出版につながった。


 第1号の感想はがきは、献本した詩人の谷川俊太郎さんから郵送されてきた。編集者が渡した翌朝、投函されていた。

 「病む弱い体が、こんなにも健やかな強いタマシイを育むことができるのだと知って 感動し励まされました。あなたを尊敬し、誇りに思います」

 岩崎さんは言う。

 「本当に、なんというんでしょうね。谷川俊太郎さんから、そういう感想を頂けるなんてまったく思っていなくて、びっくりしてしまった。うれしいというよりも、ただただ驚いてしまった。読んでくださって、それで言葉を頂いて。そういう感想はがきを書かれたのは初めてということも後で知りまして、本当に励まされましたね」

 谷川俊太郎さんに続き、刊行直後から、多くの感想はがきが全国から届いた。コピーライターでエッセイストの糸井重里さんも自身のウェブサイトで称賛の言葉を贈った。老舗文学雑誌『三田文学』も、昨年夏季号の巻頭特集で、岩崎さんの詩10編を『点滴ポール』で組んだ写真家、齋藤陽道さんのカラー写真と共に掲載した。岩崎さんの詩を高く評価した編集長、若松英輔さんの判断だったが、よしもとばななら有名作家のエッセーを掲載するのが慣例となっていた場所に、無名の詩人を掲載することも、カラーで掲載することも異例だった。

 「色々なところで感想を頂く機会が増えたのですが、ご自身のことを書かれてくる方も多いんですよ。私はこうして病気やそれにまつわる出来事で色々悩んだり、苦しんだりしたことがあるけれど、感想を下さった人たちも、生きていれば色々な立場で、色々なことで葛藤があることに気付かされる。境遇は違っても、毎日踏ん張って生きている、人間として生きようとしている姿は共通するものがあるんじゃないか。自分が葛藤していた時代は、『なんで自分だけが一番大変で、一番苦しくて』という考え方に縛られて、視野が狭くなっていましたけれど、みんなそうやって抱えているものがあって生きているんだということが、読者の方とのつながりでわかる。だからこそ、自分も生き抜いて行こうという気持ちにもなるし、それは私の創作にも影響を与えると思うんです」


 岩崎さんの世界を広げてくれた人との関わり。それは、自身が勇気を出して踏み出した、一歩から始まった。

 「人との関わりの海の中で生きるというのは、私がつかんだ実感なんです。詩を書こうと決めたことも、在宅医療や訪問介護を受け始めたこともそうですが、自分から人と関わっていこうと決めた、そういうふうに一歩踏み出したことから、色々な人と出会うし、色々なことにつながっていく。こうした病気や障害という環境にいると、どうしても家族やごく限られた人としか会わなくなっていきがちで、人間関係が広がらなくなってくるんですね。だけど、そのままずっと続けていたら、自分の中でやっぱり、こうしてはいられないという思いが強くなったんです。介助もかつては家族に全面的にやってもらっていたんですけれども、家族だって年を重ねるし、それでは先がない。そういうふうに考えたのも、25歳で創作を始めたのと同時期なんです。自分にできることの模索と同時に、人と関わっていこうと決め、自分なりに努力したんです」

 「人と関わったことで生まれる火花が、力をもたらしてくれる。それはすごく感じるんですね。孤立しているとどうしても視界が狭くなる。皆、もがきながら生きているということは一人では気付けないと思うんです。頭でいくら考えても。化学反応という言葉でも言えると思いますが、人と関わることで、自分の中にあるものが燃え上がっていくことがあると思うんです」

 最近では、取材、対談や講演の依頼も来るようになり、昨年6月には、同じ病を抱えながら絵を描く兄の健一さんと作品展を開催。昨年9月には、谷川俊太郎さんとの対談も実現した。2月には、『自殺』で講談社エッセイ賞を受賞したエッセイストで編集者の末井昭さんとの対談も行い、末井さんは「どの歌も生き抜くという決心が伝わってくる。それは、岩崎さんがギリギリのところで生きているからじゃないか。ぼくらは、普段『生きている』ということを意識しながら生きているわけじゃなく、なんとなくダラダラ生きているんですけれど、岩崎さんの歌から自分が『生きている』ということを再認識させられ、ちゃんと生きなきゃいけないと思った」とたたえた。

 「詩を書き始めた時には、こういうふうに暮らすなんて、夢にも思っていなかったですよ。ただでさえ人見知りっぽい性格なので。大勢の人の前で、お話をするというのも昔だったら考えられないし、想像もつかなかったことだったんですよね。初めて講演をした時も、果たして自分が引き受けて大丈夫なのか、本当に話せるのかと緊張してしまって、話せなくなったらどうしようとか、責任を全うできるのかと不安を抱いたこともあったのですが、実際やってみて良かったと思うんです。初めてのことってドキドキして、不安にとりつかれたりもするんですけれども、それ以上に新しい経験を楽しめる気持ちになってきたんですよね」

