佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」
医療・健康・介護のコラム
暴行ビデオあっても警察動かず
山口県下関市の知的障害者福祉施設「大藤園」で、利用者を平手打ちしたなどとして、6月10日、元施設職員が暴行容疑で逮捕された。テレビで繰り返し放送された暴行場面は、不快極まりない。ビデオ映像が公になると、警察がすぐに動いた。当然の対応といえるだろう。
ところが、精神科病院での暴行事例の中には、証拠のビデオ映像があるにもかかわらず、捜査が遅々として進まないケースもある。2012年2月24日の朝刊連載「医療ルネサンス」で取り上げ、拙著「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)などで詳報した千葉の事例だ。
被害者の名は、拙著の表記と同じユウキさん(仮名)としておこう。2014年4月、彼は民間病院の療養型病棟で亡くなった。まだ36歳だった。2012年1月、彼は千葉県にある精神科病院の鍵のかかった保護室(隔離部屋)で、横たわった状態で看護師に頭部を蹴られ、踏みつけられた。翌々日、病院関係者が異変に気付いた時には彼の首は折れ、息も絶え絶えになっていた。大学病院に救急搬送され、この時は一命を取り留めたものの、首から下がほとんど動かなくなっていた。
この病院は、看護師の行動について「暴れたので足で押さえた」などと主張しているが、そもそも手があるのに、なぜ足で押さえたのか。それも顔や頭を。隔離部屋の監視カメラがとらえたビデオ映像では、激しく踏んだり蹴ったりしているように見える。暴行を受けた時、ユウキさんは床にあおむけに寝かされていたが、彼の首は以前飲んでいた薬の副作用であごが鎖骨のあたりにつくほど前傾し、頭部が浮き上がっていた。そこを強く踏みつけられたらどうなるのか。ビデオ映像はYouTubeで公開されているので、確認していただきたい。ユウキさんの姉のブログでも見ることができる。
千葉県警の捜査は続いているものの、なかなか進展しない。現場の捜査員は頑張っているようだが、何が阻んでいるのだろうか。姉は5月下旬、捜査の進展を求める嘆願書や署名をブログで募り始めた。世論の力で警察を動かす作戦だ。協力者は急速に増えている。
軽視される「精神科の患者」の命
ユウキさんは、精神医療の被害者の典型といえる。彼は東京の有名大学に通う普通の学生だった。若い頃にありがちな落ち込みをきっかけに、精神科を受診したことから悲劇は始まった。
彼は向精神薬に過敏に反応する体質で、薬を飲めば飲むほど悪くなった。最初は「うつ」の診断。抗うつ薬を飲んでテンションが上がり、トラブルを起こすと、幻聴や妄想もないのに「統合失調症」と決めつけられた。処方された抗精神病薬の影響で首が前傾し、そのまま戻らなくなった。ユウキさんは強いショックを受けた。
それでも投薬は続き、治療の影響で意識障害などが起こると電気ショック(電気けいれん療法)が行われた。やがて彼は、魂が抜けてしまったかのような状態になり、家族との会話がかみ合わなくなった。着替えや入浴をほとんどしなくなり、失禁パンツが必要になった。不適切な治療による激しいトラウマや絶望が、彼をそこまで追い込んでしまったのではないか。
暴行を受けた精神科病院に入院したのは、2011年9月。東日本大震災の発生後、興奮することが多くなり、暴れたはずみで父親を負傷させてしまったためだった。
この入院の5年前、ユウキさんは「広汎性発達障害」と診断されていた。だが発達障害の診断も、不適切な治療で痛めつけられ、変わり果ててしまった状態を踏まえたもので、取材を重ねれば重ねるほど疑わしく思えてきた。
ユウキさんは学生時代、交友関係が広く、対人関係も良好だった。クラスの中心的な存在だったこともある。発達障害と決めつけ、それらしいエピソードを探せば少しは見つかるが、それくらいはユウキさんだけでなく、誰にでもあるはずだ。
ユウキさんは、繊細なところがある普通の青年だった。「治療」とは名ばかりの、あまりにも理不尽な仕打ちの数々で、若い命が奪われた。ユウキさんには何の罪もない。それなのに、彼の命が軽視されるのはなぜなのか。
私は、この事件について相談した先で、幾度も同じ言葉を投げつけられた。「そうは言っても精神科だからねえ」。精神科の患者の命は、どうしてそんなに軽いのですか。
◇
【追記】
この記事を掲載して間もなく、千葉県警の捜査が大きく動いた。数日後、多くのテレビ局がニュース番組で暴行ビデオを放送。石郷岡病院(千葉市)の保護室で頭を蹴った看護師と、体を抑えていた看護師は2015年7月に逮捕され、傷害致死罪で起訴された。
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