いのちに優しく いまづ医師漢方ブログ
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自分のつらさをうまく伝えられない患者の話を聞く大切さを学ぶ
1年の半分が過ぎようとしています。みなさんにとって、2015(平成27)年の前半は、いかがでしたでしょうか。わたしは、毎日の診療にたずさわりながら、いろいろな人との出会いをいただき、多くのことを学んだ時間でした。
みなさんは、1日に、何人の人と会話をしますか。家族との会話、仕事場での会話、内容もさまざまだと思います。ひとり暮らしで1日だれとも会話をしないという方もいらっしゃるでしょう。私は、毎日、30人以上の人と話をさせてもらっています。その中には、おしゃべり上手な人、口が重い人など、いろいろな人がいらっしゃいます。私の仕事は、そんな人たちの話を聞くことが中心です。
先日、外来にお見えになった70歳過ぎの女性Tさんは、診察室のいすへ腰掛けるなり、これまでの自分の病気の経過について話し始めました。30歳半ばから患った背中の痛みで来院されたTさんは、これまでに大学病院や有名な整形外科の病院など、さまざまな医療機関を受診されてきました。数年前には、「気のせいだろうから精神科を受診しなさい」と言われ、何年もの間、自律神経失調症という診断名で薬を飲んでいたそうです。しかし、一向に良くならなかったのです。
背中の痛みを訴えると、家族にも嫌な顔をされるため、家の中では自分の症状をずっと黙っていました。
友人のご紹介で、私のクリニックへ来院されました。初診の時、Tさんは座るやいなや30分以上話し続けました。病気の話に始まり、話の後半では生まれたころの話、生い立ち、結婚の苦労話や死別した伴侶の話など、人生そのものの話になりました。
今回の受診とはかけ離れた内容の話になってきましたので、私は「すみませんが、そろそろ、診察させてもらってもいいでしょうか」と声をかけさせてもらい、無事、診療が終わりました。
数週間してから、再び、Tさんが外来へお見えになりました。前回の治療のお陰で背中の痛みが消えたことがうれしかったのでしょう。今度は、どうしてこれまでの医療機関では治してくれなかったのか、と再び、これまでかかった医療機関の話が始まりました。今回は20分程度で話が終わり、「ありがとうございました」とお辞儀をして、お帰りになりました。
そして1か月後、Tさんは「あの痛みは、なんだったんでしょうね」と笑みを浮かべ、数週間の出来事を簡単に話し、満足した様子でお帰りになりました。
Tさんから、これまで受診した医療機関では、自分のことを理解してもらえていないと感じていたこと。いつも、担当医へ、思うように自分のつらいところを伝えられなかったことなどをお聞きしました。改めて、医療の現場では、人の目を見て、しっかりと会話をすることが大切だということをTさんに教えていただきました。
病気は、気の持ちようで変わると言われています。みなさんの毎日の生活も、会話を通して、ストレスをためないようにすると良いと思います。どうか、みなさんが毎日、元気で健康に過ごされますように、心からお祈りしています。
患者の多様性とコミュニケーションの難しさ
寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受
とある反医学論者が障害児の母親をなじるさまがツイッターに流れました。自分の知識と理解に基づいて、その母親の生活などに関して一方的に反省を強要する...
とある反医学論者が障害児の母親をなじるさまがツイッターに流れました。
自分の知識と理解に基づいて、その母親の生活などに関して一方的に反省を強要する姿勢に驚くとともに、自分の業務でも過去にあったことなどを振り返りながら、色々考えました。
人を見て法を説け
という言葉がありますが、個々の知識や理解および感情には差があり、とりわけ専門家と一般人の理解には大きな差がありますので、コミュニケーションの齟齬は起こりうるものです。
その人の意見の根拠としては、化学物質や心身のストレスがあげられており、100%嘘ではありません。
就労環境や地方特有の化学物質や体質との相関などは大事なことですし、過去の有害物質訴訟の数々もそういったことの重要性を教えてくれます。
(労働派遣法が変わりましたが、賃金以外の安全保障の問題も合わせて変更されるかどうかは重要ではないかと思います。 記憶が確かならば、僕も常勤の研修医から非常勤の大学院生に変わるさいに、放射線ガラスバッジが支給されなくなったので、分野をまたいで関係する問題だとわかります。)
けれども、その時点で知らないことや避けられないことまであれこれ告げながらいきなり反省を求めるのは誤りです。
彼の信者さんは、援護射撃してましたが、その反応は第三者の理解と違います。
ここで、旧来の医師患者関係と本文のような共感的対応の並列の難しさがわかります。
いずれのタイプの患者にも対応するには難しいです。
改めて、地域や施設ごとのチームワークの在り方の重要性を感じます。
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傾聴が癒す「身体症状障害」
生涯いち医師
直接拝見していないので、間違っているかもしれませんが、この患者さんは、「身体症状障害」かもしれません。医療関係者から相手にされない「不定愁訴」患...
直接拝見していないので、間違っているかもしれませんが、この患者さんは、「身体症状障害」かもしれません。医療関係者から相手にされない「不定愁訴」患者さんの中には相当数の「身体症状障害」の方がおられると思います。「自分のいうことが聞いてもらえていない」ことには非常に敏感な方々なので、医療機関を転々とされることが多く、お気の毒です。先生の傾聴で癒されたのではないでしょうか。先生の傾聴能力に敬意を表します。
漢方医の先生方のところには、このような「心と身体の両方にまたがる」心身相関の患者さんが流れ流れてたどり着くことが多いのではないでしょうか。本来は精神疾患ですが、「身体化」が症状ですので、患者さんとしては、自分の身体症状が精神的原因だとは受け入れられず、精神科医や心療内科医に紹介されると気を悪くされる方が多いようです。相性の良い精神科医や心療内科医に巡り合うとも限りませんし(精神科医の中にさえ、『身体症状障害』は精神科が診るべきいわゆる『ハードな精神病』ではないので苦手だ、という向きも多いようですから)。
DSM-5(米国精神医学会の新しい診断基準;「身体症状障害」は、器質的疾患が除外されなくてもそう診断してよい、という画期的見解を展開)が普及して、このように苦しむ多くの患者さんがふつうの医者によって傾聴という標準的治療で癒される日が早く来ることを心から願うものです。
明治時代に呉秀三が嘆いたとおり、「日本の精神病患者は、精神病で苦しむのみならず、日本(という精神病に無理解な国;精神科医の中にさえも患者の人権を踏みにじって平気な者がいる)に生まれたということでも苦しんでいる」のですね。
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