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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん

編集長インタビュー

岩崎航さん(4)「震災 言葉を見失い、言葉に救われる」

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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん


 2011年3月11日、当時岩崎さんが住んでいた仙台市内のマンションを震度6強の揺れが襲った。東日本大震災だ。最初の揺れでまず、そばにいたヘルパーが、終わりかけていた経管栄養を胃ろうから外し、点滴ポールが倒れないようにした。その直後にさらに大きな揺れが来て、ヘルパーや別の部屋から駆けつけた両親が、岩崎さんの体や呼吸器のマスクを押さえ続けた。

 「ベッドから転がり落ちないようにヘルパーさんが体を押さえてくれて、両親は呼吸器を押さえて。揺れるのでマスクもはずれてしまうのですが、そうすると、はずれているという警告音がピーピー鳴るんですね。皆、必死に押さえてくれましたね」

 不思議と、このまま押しつぶされて死んでしまうという思いは浮かばなかった。

 「想像を絶する揺れだったので、ただひたすらしのぐというか、あまりに巨大な出来事だったので、考える余裕も、怖いというのも通り越していました。なんなんだ!みたいな状況だったと思うんです」

 地震と同時に停電し、命をつなぐ人工呼吸器の電源は、内部バッテリーに切り替わった。バッテリーがもつのは約8時間。その間に電源のある場所に移動しないと、膨らんだバッグを手動で繰り返し押して空気を送る「アンビューバッグ」でしか呼吸を確保できなくなる。部屋は2階でエレベーターはストップ。移動手段がなくて、困り果てていた時に、たまたま見回りに来ていたマンションの管理会社の人が、救急車を呼びに走り回ってくれ、バッテリーが尽きる前に、病院に避難できた。その後、身を寄せていた姉の自宅も、4月7日深夜に再び襲った震度6強の余震で停電し、一時、民間の避難所に移動した。

 病を抱えた自分だけでなく、誰もが先の見えない大変な状況に陥った緊急事態。岩崎さんの心は、閉じていった。

 「家族を含めて周りは皆、奔走するのに、自分は動けない。本当は自分も動きたいけれども、何もすることができないというのは、すごくつらいことだったんですね。それはやっぱり僕の中で今までにない経験。今まで、これほどの状況に追い込まれたことはなかったですね。自分は守られるばかり、助けてもらうばかりで、周りの人は奔走して、疲れていく。自分がこんなにも周りを疲労困憊こんぱいさせている。周りの人はそういうふうには思っていないんですけれども、私の心情として、周りが疲労困憊していく姿を見ることしかできない、本当に自分の存在はなんなんだという考えに傾いていきそうになる。それは今思うと、悪循環だと思うんです。答えはないし、そういうつらさは、震災に遭ったことで、改めて強烈に突きつけられたことなんです」

震災はたくさんの人の生きる力を脅かし、岩崎さんに一時、言葉を見失わせた

 新聞やテレビのニュースで次々に伝えられる甚大な被害への衝撃。そして、無力感。岩崎さんは、詩を書けなくなってしまった。

 「ショック状態だったと思うのですけれども、やはりそういうものに自分が触れる、表現するというのは、無条件にとんでもないことだという思いが自分の中にあったんですね。かける言葉を失うというか、言葉がない。すべてを丸ごと奪い去っていくような出来事は今までなかったと思うんです。被災地にいる人もそうでない人も、あれほど巨大な大災害は経験していない。生きることを根こそぎ奪い去ってしまう、押し流してしまう出来事があるというのが、恐ろしいことだと思ったんですね。言葉もないし、手も足も出ないという恐ろしさでした」

 避難所で、自分の中に閉じ籠もっていた岩崎さんのもとに、震災1か月後、東京に住む友人が訪ねてきた。文筆業に携わるその友人は、「詩を書いていますか?」と岩崎さんに尋ねた。

 「『書いていない』と答えたら、『なぜですか?』と。『書けなくなっている』と言うと、『今書かなくて、いつ書くんだ。今こそあなたが詩を書く時ではないですか』と言われたんですね。それは心に響くものがあった」

 「無力感に覆い尽くされ、私は打ちのめされていました。でも、彼は『そのままの心情を書けばいい』というんですね。『一人の人間として、今のそのままの状況を書けばいい』と。『気持ちを前向きに切り替えることができないんです』とか、そういうことも口にしていた私に、『切り替える必要なんてないんだ。そのまま、自分の一人の人間としての思いを書けばいい。ここでこうして生きているぞという声をあげていくんです』と、そういうことをおっしゃって、本当に心が動かされたんです。それまでがちがちに凍り付いていた、こわばっていた心が、少し動き始めた。血が通い始めた。それがきっかけで、もう1回書こうと、自分にできることをしようと思えたんです」


 「直接的にはできることはないのかもしれないけれど、でも私は病魔と闘って生きてきた、ずっとそういうものを抱いて生きていく中で、言葉を書くということは私にできる唯一のことなんですね。無力感を抱くけれども、生きようとする力を殺(そ)いでいくようなものと闘っていくことを、そのまま表現することは、私にできる唯一のことだと思ったんです」

 そして、そのままの気持ちを五行歌に書いた。


 震災後、初めて書いた歌だった。ありのままの言葉を自身のブログで発表すると、ぽつぽつとアクセスが増えていった。

 「具体的にどういう反応があって、ということではないのですが、もう一回私が書き始めたということを、読んでくれる人がいるのを知るわけですね。そうやって見てくれている人がいる。被災地の人かもしれないし、そうでない人かもしれないけれど、それを知って、とにかく自分にできることをするしかないなと思ったんです。本当に小さな、小さなことで、無力かもしれないけれど。自分にできることをするという気持ちは変わりないけれども、立場とか境遇を超えて届く言葉がある。それを超えてつながれるのではないかという思いは、震災後に強くなっているんです」

(続く)

【略歴】岩崎 航(いわさき・わたる)  1976年、仙台市生まれ。本名は岩崎稔。3歳で発症、翌年進行性筋ジストロフィーと診断される。現在は胃ろうと人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で両親と暮らす。2004年秋から、五行歌形式での詩作を始め、06年、『五行歌集 青の航』を自主制作。13年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を全国出版し、話題を集める。公式ウェブサイト「航のSKY NOTE」で新作を発表中。


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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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