 「17歳の時、本当に死なないで、生きようということにして生きて、本当に良かった。つらいこともいっぱいあるし、できることもどんどん失われているんですけれども、今自分がこうやって生きている、生きる手応えを感じて生きているということがある。だから、自分があの時、自分から命を投げ捨てないで良かったと思うんですね。そういう思いは詩で伝えていきたいと思うんです」

 そうして作られた詩は、読む者にもまた、生きる力をもたらしている。

 「誰か一人でも読んでくれて、何かが動き出す、小さなきっかけにほんの少しでもなれたら、幸せなことだと思います。私が色々こうして苦しんだり悩んだり、もがきながら生きてきたことが、少しでも意味があることだったと思えるんです」

 今、この瞬間も、重い病気にかかったり、先が見えない不幸に襲われたりして、生きる気力がなくなっている人がいる。そんな暗闇の中にいる人に、岩崎さんなら、どのような言葉をかけるだろうか。

 「努力ではどうにもならない状況に追い込まれることが色々あると思うんです。もうだめだと思うことが何度もあると思うし、私もそう思いかけて死のうと思ったんですけれども、やっぱりだめだということはないんだと言いたいんです。自分で自分をだめだと思うこともそうだし、周りの人からどんなにだめだと思われても、だめじゃない。自分も人も誰かのことをだめだと言うことはできない。自分で自分のことをだめだと思ってしまうことは、ちょっと待ってほしいと思うんです。本当にちょっとしたきっかけで、変わってくることがあるから。もちろん、すぐに解決できるということではない。また、私が特に具体的な解決法を持っているわけではないし、まったく無力だと思うんですが、だめじゃないんだと思っていると伝えたいんです」

 自分で自分をだめだと思わないこと。やはりそのためには、人との関わりが大事になると岩崎さんは言う。

 「やはり孤立するとまずいのではないかと思うんです。自分の苦しんでいることそのものを話せなくても、何でもない会話でもいいんですけれども、誰かに話せるといい。深刻に、抱えていることすべてを話さなくてもいいし、話せれば話せる人には話した方がいいと思うけれども、何でもない会話だけでも気持ちが軽くなることがあると思います。追い込まれてくると生活感が希薄になるから、そういうものを少しでも回復することが、まず大事だと思うんですよね。普通に日常生活を送るということは、当たり前のように思えるけれども、すごいこと。普段はそんなに感じないと思うんですけれども、日常生活を送り続けるということは、それだけで本当にすごいことです。別に何か特別なことじゃなくて、毎日、日常生活を送り続けることっていうのはすごいとしかいいようがない。それは何となく感じてもらえると思うのですが」

 夏には、これまでの生活や考えてきたことをつづった初めてのエッセー集『日付の大きいカレンダー(仮称)』(ナナロク社)も出版する予定だ。

 「これからずっと書いていく中で、新たな経験、体験をすることがたくさんあると思うんですね。自分では予想がつかない。新しい経験はすごく怖くて、どきどきもするんですが、最近は楽しみになっているんです。若い時に色々と奪われて、生活感も薄かったからこそ、今、若い頃にできなかった新しい経験にドキドキできる。時期はずれたのかもしれませんが、私にもこういう瞬間が訪れたんです。本当に、人生ってどう展開するかわからない。明日何が起きるかわからない。悪いことも、そうじゃないことも。自分の小さな世界やものの見方では想像もつかないことが起きてくる可能性がある。そう実感するんですよね」

 「これからもつらいことはあるでしょうし、私は主に病気がつらい状況を生むのですが、病気以外にも色々手も足も出ないようなことは、生きていれば必ずあると思うんです。色々大変な世の中ですけれども、それでも、生き抜くという旗印は、皆それぞれ持っている。僕は僕の生き抜くという旗印を掲げて、生きていこうと思っています」

(終わり)

【略歴】岩崎 航(いわさき・わたる)  1976年、仙台市生まれ。本名は岩崎稔。3歳で発症、翌年進行性筋ジストロフィーと診断される。現在は胃ろうと人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で両親と暮らす。2004年秋から、五行歌形式での詩作を始め、06年、『五行歌集 青の航』を自主制作。13年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を全国出版し、話題を集める。公式ウェブサイト「航のSKY NOTE」で新作を発表中。


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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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