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放送作家 高田文夫さん

一病息災

[放送作家 高田文夫さん]心肺停止(2)病気知らず 仕事一筋の毎日

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 大学卒業後、すぐ放送の業界に入った。2年後の1973年、子供向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」でデビュー。「当時は、笑いの時代ではなかった。放送界で食っていくため、何でもやったね」

 台本を書くのが速く、アイデアも面白かった。すぐに放送の裏方で売れっ子になった。事務所かテレビ局に毎晩泊まり込み、台本を書き続けた。

 従来のものと違う、「今の笑い」を誰かとやりたくなってきた。「浅草にすげえのがいるよ」と聞いて会いに行ったのが、ビートたけしだ。すぐ意気投合し、9時間もしゃべり続けた。1歳違いの2人はそれから、毎日のように会った。

 80年からの漫才ブームでたけしが大ブレイクした。翌年正月からのラジオ深夜放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」に2人で登場。早口のたけしに、絶妙の合いの手で応じた。

 心酔する立川談志に入門した。立川藤志楼とうしろうを名乗り、5年で真打ちに昇進。「素人でもこれまでやれるんだから、プロも頑張れ、と気合を入れたかった」

 89年には、今も続く昼間のラジオ番組を始めた。病気知らずだったが、2006年、57歳で寄席の高座に10日間上がった後、過労と風邪で体調を崩した。2か月ほど休養。それまで「オレたちひょうきん族」など数々のヒット番組を手がけ、仕事一筋の毎日だった。

 

 高田 文夫(たかだ ふみお)さん 放送作家 66

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